(夏目慎太郎、―――。)



 不意に鳴った電話。それがどんな用件か、等と気にしながら受話器を耳に当てるわけない。
「夏目が事故ったんだって」
 今までそんなことが有り得ること、全く想定していなかった。だから軽く返した。いつもように。それでも分かっていた。電話の先にいる相手の平常心を無くした声色。だからこそそれは嘘だ、気にし過ぎだ、と何度か息を飲んでからのことだったが。
「ほぉ…、どんくれぇだ?」
「……………危篤、だって」
 ブツリ、と邦枝からの通話は意図せず途切れた。相手の声はやはり感情を押し殺そうとしたもので、きっと電話の先で流れんとする洟とか涙とかいう水っぽい音を消したかったからだろう。女という生き物は感情に流されっぱなしで全く滑稽だ。神崎が馬鹿にしたように鼻を鳴らす。だが、その音はいつもよりも随分小さい。
 ケータイを二つに畳んですぐさま城山を連れて、夏目の入院する病院へと走った。仲間としては見過ごすこと等できないのは当然だ。移動しながら城山には事情を説明した。城山は絶句しながらもちゃんと着いてきた。ただ低く「まさか…、夏目が」とだけ聞こえた。

 夏目慎太郎の病室に連れて行け!
 むしろそれは脅しに近いものだったが、胸倉を掴みながら病院勤務っぽいヤツをふん捕まえて案内させる。普段ならそこまではしないものの、夏目の危篤とあればいち早く駆けつけるべきだと思ったのだ。確かに病室のドア横に貼りつけられた『夏目慎太郎』の文字が悪夢であってくれればいいのに。その思いが神崎の足をほんの数秒止めさせる。だがすぐにドアは開けられた。
「夏目ぇッ」
 勢いよく入った先に見えた病室はしん、と静まり返っていて夏目の高い鼻が白い布で盛り上がっていた。顔は見えない。否、動かない顔など見たくはなかった。その場に神崎は崩れ落ちるように、椅子に座るのではなく、椅子にしがみつくように地べたに腰を抜かしたかのようにふらふらと膝を折る。そうして見つめる。冷たく夏目の顔に被せられた白い布があった。僅かになびいているらしいのは、窓の外から風が入るためだ。
 夏目に近寄ってベッドの端を掴みその場にしゃがみ込む。まさか、この男が。と神崎は思う。どうして死んでしまうのか。死ぬ必要があったのか、と。その思いは言葉にならない。言葉にしたいがどうしてもならないから死した人の名を呼ぶだけになってしまう。何度も呼ぶ。夏目、なつめ、夏目…、と無意味に。分かっていても身体を揺さぶって起きろとねだってしまう。まだ死を信じることはできない。だが、虚無感は神崎の胸の中にじわりじわりと秒を重ねるごとに広がっていって、どうすればよいのか分からない感情ばかりがあちらこちらにバラバラなようでいて、ひどくまとまったような思いをもたらす。要は、感情のままに動きたいけれど、どうすればよいか分からないという思い。
 もう何度呼んだろうか。なつめ、と更に呼んでから感情のタガが外れたらしかった。抑え切れない嗚咽と涙がボロボロと溢れて落ちる。万有引力に逆らわず、正しい力でただひたすらにはらはらと。哀しみとか怒りとかどうしたらいいのか分からないとか、今の状況まったく分かりたくないしお前いないとかありえないとか、いろんな思いが交錯していた。その思いのまま神崎は夏目のまだ体温の残った手を掴んで、それに縋りつくようにして、まるで祈りのように握りつつ掲げた。元より神等、信じてはいないけれどそれでも何らかの神に縋りたくて泣く。
 これだけ思われる夏目という男はやはり幸せ者だ、と目尻に涙の粒を浮かべながら城山は思った。

「夏目さん検温ですよー」
 看護師の間延びした声が響く。
「あ、早いってば看護婦さん」
 むくっと当たり前のように夏目は起きた。
「ドッキリ計画が台無しだよ、ハハハハハ笑い堪えるの必死ハハッ、神崎君チョーウケる」
 どうしてやろうこの夏目という男を。
「ちなみにただの捻挫。一日、検査入院なんだ。頭とか打ってるかもしれないからって」
 神崎はやるせない思いを抱えるばかり。


世界でいちばん美しい嗚咽

泳兵

11.09.14
夏目のイジワル根性上等
というかアッシの中では夏目はこういうキャラで間違いないです(笑)キチク。
ちなみに、城山は何となく夏目のこういうイジワルをするという予想が脳内にあったため、涙を浮かべるぐらいで済んだと思ってる。もう神崎はワァワァと泣いて「夏目、戻って来い」とか縋ってるんだろうけど夏目はそれを見て笑い堪えてるからね。
神崎組で不慮の事故にあいそうなのって(つまりは運が悪そうなヤツ)神崎自身だもんなあ。
2011/09/14 00:29:30