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「大丈夫?神崎君。寧々ちゃんの彼氏とやり合っちゃった、って聞いたけど」
 神崎からは返事らしいものは聞こえない。ただしそれは言葉ではない。う〜〜とかあ゙〜、とかいう呻きみたいなものばかり。包帯でぐるぐる巻きの神崎の姿は数年振りに久々に見た、という感じである。懐かしさも込めて神崎のオレンジ頭をくしゃりと撫でてやる。
「大丈夫だって。神崎君にはオレがついてんじゃん」
 常の軽口とサラサラと長い髪が耳と目につく。不快かどうかは見た相手によるためコメント不能。ついでに言うと香水の淡い匂いが鼻につく。とりあえず彼を気に食わないヤツが引用すればいい。



「俺は、………負けた、ん、だよな…」


「ん。そうだね、潔く。」
 ああああ、その答えはあまりに色気も気遣いもなくて、負けたことに対する精神的ダメージよりも大きい、ような気がした。だが、殴りかかる体力もなくて大人しいままの神崎を見下ろす女2人の憐れむかのような視線を見ながら、込み上げるなにかを感じつつもそれがなにかは分からずに相手をぎりりと睨みつける時間だけが過ぎていった。



「はいはい、泣かないで」

 さらさら。夏目の髪が顔にかかるのは鬱陶しかったけれど、神崎をなだめるように抱き寄せる体温はとても頼りたいと思わせるものだった。もちろん、思っても口にはしていないけれど。それでも自分以外の体温に安心する神崎自身がそこにはいた。黙っていたけれど、やっぱり『離れても仲間だ』。そう、強く思う。


 悔しくて流れた涙は夏目が隠してくれたからきっと女2人は分からなかったろう。と神崎は思いたい。実際はどうか分からないけれど。
「じゃ、俺はバイトあるから」
「おう」
 いつものように夏目はドラッグストアのバイトに向かう。残ったのは由加と寧々だけ。口元がひどく熱い。熱を持っている。それはそうだろうなと思う。ピアスを引きちぎられたのだから唇が破れているはずだった。唾液は治癒の役割も果たしていると聞くが、少しは効いているのだろうか。しかも置いてある果物が柑橘類。いやまて口に染みるだろうが。誰が持ってきたのか分からないけれど、とりあえず見舞いにミカンとか持ってきたヤツを殴りたい気持ちMAXだった。だが、せっかくの見舞いに文句をつけるわけにもいかず、むしろ誰が持ってきたのかまったく分からないのだから文句つける相手も見つからず、とりあえず他に思い付いたことを口にした。
「おい、バイトは?」
「クビ、…よ」
「あぁ?大森、おめえは悪くねぇだろ。だったら俺も、―――…」
 言われてハッとする。どうやらあの青髪彼氏のせいで無断欠勤をするハメになったのかもしれなかった。無断でないにしても一週間ぐらい休んだのだからアテにならない娘だとか思われてクビになってしまったのだろう。神崎はいてもたってもいられない気持ちになってベッドから起きあがろうとした。しかし、痛みがまるで宇宙服みたいに全身を覆ってきたから呻きを抑えながらその場に転がるしかなかった。まだ、どうこうなんてしてやれないくらいに全身が役立たずだ。
「…っ、俺、もいっしょに謝りに行って、やる…から!」
 どうしてベッドから起き上がるだけでこんなふうにヨロヨロになっているんだろう。ぎしぎしと全身が痛むせいでまた横になった。思ったことを口にしたのはいいが、まったく行動は伴っていない。今の自分は最高にカッコワルイな、と神崎は残念に思う。ぜえぜえ、と情けない呼吸が静かな病室に響いた。この呼吸を聞きたくないがためにヘヴィメタでも流れてくれればいいのに、と内心思った。その思いを破るように寧々の、感情のない声が聞こえた。
「いいわよ、別に。仕方ないじゃない」
「……っ、なら、いいけどよ…。あのやろ、彼氏はどうなったんだ…?」
 本当はよくなどなかった。けれど一緒に謝りに行ってやれないのだから引き下がるしかないだろう。あの青髪のせいでバイトをクビにされてしまった目の前の女がひどく不憫でならない。あの絵に描いたようなロクデナシのせいで落ちぶれていくにはあまりに勿体ないと感じる。それが同じ思いだということは、寧々の隣にいる由加の表情からも感じられた。だが仲間である由加はそれを口に出すことはできないのだろう。寧々が選んだ男であるのなら認めてやらざるを得ないと。



「自首、したわよ」
「………へっ?」


 意外な言葉の後に、寧々は語った。サトシ(青髪)はレッドテイルに入るキッカケを作った男なのだと。高校時代、ずっと会うことはなかったけれど、それは少年院に入っていたからで、その時の罪状も覚醒剤関係だったらしく結局クスリからは離れられない男なのだと。その声色はひどく呆れたような響きを持っていたけれど、やはり彼という男を捨て切れない気持ちは伝わって来た。だからこそ、寧々は数日という短い期間であろうとも匿ったのだろうと神崎は思う。
 神崎が病院に運ばれてからすぐ、寧々は向き直って言った。
「あんなことしても、何の意味もない。神崎が言った通り、クスリ止めるために自首してから考えなよ」
 言葉とほとんど同時の平手打ちが効いたらしい。「ごめんな」という言葉と共に男は自首したらしい。情けない男の顛末を寧々は日に2回も見たということだ。



「はぁん、…なら俺のほうがよっぽどイイ男じゃね〜か」
「負けたクセによく言うわね。じゃ、アタシ帰るから」
 立ち上がる寧々の後を追って、由加が立ち上がった。2人がいない病室は神崎だけの空間になる。それがひどくさびしいものに感じられた。何よりこの病室は1人が寝ているにはあまりに広すぎるだろう、と思う。そう感じたのは神崎自身が弱気になっているからだということをまだ解れない。近くにあった、立ち去ろうとする女の裾を黙って掴んだ。ほんとうは必死だった。
「待てよ、パー子。まだいいだろ」


********


「何ッスか。神崎先輩」
「や。何となく………」
 引き止めはしたものの、とくにこれといった話題も思い付かなかった。何より自分がカッコワルスギイタスと思っているのに、どう話していいものやら今日の負けっぷりについて、なんて一番語りたくない話題だし…とモゴモゴする神崎を見ては呆れたように見遣っている由加と目が合う。この部屋に寧々はもうおらず、神崎と由加の2人きり。
「パー子、巻き込んじまったな」
 パー子じゃない、と前置きをしながら別にいいッスよ、と由加は答える。炊きつけたのも由加であったからだ。しかし後悔はしていない。寧々と寧々の彼氏サンが自首という形に落ち着くことができたし、それで安心しているらしい寧々の様子も由加にとっては安心できるものだったからだ。これほどに落ち着いていられるのは、寧々の過去の話を聞いたことがあるからだ。だが、それを神崎は知りはしない。これだけ顔を腫らして知らないなどと神崎もきっと納得しないだろう。そう思って由加は話すことにした。寧々の過去のことを。寧々だってそうすべきだろうことは分かっていただろう。
「寧々さんの彼氏サンのこと、神崎先輩に言っておきたいと思って……」
「うん?」


 由加は数年前の記憶を辿る。
 こまかい話は聞いていない。けれど衝撃的だった話だから寧々の彼氏の話はよく覚えていた。まぁカレカノとかいう話に興味もあったからだとは思うのだが。それはさておき、寧々がレッドテイルに入ることになった理由が青髪の、例の彼氏にあるということ。そしてその男の魔の手から葵が寧々を救ったということ。それからというもの、寧々は葵にホレ込んでレディース入りを志願したのだと言う。
 他は断片的な話としてしか聞いていない。寧々の彼氏は暴力男だった。クスリをやっていた。寧々にベタボレでよく連れ歩いていた。少年院から出てきた男である。根は悪い男ではないのにと寧々はボヤいていた。葵は暴力を止めるために出ていった。大事にしながらもDVという矛盾した男だった。

 その話の、ほんの冒頭の一部が話し終わった時に、神崎はつまらなさそうに由加に両腕を回した。由加はどこまで話したろうか。まだほんの一部しか話していない。そして神崎に対して何かを言ったわけでもない。なのにどうして神崎は由加を抱き締めているんだろう? 状況が理解できなかったが、力云々を言うには相手はあまりに怪我人過ぎた。
「……か、ん崎先ば、い……?」
「別にいいだろ……。オメーは、俺のファンじゃねーか…」
「ファンってなんスか…っ、」
 本当は逃れることはできた。けれど、腕に滲む血の痕を見ムリヤリに逃れることはできない、と由加は思ったのだった。寧々のために身体を張った傷をムゲにはできない。力を入れる腕が痛々しく映る。どうしてこの瞬間でも己の身体を痛めつけるみたいに動くのか。それ程に胸が痛んでいたりするのだろうか。由加はその痛みを和らげてやるために神崎の背中を優しく撫でてやる。その瞬間、神崎から身体の力が緩められていく。
「俺ぁ今日、オメーを抱いて………寝る」
 強そうな言葉とは裏腹に神崎は寝息を立て始めた。言葉どおりに由加を抱いて寝たのである。他人の体温に落ち着いたかのようにすーすー、と。



 面会時間どうこう言いに来た看護師に慌てて理由を説明した由加は、夜の十時に神崎から解放された。親に怒られることはないがイソイソと帰って行った。だが看護師が語った言葉が印象的だった。
「こんなふうに安心して眠った神崎くんを見たのは初めてです。よっぽど、人恋しかったんでしょうね」
 看護師の言葉がすごく意外だった。いつも誰かに囲まれてへへん、という感じで笑っている神崎の姿が印象的だったから。もし本当に看護師の言うように神崎が人恋しいと思っていたとしたのなら、今まで囲っていた仲間たちの姿はいったい何なのだろう。あのへへん、とした笑顔は何だったのだろう。そう思いながら呟くように返した。
「先輩は、さびしがり屋さんなんッスね」
 さびしがり屋、という言葉と一緒にある人の姿が浮かんだ。大森寧々の、その強がった姿を頭に思い浮かべていた。ああそうか、彼らはよく似ているのだ。生き方と、意地の張り方。よく分からないけれど、由加の胸は小さくにぶく痛んだ。

11.09.06

神崎入院編が完了しました!
入院期間が短いのは原作を読んでいる方なら当然でしょう(笑)!

このシリーズは元より神崎と寧々で書き始めたはずなんですけど、なんか神崎とパー子っぽい感じですね(笑)なぜでしょう??
つーか関係ないけど泣きべそかく神崎が受けっぽい!!!!!や。神崎は喜怒哀楽ハッキリしてるでしょうって思うから泣くわ笑うわ、って感じなんですけどね。でもあんまり女の前とか仲間の前では泣かないようにしてる。ついでにヒトの前では泣かないようにしてる。だってカッコワルイから。単純でいいなあ神崎脳。

2011/09/06 23:13:26