掴めないのは空気と君の手と 17


 面白くないことがあることは知っていた。それを打ち消すようにケンカする日々、結局見咎められて諌められて、面白くないことが何であるかなんて本当は胸の奥底では分かっていた。けれど、答えなんて認めるつもりもなかった。それはこれからも変わらない。そう思っていた神崎だった。だが、
「チ、」と低く鳴らす舌打ち。それは独りでいる部屋の中にはあまりに大きく響いたから、それすらも不快に思えた。ああ、城山が言う言葉にはあまりに重みがあって、糞まじめというのは如何なものかと今更ながらに忌々しく思う。同時に、そのまじめさに救われてきたこともあるのだと感じる。結局、城山は問うてきたのだ。今まで神崎が逃げてきた問題について。わざとらしい程に触れなかったことについて。
 ごくん。心臓が一層高く鳴ったのは無視しておく。だが近い者には聞こえてしまうだろう唾を飲む音はどうにもできはしない。今この時に誰かが隣にいなかったというだけのこと。本来ならば不必要な音であったはずなのに。今この時に傍らに城山がいなくて良かったとすら思う。城山は神崎のいい所も悪い所も全て吸収してしまうから。
 城山の言葉は言い換えればこうだ。
A.神崎さんは、なにが不満なのですか?
B.その不満をどうしたいのですか。解消したいのは分かりますが、その手立てについてどうお考えですか?
C.己を傷付けるのはやめてください。不満の理由について認めてしまえば、傷を付ける必要などないのではないですか?
 上記3点である。

 ケンカをしても不満は解消されず、その解消の手立てなど身体を動かすこと以外に思い浮かばない。他人を殴ることは己をも傷めることなのだと分かっていないわけではない。相手の硬い骨の部分を殴ってしまったことで拳にはすぐに癒えるような、だがにぶい痛みを伝える醜い腫れとじんわり滲んだ血が見える。
 どうして。身体を動かすということは頭を働かせなくていいから、その間だけは神崎も安心していられるのだ。短い安息の時間と、身体の痛みや怪我は比例しているというだけのこと。それだけのことに城山は何を心配する必要があるのか。高校時代の数年も共にいたこの野郎が分からないはずもない。傍らの城山の顔を見た。いつもの物言わぬ男。岩のようなヤツだと思った。
「自分を痛めつけるのは止めてもらえませんか」
「うっせえ」
 正座している城山の膝に頭を乗せて上を見た。ムサイ三つ編み野郎が神崎を見下ろしている。これが日常だったはずなのに、みんな学校を卒業してすべて変わってしまった。つまらない日常とケンカの日々に飽き飽きしていてそれで……
「城山、俺が今何考えるのか分かるか?」
「分かります」
 返答がおかしい。からかわれているのかと思う程に。前のことと最近のことがごちゃごちゃに頭の中で踊っている状態の神崎の考えていることなど解りっこないのに、当たり前のように分かると答えた。適当なことを言うヤツは仕置きの必要があると思った。
「ハン、じゃあオメーが言う不満の理由は分かってんのか」
「分かってます」
 躊躇いのない返答はソレについて聞かれても答えられるという意思表示にしか聞こえなかった。だから、どうして。最近は神崎ばかりが置いてけぼりを食らい続けている。もはや城山相手にですら。どうしても言いたくない言葉をきっと言わなければならない頃合なんだろう。理由について問う言葉を。聞く前に城山が言った。
「どちらも、同じことです」
 そんな単純な問題であるならば、これだけもやもやしているわけがないだろう、と思わず立ち上がって殴りつけてやりたくもあったが、それ以上に起き上がるのが面倒だ。神崎の不快の色は眼を見て分かっているはずだが、それでも城山は顔色を変えることなくそこで膝枕を続けている。つくづくおかしな男だと思うばかりだ。城山の後ろに見える窓からの空は、ひどく蒼く一本の長い雲が線画のように引かれた日和。こんなに晴れていて、それでもこんなムサイ男と二人きりで、しかも膝枕されなきゃならない日だなんてバカげていると神崎自身ですらも思う。そう思っても今この瞬間は神崎に心地いい。
 だからこそ、自分で壊すのだ。この心地好さを、ぐしゃりと。
「言ってみろ。俺の考えたことと、理由」



「大森、寧々です」



 だから、どうして。これまでに何度も思ったことだったが、どうして神崎自身も分かっていないことを分かったようにして周りの人間が口にしたり、笑ったりできるというのか。きっと単純に神崎が、それ程までに単細胞だったのだということなんだろう。もはや諦めるしかない。認めるしかないのだろう。ゆっくりと城山の膝枕から頭を起こす。そのゆったりとした動きを城山は追って見つめている。
 いずれは認めなければならないことをただ、今城山は言われて答えただけのこと。神崎は起き上がってまっすぐ城山を睨み付けた。彼を見る眼の鋭さは高校時代から変わっていない。そして見返す瞳の色も前と何ら変わりはない。変わったのは神崎の傷の数ぐらいのもの。
「城山、ヨーグルッチ買ってこい」
「分かりました」
 買ってこい、と命じたくせに同時に神崎も立ち上がる。玄関に行って靴を履くのも一緒だ。それでも城山は何も問うてこない辺り、これから神崎がどこに向かおうとしているのかなどお見通しなのだろう。何事もなかったかのように家の前でキレイに2人は二つの道に分かれた。城山の背中を見てからケータイを取り出す。もう迷いはない。晴れた昼間の空。いつぞやの空に似ている、確か今日は夕方から雨になるはずだ。そんなところもあの日の空と似ている。だからきっと降りそうで降らないんだろう。泣きそうな空のまま、そこに在るんだろう。
 神崎が耳に当てたケータイからはいつだったか聞いたPOPが流れてくる。音楽の趣味も知らない相手に電話をすると、意外だと毎回感じるのだ。がちゃ、と乾いた音と共に声が聞こえる。神崎の話は実に手短だった。前とは違って。だが、神崎の声はいくらか緊張に震えていたかもしれない。聞いた相手の態度は変わらなかったから、神崎はほっとしていたのだけれど。
「よぉ、今時間あっか?」


********


「カッコワル」
 神崎が相手が来ていると気付く前にそう声を掛けられたので視線を上げた。待ち人にアッサリとダメ出しされた。それもそのはず、神崎は子ども用のブランコに腰掛けて緩く漕ぎながらヨーグルッチを咥えて俯いていたのだから。少なくともヒーロー的なカッコよさからは程遠い姿だったろう。
「口開けば憎まれ口かよ、クソアマ」
 先の電話相手の大森寧々がそこにいて、いつものように容赦ない言葉を浴びせてくる。それが本心では厭なものでなくて、むしろ友好的なものだということは分かっていた。それでも反論をしておかなければ気が済まないといった所か、神崎はいつものように返す。これこそがいつもの距離感。
 隣のブランコに捕まりながら腰を下ろす寧々。少しだけブランコを漕ぐ。錆びたブランコの金具はキィキィと不快な音を立てていたけれど、そう高い音ではなかったから気にしないことにする。だが油を点せば滑りが良くなってこの音も止むのだろうなどと関係ないことを思う。それ程に今この時を早送りしたい思いでいっぱいなのはきっと、神崎だけなのだ。その証拠に普段通りの表情をして寧々はブランコをキィキィと鳴らしている。
「で?何か用」
 呼ばれた側としては何も言わない神崎を不思議に思うのは当然に決まっている。だがそれにしても素っ気ない言い方すぎるだろうと神崎は内心、寧々にゲンコツをカマす。だが心の中だけのことなので寧々には一切ダメージはない。
「今日、バイトは?」
「あるよ。夕方からだから、しばらくあるけど」
 まだ空は青く、夕方から降るらしい雨の兆しも見えない。こんな日は前に久しく会った時のことを思い出す。夏目が勝手に寧々を呼び出した時のことを。だがあの時とはまったく違うことがある。それは、神崎自身が確かにケータイをプッシュして寧々を呼び出したという事実。そして神崎からの呼び掛けに応じた寧々の存在。さまざまなことを思い出しながら、ぶらぶらと足元の覚束ないブランコから立ち上がってベンチを目指す。呼んでもないが寧々はゆっくりと神崎の後に着いてきた。
 あの日から寧々を見る目が違っていたのかもしれない。ただ目の前のクソアマと一緒にいることが楽しいと思うようになって、けれど急に行方が分からなくなって、彼氏が乗り込んでいたなんていう話。ベンチに腰を落ち着けてからようやく、呟くように言葉を吐き出す。
「この間の、嘘だ」
 急に告げられた言葉の意味なんて分かるわけもない。寧々は迷惑そうに眉を顰めた。勝手に呼んでおいて急に話し始める内容について理解できる程、聖者でもなんでもないのだ。なんだかやりづらそうにしている神崎の肩をバシッと強く叩く。歯切れの悪い神崎なんてキモチワルイ。それだけに強めに喝を入れておくのである。
「って〜な、クソアマ。叩くんじゃねえ、お手」
「お手、って犬じゃないんですけど」
 悪態吐きながら乗せてきた手は小さい。その手を握り込んで訪れるは、再びの沈黙。
「で?何が、嘘だって?」
「この前、ヤキモチ妬いたっス……」
「知ってるっつーの。」
「だああ、かっこわりぃいいいいい!」
 カッコワルさMAXの神崎は、もがくように騒ぎながら短髪をわしゃわしゃと掻いて、再び寧々の手を握り込んだままベンチに座って蹲る。まるで祈るみたいな恰好でしばらく蹲っていたが、つと上げた神崎の表情はいやに真剣だ。緩い風が神崎と寧々の髪を撫ぜる。ふわふわと靡く寧々の髪は青空にはひどく映えたし、神崎の髪はまるで消え入りそうな弱々しさを湛えていた。神崎にとって、今この時は環境も含めて心地好いものだから、この時間を己の手で潰すようなことはしたくないと思う。だから認めないでずっと一緒にいるだけだったんだろう。
「唐突で悪ィんだけどよ………、」
 どくどくと心臓が鳴っているのが急激に伝わる。確かに神崎自身の身体だから当然、分かるに決まっている。それでも平常ならば心臓の存在なんてものも忘れているというのに。どうしてか意識したくない時だけ意識してしまう、この循環器?内臓を恨めしく思った。役立ってるのに使えねえ、矛盾した言葉なんて分かっている。それでも思わずにはいられなかったのだ。
「あと。ついでに、カッコワリィトコも悪ィ」
 吹いてくる風が冷たくて気持ちいいと思うのは、自分が火照っているせいだと分かる。だったら目の前にいる相手はそんな姿の自分を見ているわけで。…ちょっと情けない部分が増えすぎてもはや神崎自身でもフォローのしようがない、と思った。神崎から見る相手の様子はいつもとそう大差なくて、余裕がある相手に少しムカつく。勝手に余裕をなくしている自分が悪いのも知っているのだが。それでも誰かのせいにしたくて堪らないのだ。
 ムダな足掻きだと頭の中にいる自分に言い聞かせて、目の前の寧々をキッと睨みつける。目は鋭く、まるでケンカしようぜなどと見当違いなことを訴えているかのように見える。だが、いつになく真剣な眼差しだ。
「大森。……好きだ」



 …
 ………
 ……………。

 まて、なんだこの『間』は。まるでエロゲーの幕間みたいではないか。などと神崎が思うはずもないのだが、おかしな間に嫌な汗をかいてしまい苦い顔をしてさらに目の前の寧々を見る。寧々と来たら男心がまったく理解できないクソアマであるときたものだ。
「で?」
「で?じゃねえよ!!!好きですよ〜だワハハ、オメーは顔色も変えられんのか。ムードもへったくれもねえなオイ、バカ」
「続きがあるのかな〜とか」
「つっ……続き?!」
「ふつうあるんじゃないの。付き合ってくれとか、デートいこうとか何とか」
 と、ここで絶句。そもそもこの落ち着きようというのはまるっきり神崎が何を言いたいか分かってました的なもので、じゃあ今まで足掻いていた自分はなんなんだと公園の地面を全部剥がしてぶつけたい気持ちがふつふつとわき上がってくる。どうりで余裕な態度だったわけである。ブッダの掌の上を走るエテ公にでもなったような気分だ。
「続きなんかねぇよ。そんだけだ」
「あらそう、それは意外。ありがとね神崎」
 思いの中では続きはある。それは寧々の言う通り、付き合ってほしいとか今日はムリだから次のデートの約束をしようとか、そういう類のものだったけれど、それがどちらもできないことは分かっていたから言えなくなってしまった。だがもう一つ言わなければならないことがあるとふと気付く。
「続き、あった。まぁなんつーか……今までどおり、遊んだりしようや。急によそよそしくなったりすんじゃねえぞてめぇ」
「今だって変わんないじゃない。あーだこーだって一喜一憂してんのはアンタでしょ」
 あまりに言われたとおりでぐ、と神崎は言葉に詰まる。そもそも口ではこいつに敵うはずがなかったのだ。今までだって勝てたためしがない。それでも居心地が良いのだから始末に負えない。きっとこれがホレた弱味というヤツなんだろう、と認めてしまった。認めてしまえば楽だったし、認めるしかないのだから。
 握った手はまだ離していない。別に離してほしいとも寧々は言わなかったし、こうやって手を繋いでベンチの上で2人、恋人でも親友でもない距離を取っているのは悪くないと思ったからだ。寧々がアルバイトに行ってしまうその時間ぎりぎりまで、もう少しこんな平和な時間が続くように、と久しく血腥くない未来を祈った。


11.09.21

台風が物凄くて仕事を休んでいます。
というかここの所、首と肩が痛くて仕事もはかどらない状況なんですけど、仙台はこれから夕方〜夜中にかけて物凄い雨が降るみたいです。一日中台風中継を見ながらポチポチと小説やらを打ってるような感じですかね。あとは療養(苦

テーマはこうだくみのカバーアルバムよりI Love You SAYONARAと言えないよ を主に聞いてました。もうね、特にチェッカーズの方はそこまでメジャーじゃないんだけどすごい好きな歌なんですよね(笑)言えないよは昨日神戸のチャリティーコンサートのヤツで郷ひろみが歌ってくれて。久しぶりだったけどやっぱこの歌当時から好きでした。とか何にコクるよ?!

今回は大学生神崎と寧々のシリーズ最終回として書いていました。やあ終わって良かったよ―!もうね、永遠に終わらない物語になるんではないかと心配しました。大して面白くもクソもないくせにとか。
って、これで終わりってアンタないでしょ?と思うので。もう少しだけお付き合いください。
他にもこのシリーズのおまけでちょっとエッチな大学生神崎君と寧々ちゃんというのが書きたくて書き始めたものだったりするのです。ハイ、実は邪だったわけですよ。でもエッチという言葉どおりのものです。もう中学生のイチャイチャみたいなヤツを書こうってつもりで、けど松紳のほんとうに好きな人とするセックスについて。みたいな感じにもしたい。これ以上はここでは書きませんが(ここまで書いたらもう読む必要もないかもねぇ、なんて)。

とりあえず告白だけはしたけど、何も始まってないし終わってない2人です。
ただ神崎が認めたというだけです。それ以上も以下もない。最初にキスした時のまま、身体は離れたけどずっと手を握ってるってだけです。
そんなガキみたいな2人の未来を少しだけ、見てみましょう。

2011/09/21 13:02:53