*   雰囲気で読んでください
**  やっぱり混沌とした城山と神崎
*** 流血ネタで、かつ、病んでます



 あつい。
 雨が降っているせいで余計に。今年は蒸し暑過ぎるんだ。だから正常なんかじゃいられなくなるのかもしれない。かなり大きな声で話さないと聞こえない。屋内なのに五月蝿すぎる雨が邪魔くさい。そんな我儘を思いながらケータイを開く。押し慣れた短縮番号を押せばすぐさまコール音が鳴る。そして気易い声。電波はいとも簡単に現実を忘れさせてくれる。でも、
「おっはよ〜、神崎君。どったの?」
 だが神崎の声は届かない。聞こえるのはノイズのような音。ノイズかと思ったら違った。これは雨の降る音だ。夏目の耳にも届いている雨の音だ。呼吸の音すら聞こえそうで聞こえない。ただ間違いないのは、電話の先に神崎がいるということ。なんだか様子がおかしいと瞬時に察した。夏目が声を荒げた。
「神崎君どうしたの、もしもーし」
「な、つめ…。オレ、」
 声が震えている。泣いているのだと思った。いつもの自信満々な大声はどうしたというのだ。ようやく返って来た返答は、ひどく震えて雨の音に掻き消されていた。何があったというのか。雨の中で泣いているなんて、まるで子どものようだと思った。だが続く言葉はあまりに子どもが膝を抱えて泣く様子からは程遠い。
「……刺し、ちまった。」
「どこにいるの、今」
「手が、ふるえて……んだ。なぁ、しぬのか?しぬのかよ」
「神崎君、ちゃんと答えて。どこにいるのか」
「城山んち。」
 それで充分。ああきっと、“彼”を刺したんだろうな、と夏目はぼんやり思った。通話途中でケータイを閉じてしまったから、きっと神崎にはツーツー音が聞こえてるだろう。

_____



 それはほんの数十分前か、せいぜい一時間程前のこと。

「あつい」
「すみません、うちクーラー無いもんで。神崎さん家ならあるでしょうに」
「兄貴帰って来てってから、ヤなんだよ…帰んの」
 ああ、と小さく返す。折り合いがよくないような話は前に少しだけ聞いたような気がする。ヤクザを継がなかった兄の話。だが扇風機は回っているのだからこれ以上は冷やすことなど臨めないのだ。「氷」と言って城山家の冷蔵庫に向かう。大所帯のこの家の冷蔵庫は大きい。神崎はちょくちょく来ているし城山の家族らとも気易い。勝手知ったる家なのだ。第二の家みたいなものかもしれない。神崎と一緒に城山も階下に向かう。氷嚢みたいな感じでビニール袋に氷を詰め込んで持たせてやろうと城山は考えていた。神崎の動きは早い。冷凍庫の前にもう座りこんでいた。冷えたお茶のペットボトルを額に当てて冷蔵庫を閉めては呻っている。
「っあーーー、でも、ヨーグルッチ飲みてぇ〜」
「買ってきます。」
 おう、と返事したはずの神崎が、財布を取って来た城山の手を掴んだ。力が強めだ。まて、と言っているのが城山には分かった。神崎の顔を見れば、鋭くガンつけている。何か間違ったのだろうか。城山はその間違いに気づかない。だからまっすぐ見返した。
「何ですか」
「…行くな」
 行くなと言われればその命に従うしかない。冷蔵庫の前でまだダレた格好のままの神崎の力が緩む。だがこの夏の暑さに溜息ばかりが洩れる。そして神崎はまた言うのだ。ヨーグルッチ飲みてぇ、と。だが冷えたヨーグルッチを飲ませてやりたいし、そうしてやるべきだと城山は思う。そんなやりとりを数回。結局城山はどうすればいいのか分からず困り果てていた。コロコロと変わる神崎の言葉はまるで我儘な子どもをあやすよりもひどく根気がいるのだ。
 だから、城山は己の思いを優先した。神崎のために。
「俺、ヨーグルッチ買ってきます。全速で行きますから待ってて下さい」
 神崎の手を振り払った。神崎が驚いた顔をした。城山が玄関に向かう。待てよ、と神崎が近寄ってくる。音と気配で厭でも解る。待て、ともう一度神崎が低くドスの効いた声で言う。城山が靴紐を結ぼうという時だった。
 急に、脇腹に熱が加えられたみたいに、ずくりと熱くなった。次の瞬間、つんざくような痛みと熱が城山を襲う。その場に前屈みに倒れ込む。幸い、叫びを上げるようなヘマはしなかったが、ひどくそこはじくじくの大きいののような痛みが断続的に続いているし、体温が抜けていくように水っぽい感覚が城山の脇腹を通って下へと流れているような、独特でいて今まで感じたことのない感触があった。痛みには慣れていたから、城山が感じるのはもはや熱だけになってしまった。浮かされたような熱。見上げた視線に神崎が覗きこんでいる姿が映る。
「どう、したんですか……神崎、さん」
「わ、かんね…」
 理由もなくそんな哀しそうな表情をしないで下さい。城山はそう言いながらもあまりに力の入らない声と身体に違和感があった。己の身体を見た。脇腹から赤く染まる。血だ、と分かった。しかも夥しい程の血の量、どうりで力が入らないわけだとやっと理解した。ちらと脇に目をやると血だらけの包丁が転がっていた。どうして、と城山は思う。だが、神崎は無事だ。それが分かればいい。そう思って抜ける力のまま目を閉じる。
(どうして。神崎さんは、俺を刺したのですか)


_____


「うわっ」
 城山宅のドアを開けた途端にあった惨事に、思わず夏目は声を上げた。しかし近所に見られるとひどくまずいことになるのでまずは血だらけの玄関に足を踏み入れ、血液を踏まないようにしながら家に上がった。家の主の一員である城山がどうやら意識がないらしかったので不法侵入になるかならないかの瀬戸際で。靴は玄関近くに置いたまま神崎の頬を軽く叩く。
「神崎君しっかりして。手当て、しよ」
 まるで忘れていたかのようにハッとして、神崎はすぐ動きだした。城山には手当てが必要だということを分からなかったわけもないだろうに。夏目が持ってきた手当て道具はあまりに役立ち過ぎた。止血の自信はまったくなかったが、城山の家族らが帰る前にしっかりと血の痕を拭い去ることはできた。血液独特の赤錆のニオイも、消臭剤振りまいて消した。
「俺、おれ、城山を殺したかったわけじゃない……。けど、城山を殺したい、って思ってたのかもしんねぇ。」
 ぐしゃりと乱雑に夏目の手が神崎の短髪を撫でる。そうしながらもはや強引に夏目の方に寄せた。ぐらつく身体には力が入っていなかったから思っていたより重さを感じる。だがそれも生きている証拠だ。
「城山は、死ぬのか…?おれはころしたくなかったのに、しろやまはしぬのか?」
 何度か同じような言葉を神崎が吐く。きっとこの言葉に意味なんてないのだろう。そもそも何回これを言っているのだ、電話から始まって何度も何度も。夏目の体温なんて感じていないみたいに、神崎は言葉を吐く。人形の様に意味のない言葉を。
「じゃあさ、神崎君は………俺にどうして欲しくて、呼んだの?」
 神崎の様子を見れば正気ではないと思った。だから問うてみたのだ。正気がいくらか残っているのなら、他の言葉を吐く可能性もあると信じて。こんな時に信じるとか信じないとかいう言葉はできれば使いたくもないが。
 神崎がようやくまともに反応した。ゆっくりと夏目を見上げる。見上げた瞳の奥には何の奇跡とか希望とかも、何も見えなかったけれど。神崎の喉仏が二、三度ゴクリと上下した。それからようやっと言葉を紡ぐ。その間も城山の体力はゴリゴリともぎ取られているというのに。
「ケーサツでも何でも、好きなモン呼んでくれりゃ〜それでいい。」
 そう宙を見ながら告げる神崎の両手は城山から流れ出る赤に染められていた。赤に染められて恍惚の笑みにも似た、諦めにも似た笑みの様な表情を浮かべていた。身体からは殆どの力を失っているようで、ずっと夏目か壁に寄りかかったまま。
「ごめんな……」
 城山に聞こえないことなど百も承知だった。だが謝らずにはおれなかった。そして感情の高まりは抑えきれず、はらはらと大粒の涙を城山に向けて落とすばかり。それでも城山は目を開けなかったし、神崎の声に反応することもなかった。何度も、何度も神崎は謝罪の言葉を述べたけれど、城山は目を開けることはなかった。


_____



 結論からいえば、城山は命に別条はない。ただ出血量が多かったので、輸血が必要であった。傷は深そうに見えて、思っていたよりは浅かったのは皮肉にも、いつもいたぶっていた神崎のお陰かもしれなかった。現在は時を経て退院して普通に高校生活を送っている。というつまらないオチ。
 そして城山は今日も神崎のためにヨーグルッチを買う。通い慣れた道をコンビニ袋ブラ下げて向かう。ナースステーションへと。いつもの看護師は笑いながら言った。
「今日から、城山君も面会できる、って先生が」
 この時をどれ程待ち望んだことか。昨日までは城山猛限定 面会謝絶だったはずの病室の前には何物をも貼り付けられていなかった。つまりはただの神崎一が入院する病室となっていたのだった。城山は意気揚々と足を踏み入れた。閉めた途端に感じる違和感。病室内があまりに一色に統一されすぎていた。色を揃えすぎるのも居心地が悪い要因になってしまうものだとやっと気付いた。色に慣れてからようやく見る。神崎の方を。
「おお。城山、かよ」
「―――はいッ! ヨーグルッチ買ってきました」


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 なあ、どうして。俺を許すんだ?
 久し振りすぎるヨーグルッチを飲みながら神崎は思う。しばらく会っていなかったし、あんなこともあったというのに城山の態度は一遍の狂いもない。それが逆に神崎は不安に思えて仕方ない。道徳的に考えて許せるわけもない。あたりまえだ、と考えていたのに。
「城山。なんで、」
 最後まで言わせて貰えなかった。その質問はもはや陳腐なものだったからか。
「あれは、ただの事故です。」
 もう見飽きた白い壁の、白しかない部屋をぼんやりと2人で並んで見る。
 あれから1ヶ月経った。それだけのことだった。まだ神崎は病院にいるし、城山も病院に通っている。夏目はバイトで忙しいし、学校の方は普通に機能しているはずだ。病院から見る風景にも飽きた。空調も調度良すぎて環境に対応できない弱い生き物になってしまいそうだった。
 結局、夏目が呼んだのは救急車だった。警察に突き出すことはしなかった。きっと城山が気付いた時、警察など呼ぶなんてどうかしていると嘆くだろうと思ったから。
「なあ、傷治った?」
「ええと……まだ、です」
「見せろ」
「え」と訝しがるような態度を見せたものの、結局城山はシャツをまくって脇腹を見せた。神崎が付けた傷。神崎に付けられた傷。簡単には癒えない。何も感じていないような表情で神崎はその傷をじっと見て、静かに触れる。痛みが走ったが、気にしないことにした。神崎の好きなようにしていればいいだけだと城山は思っている。と思っていたのに、ぐり、と神崎の少し伸び気味の爪がその傷を抉ろうとしている。城山の血でも欲しているのだろうか。神崎は城山に血を流せるのがきっと好きなのだろう。しかし今の今は…
「か、ん崎さんっ…!」
「……。お、おう、悪ィ。なんか、かさぶた、剥がしたくなって」
「お互い、医者に怒られますって」
 入院伸びるのも、通院伸びるのもめんどくせーしなあー。と間延びしたやる気のない神崎の声が耳に届く。別に不快ではなかったようだ。また無言の時間がやってくる。今この状況で音のない時間はやりきれない。話題を探す。前はそんなことなんてなかったのに、この傷が気まずさを生んでいるのは間違いなかった。神崎が唾を飲み込んだ音すら近い。なにかなにかなにかはなし話。考えれば考える程のうみそカラッポになってゆく。一生懸命話題を作ろうと躍起になっている城山を嘲笑うかのように神崎がぽつりと聞く。
「お前、親に怒らんなかったのか」
「ええ別に。神崎さんに有難う、って」
「はぁあ?!! 誰が?」
「オフクロ、ですけど」
「え。だって俺、お前のこと刺し」
「だから、事故ですってば。」
 表情も変えずにいけしゃあしゃあと言ってのけた城山という男にすっかり負けた。むしろ城山一家にすら勝てない。もう一生コイツからは離れられないのは分かった。どちらかが死ぬまでは絶対に。そう確信した。あんなものが事故のわけはないのに。だが、どうして刺したのだろう。あの時の気分を思う。それには時間が経ち過ぎていたし、外はあまりにも晴れていた。
 面会時間ぎりぎりまでいた城山の変える姿は見るも無残に寂しそうだった。また来ます、などと聞きもしない分かり切った科白を吐いてトボトボと帰っていった。“事故”の傷は雨の日にはきっと傷むんだろう、と神崎はぼんやりと思った。

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 次の日は雨が降っていた。しとしとという音のしないタイプのジメっぽい雨。
「きのう、城山のヤツが来た」
「城ちゃんから聞いたよ」
「まあ、その、無事で良かったわ」
 夏目との無言の時間はそう居心地が悪くはなかった。たまにしか来ない夏目だったが、他人の空気を操るのが実にうまい男なんだろうと神崎は思う。冷たい張り詰めた空気も、柔らかに和んだ空気も、いつも夏目が作るのだ。傍観してばっかりのクセに。
「あの時―――。暑くてダルくて、ヨーグルッチ食いたくて、1人になりたくなかった」
 事件のことを話すのは初めてだった。夏目が驚いたような顔を向ける。そして夏目の耳には足音が止まった音も聞こえていた。夏目には後れを取ったが城山も神崎の病室に向かっていたのだ。
「…だから刺した。そんだけ」
 道徳もへったくれもない真相。神崎が城山だけに向ける感情に決められたルールはない。だからこそ神崎は異端としてこんな白い病室に閉じ込められているのだし、それでも神崎が異常などではないと夏目も城山も分かっていた。矛先は城山以外にないのだ。ならば他には異常でも何でもないのだと。

 からり、とドアが遠慮がちに開いて、またコンビニ袋を提げた城山が顔を出した。話を立ち聞きしてしまったのでばつが悪そうに頭を下げた。特に神崎は気にしてもいないようだったし、夏目はばっちり気付いていたから目配せしてやる。
「ヨーグルッチ、買ってきました」
 受け取ってはストローを挿し、すぐに飲み始める。既に部屋の冷蔵庫はヨーグルッチだらけだったが、神崎の大好物なのだ、すぐに平らげてしまうだろう。
「城ちゃんに質問。理想の死に方は?」
「……俺は、神崎さんを庇って死ぬか、神崎さんに殺されるか。のどちらかがいいです」
「そりゃそーだ、って……お前ら、ハイパー能天気だな。殴っぞ」
「えぇ?何急に」
「ざけんじゃねぇっ!!俺卒業できんのかよ、ずっとこんなトコいてよぉ」
 城山が無事だと分かったので、今度は自分の心配を始めた神崎。「ムリかもね、落第組」とさわやかに笑う夏目。「学校に交渉した方が…」と真面目に考えだした城山と。デコボコなトリオなのにこれだけ愉快だ。それだけでいいと思った。また何か事件やモメ事はあるのだろうが、許されるのだからもう気にするのはやめた。まずは退院願を看護師に凄んでみるべし、と。



それらの齎すものが失望でも絶望でもないということ



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11.09.15
オチようがなくなってしまったので尻切れ?や、でもこんな話だったらまた書けるだろうしねっ、とか。
結局の所、何があっても城山は神崎から離れないし、夏目も然り。なんだよね、という。
誰が病んでるってもう皆オカシイから大丈夫なんでしょう。気持ち悪い程ハッピーエンドなんですが、どこがハッピーなのかまるっきり分からんっていう。
神崎の急に現れるキョウキとか夏目のストイックさとか城山の従順さとか。全てが病的。
普通、こういう関係だとエロとか混ぜられちゃうんでしょうけど。そういうのすらないからただの暴力事件でしかないけど気にしてないってカオスだろ。
最終的に城山をころす話が書きたいかもしれない。うん、誰がついてくるんだろー…
曲:スピッツ楓とエクシリアのやつ(笑)そればっか…

guilty

2011/09/15 18:24:26