16.


 あれから数日間。
 否、一週間経ったが見舞いは男ばかりだった。華がないだろうと文句を言ったが、俺は美人でしょうが。と夏目が自信満々に言うので「アホ」と返した。男になんて興味ないのはお互い様である。それを分かってギャグを飛ばす夏目のやさしさが身に染みた。早くこんなくだらねえケガなんて治さないとなあ。その思いが通じたのか、神崎は医者の言うことを無視しつつ少し弱った身体を退院に持っていった。何よりもこの病院にはヨーグルッチの自販機がないことが問題だったのだ。
 少し弱っている程度で神崎の生活には支障ない。それは大学というくだらない空間で暮らす以上はケンカとかいうものとまったく関係がないからだ。大学は義務教育でない以上、処罰は厳しい場所である。それだけに退学になる可能性は高い。ゆえに前の事件で、神崎が停学程度で留まったのはきっと‘神崎組’というバックの存在があるからだったのだろう。ヤクザの倅というレールの上を歩かされているようでやはり面白くない気持ちだ。それでも許される己の望まない恵まれた身の上を感じつつ、神崎は懐かしい学び舎へと歩を進めた。つまらない大学生活が待っているのを見越して。



「………ヘェ、骨のありそうなヤツラじゃねえの」
「報酬高めなんでネェ」
 大学内にいる以上は確かに安全だ。しかしそこから一歩でも外へと踏み出せばそこは荒野だった。神崎を半ば強引に拉致するみたいにして連れ去る軍団がいた。暴れてそこから逃れるのはそう難しくはないと思ったけれど、退院したばかりで体力もあるであろう神崎はヒマ潰しにはちょうどいいだろうと思ったのだ。連れ去られるがままにケンカを売られる心地好さのようなものを感じていた。殴る・蹴るの世界に生きる自分があまりに居心地がよいのだ。
「ジャリのケンカに付き合うつもりはねぇから……手加減なんて、できねぇぜ…!」


*********


「青痣……、まっさか久しく来てみればこんなバカヅラ拝むなんて思ってなかったわよ」
 入院して始めの頃に会って以来の久しい顔だった。大森寧々。顔を見た途端に憎まれ口を叩くクソ女。それだけならばいいが、寧々はしっかりと痣のできたソコを狙って掌打ぎみにばっちん、と音も高らかに打ちこんでやった。そうすれば自ずとメッキは剥がれる。どんな強がっていようとも痣からのじんじんとくる痛みは確か。声こそ発さずとも固まる神崎の姿にケラケラと鬼女のような笑みを向けてやる。
「強引に退院したって聞いたけど?で、今のそんな姿、情けないったらありゃしない」
 寧々の語ることは今の神崎には手厳しい、それだけに本当のことだと思った。ケンカで何か胸にあるもやもやを払おうとしていたことなど、勿論言えるわけもない。寧々はそんな神崎の気持ちなどお構いなしに見舞いのために買ってやった品を投げてよこした。失敗した、という可愛げのない言葉と共に受け取ったのはヨーグルッチが3本程入ったコンビニ袋だった。それを見た途端に現金になってすぐさま取り出しストローを挿す。
「勝ったっつーの、クソ女」
「…あのねぇ、怪我もちゃぁんと治ってないってのに、心配だって言ってんのよ!能無しスカタン」
 一言も二言も多い女だと思ったが、心配されているのならばそう悪い気持ちもしない。そのせいで悪態も半減してしまった。言おうと思っていた言葉が飲み込まれてしまったから、ヘンに目が合う時間だけが過ぎて行って、違和感ばかりがそこにはあった。やっぱり恨み言の一つや二つを言わなければなるまい、そう思ったけれど見下ろしてきた相手の目に、どうしてだろうか言葉が出て来なかった。相手の目も何かを神崎に向けて訴えていたけれど、それが何であるかなんて分かりはしない。分かりたいと思っても言葉になっていない願いはただの、目に見えない浮遊しているだけの思想とか思考とか祈りとか、そういった抽象的な何かだったからその視線がどういう意味かなんて確信できるわけもない。
「心配なんていらねえよ……」
 疲れたような神崎の乾いた声が響く。気分を害したわけじゃないのに思わず出てしまった言葉は寧々の耳にも届いていた。確かに心配されるような怪我はないと思っている。痣は触れられなければ痛みを感じることもないシロモノだったし、ケンカしたことについてもまったく後悔はしていないのだから。
 そんなさまざまな理由の中、心の中に渦巻くように青い髪の男の姿がチラついていた。寧々を見るとあの男の姿を思い出してしまう。神崎からしてみれば結局は負けっぱなしの、寧々を巡って競ったヤク中野郎といった所。それを思うとどことなく心臓に近い部分がにぶく疼くような感覚に見舞われる。だから思わず舌打ちした。きっとこの痛みを理解できるのは自分自身しかいないのだから、誰かに当たることなど許されはしない。
 寧々の顔を見るつもりはなかったが、寧々がまだ治っていない傷に触れてきたから、
「いでっ、お、折れてんだぞっ。やぁ〜めろって!」
「面白くなさそーな顔してるから」
「…クソアマ」
「カス崎」
 神崎が寧々の胸倉を掴んだらまた折れた肋骨の辺りをくすぐられたので、すぐに降参した。「カス弱」と勝ち誇ったように言う寧々がムカつく。ここにある全部のものがムカつく。最新のケンカには勝ったのにおもしろくない。
「やっといつもの神崎に戻って来たみたいね」
 口元には笑みがたたえられていて、立ち上がる姿に帰るのだと知った。来たばっかりだろうと思ったが、引き止める理由はないので黙って見送ることにする。そこまで送る、と小さく返した。別に寧々は反論してこなかった。
 玄関前に止まっているデカイ車が邪魔くさい。というか、車多いし。ずらずらと神崎家の前に並んでいる車を見て人が集まっているのだとようやく気付いた。同じ家にいるのにまったく知らなかったのがなんともおマヌケである。きっとヤクザの総会か何かをしているのだろう。まだ大学生である神崎には関係なくて、否、大学生は関係ない、怪我人であるからハブにされているだけのこと。関係ないうちは無関係でいいやと思って「邪魔くせぇ」とだけぼやく。寧々がその様子を見ていた。レディースだけに、大して気にしている様子はなさそうである。
「今から用事あんのか」
「新しいバイト見つけたのよ。もう少し時間あるけど」
「早ぇな」
「必要だもの。前向きにやってるわよ」
 前向き。確かに生活がかかっているのだから当然必要なことなのだろうと思う。親のスネかじりで結局やっている神崎には到底分かりそうにない。ふぅんと鼻を鳴らしたのが返事。前向き。きっと今の神崎にはまだもやもやしたものがあって、そうなれないでいるのだろう。だが、それは隣にいる寧々も変わらないだろうと思った。だから口にする。
「なぁにが前向きだよクソ女。結局、待ちぼうけだろ」
 何が? という表情をしていたが、すぐに分かったらしい。余裕綽々の顔で見返す。
「妬いてんじゃないよ、神崎。」
「だっ…、妬くかバカ!!!」
 否定したって無意味だ。寧々は分かっていた。今日会ってからというもの神崎が仏頂面をしていたのはみんな『青髪野郎』を透かして見ているせいだということを。確かに元カレですが何か? あっちは確かに好いてるけどクスリに踊らされるのはヤメにしたいと思っているのだ、寧々本人としては本気で。確かに罪を償ってクスリも抜けてから寧々に会いに来るだろうが、それはそれというか、その時になってみないとどういう反応をするのかなんて寧々自身も分からない。と思っているのに、神崎は勝手に勘違いして空回りしている。勝手に元カレの帰りを待つけなげな女像を押しつけて考えている。当人にしてみれば、そんなしおらしい女などになった覚えはないのだが。
「アタシ、別に待ってないよ」
「待ってんだろ、カレシ!」
「そんな人いません」
 会話の方向がおかしくないか? と神崎は感じる。それを聞こうとした時、まるで予期して避けようとしたみたいにサッとベンチから立ち上がったものだから、神崎は黙ってその姿を見ているしかない。何を言うのだろうと思ったら、
「時間だから。じゃね」
 カボチャの馬車のような女。シンデレラからは程遠い。働きに帰る所は一緒なんだろうけど。


********


「神崎さん」
 城山はいつも真面目だから、その表情の真剣さに気付くことができなかった。声色もいつも真剣だし、言うこともマトモすぎてマトモじゃないんじゃないかと思う程に。だが冗談が通じないわけでもなくて、いい意味で力を抜くこともできる。和みについては多少足りないような気がするが、慣れてしまえばこのいかつい男と一緒に肩を並べる気分は悪くないものだった。だから、まさか城山がそんなことを言うとは思っていなかったのだ。
「…もう、自分を傷めるようなケンカは、やめにしてください」
 この時確かに城山はいくらか傷付いて帰って来た神崎の腫れた箇所を消毒していた所だった。しかしそれはここ数日と変わらないことだったし、城山は今まで何も口にしなかったのだ。どうして今日になって急にそのようなことを言い出すのか、神崎にはまったく理解できなかった。そしてその言葉には悲痛の色も混じっている。
「負けてねぇだろ」
 神崎はイラつく。城山は自分にさえ従っていればいい。そう思っているしそう教えてきた。だがこれはなんだ、城山は自分を否定する言葉を吐いた。イラついて仕方ない。
「負けてねぇんだよ…!文句たれんなら俺が負けてからにしろや」
 城山を前のように一発殴ってやろうと思った矢先、城山がちょうど一番染みる箇所を消毒したものだから気が萎えた。まったく運のいい男である。そんな神崎の思いを知っているはずだが城山は顔色一つ変えず手当てを続けていた。城山の三つ編みを見下ろしながら思い出す。ここ数日のケンカ模様。まるで中学・高校の時のようなバカみたいなケンカだったと思い起こす。
@ (イカニモ)頭の悪い不良登場
A (イカニモ)頭の悪い台詞と共に好戦的な態度で挑発
B (イカニモ)雑魚らしい大人数で飛び掛かってくる
C (イカニモ)大ボスがいます的な感じで捨て台詞を吐いて逃走
D (ここ数日)上記ループ
 内容が内容だけに、城山がどうこう言うこともないだろうと感じる。そもそもこの男は過保護というか心配性すぎる所がある。そこが良くも悪くもあるのだが。
「文句じゃないです。神崎さん、俺は神崎さんが戒めみたいな気持ちでケンカしてるみたいにしか、見えないんです」
 何か言っていたが痛みの引いた身体はとても自由だったから、城山の頬を一撃、久々にビンタしてみた。パアン!、と気分良く音が高らかに響いたけれど神崎の記憶する城山よりも厚みを感じた。その厚みで手が痛むようなことはなかったけれど、城山も変わっているのだ、と2年振りにようやく気付く。ただ己の手の感触と城山のまったく普段と変わらない顔と、その2つを天秤にかけるように見つめて。それだけで。
「いましめ、って何だよ…」
「分かりません。が、神崎さんはなにかに不満とかを持っていて。それをどうにかできない代わりに自分を傷めつけているように、俺には見えます…!」
 この男はたまに何を言っているのかまったく分からないことがあった。それは今現在のこの状況も含む。たぶん城山の創造とか、そういう世界なんだろうと思ってきた。だが、どこか真意を伝えようとしているようにも見えた。確かに城山自身はいつも変わらず真剣だったから。分かりにくい言葉の意味を考える。
「つまり……俺が荒れてる、ってオメェは言いてぇのかタコ」
 城山の頷きの直前にキッチリと脳天チョップをカマしておいた。どうせバカ正直に頷くことは分かり切っていたからだ。
 分かり切ったことに返すのは愉しみがないが、余裕のない時には丁度良い。どうして、ってそれは安心できるからに他ならない。


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※ 戒め(いまし-め)
@いましめることA教えさとすことBしかることCしばること
戒める(いまし-める)
@ あやまちをしないように、教えさとす・注意するAしかるB禁じるCしばる

◆おまけ◆
諭す(さと-す)
よくわかるように言いきかせる
(上述:小学館 大石初太郎 新解国語辞典より)

上記より、城山が使った意味はお分かりかと思います。分からない方は、メールもしくは(現在201109ならば)拍手ででもお尋ねください。そのような方がいらっしゃるとは思いませんが、わたくしの拙い文章であればどの意味合いにも沿わないと思う方もおられる可能性があるからです。以上(著)
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 城山が言った意味を分からなかったわけではない。もし神崎が荒れている、というのだとしたら、それは神崎自身に面白くないと思うことがあるからだ。面白くないことが何であるか、そんなこととうに分かっていた。だが誰にも言っていない。それが何であるかというのは単純に気持ちの問題であるからだ。『もやもやしてるものがある』という、それこそもやっとしたものだったからだ。
 とりあえず、無意味だけどもう一発だけ城山にゲンコツを落としておいた。


11.09.17

神崎と寧々のパラレルを久しく書いたらグダっとなりまして申し訳ない。
終わらせたいようで終わらせたくなくなっちゃいました(笑)
「もやっとしたもの」について掘り下げるために次の回があるのだと思います。

今回のテーマは主にスピッツ楓・小田和正グッバイ

あと、実はこの文章はテキストで書いてるんですがtxt形式で10KBより上という長さにするようにして、なるべく長さはあまり変わらないようにしているつもりです。
ハイ、つもり。です。できてません。気持ちいい程に!
10KBのものもあれば17KBのものもある。で、軽い話であれば10KBに満たない。
つまりは一応のめやすのつもりです(笑)使えてないけど。

神崎のしょっぱいやきもちが書きたいなぁなんて思ってましたよ。
書けて良かったです。実は彼、モテるだろうと思ってるので(まるでそれこそGTOの鬼塚センセイのように淡く密かに)。

で。城山のこのセリフ(コピった
神崎さんはなにかに不満とかを持っていて。それをどうにかできない代わりに自分を傷めつけているように、俺には見えます
これはまるっと神崎のマゾッホを示す言葉にしか思えません。書いてるあっしが言うのもナンだけど!!もうね、ケンカの理由が自分を傷めるみたいな。ちょ、おまえ待てwww的な。笑えます。というか笑うしかねえだろ。

2011/09/17 23:39:34