三度目の恋の材料
(中)


「よう」
 早乙女先生が声を掛けてきた。見知った顔だったから驚きはしなかったけれど、続いた言葉には思わず息を呑んで顔面に拳をガッツリ入れてやるぐらいでないと気が済みはしない。生徒として当然の返答を返しながら教室に入ることを思う。昨日、ぼろ雑巾のようになってしまっていた東条が今どんな状況であるのか分からないことに不安を感じる。だがそれを口にしても、表情に出すこともしていない。ただ事実として静の脳内にあるだけのこと。しかし、
「昨日はイイ感じだったじゃねぇかクソッタレ。どこまでいってやがんだエロガキどもが」


*********


 静はいつもと変わらぬ表情で授業を受けていた。石矢魔とは教室も違うので東条の様子も他の生徒の様子もあまり分からない。気にはなっていたけれど、わざわざ確認しにいくにはあまりに不自然な気がしてそうできない自分が悔しくも思えた。
 というかむしろ東条が学校に来ている方が可笑しいのだが、きっと単位のために彼は来るだろう。昨日の時点では意識はなかったものの、いつもあの通りの脅威の回復力を誇っているのだ。きっと東条はいると信じて疑わない。もしかしたら保健室にいるのかもしれない。保健室に行くのはあまり不自然ではないだろう、と思いながら休み時間に向かってみる。

 保健室に近づくにつれて、やはり気にし過ぎではないだろうかと溜息すら洩れてしまったが、もうここまで来てしまったのだから帰る方が可笑しいだろうと思いつつ、保健室の扉を開ける。ガラガラガラ。「―――アレ?」見覚えのある顔がそこに並んでいた。
「よぉ、可愛いモンじゃねえかクソッタレ」
 また会いたくない伝説の教師に遭ってしまった。嫌な時には遭ってしまうものだと肩を落とす。そして手当てをされている東条と、手当てをしている邦枝がいた。保健室には似つかわしくない血のニオイが充満しているのは東条の怪我のせいだ。
「別にいい。ナメときゃ治る」
「背中とかお腹なんてナメられるわけないでしょー」
「む」
 手慣れた手つきで邦枝が強引に手当てをしている。早乙女先生が呆気にとられている静を手招きして呼ぶ。呼ばれた以上無視するわけにもいかず、黙ったまま先生の隣の椅子に座った。ちらと見遣ると傷口がまだ塞がっていないらしく、邦枝が外している包帯は赤黒く変色してひどく痛々しい。
「先生、今までどこに行っていたんですか?虎は、先生のことを探して…」
「おい、ありゃ2人がかりのほうがいいんじゃねえのか」
 早乙女先生がアゴをしゃくって手当ての様子を指す。確かに邦枝は苦戦している。虎の扱いには慣れている自信はある。立ちあがってぐい、と東条の髪を引っ掴んだ。2人ともワァワァしていたため静が来たことには気づいていなかったらしく、少し驚いた顔をしている。そんなこと構いはしない。静御前と影で呼ばれる冷たい笑みだった。
「さっさと手当て、終わらせましょう」
 

********


 静の言葉どおりにことはテキパキと運んで、東条の手当ては数分の間に終わってしまった。最後にパァン、と強く背中を平手打ちしてやれば東条はその痛みに硬直すること数秒。その様子を見て邦枝が呆けたような表情をしながら静に言葉を投げかける。
「あの……、えと、七海先輩。東条、先輩と知りあいなんですか…?」
 ふと思ったことだった。何より保健室に来て東条を手当てするなど、石矢魔最強と言われ続けている男にそんなことをしようとする女子は他にいるはずもないだろう。というより東条には女っ気というものがない。それも当然だと思う。東条という男と邦枝は会話をする機会はなかったのだが、こうやって聖石矢魔で同じクラスになってしまえば話す機会もおのずと増えてくるもので、人柄も少しずつ分かってゆく。どうしてこの男が最強などと言われていたのだろうかと思う程に、性格は温和で苦学生。けれど異性に興味がある素振りもなくただアルバイトのために学校からはいそいそと姿を消すことが多い。強い、だが弱い者いじめのようなことは断じてしない男であるということはよく分かった。
 そんな東条であるからこそ、静のような大人しそうな女性が知り合いであるというのは意外なものだと思ったのだ。不躾だったかもしれない。表情のない静の顔が邦枝の目に映る。不快そうな表情ではないことが逆に不気味だ。
「…まぁ、幼馴染ってところ。」
「はぁ」
 邦枝が気のない返事をしたのは、返事をした静の表情に一端の曇りのようなものが見えたような気がしたからだ。だが、瞬きの次に見た静の顔は、最初に見た時と変わらない威厳のあるものだった。今は六騎生ではなく弓道部にすら所属していないただの引退した3年生であるけれど威厳は失われていない、そんな表情をしていた。きっと一瞬見えた翳りのある表情は、邦枝の気のせいだったのだろう。そう思うことにした。ただし、邦枝は武術を学び実践しているが故に瞬間のことも見逃さない天性の目を持っている者なのであるが、そんなことは邦枝の気分次第で映りも変わる可能性がなくもない。彼女もまた、ただの高校生であるのだから。
 手当てが済めばスッと立ち上がる静。背を向けている。東条はその背中を見ている。痛みの収まりつつある身体を押さえながら、決して正常ではない頭を働かせる。手当てをしてくれた相手に向けて送る言葉。それは、
「またな、静」
 礼の言葉はまったく思い浮かばず、背中を向ける静にそれだけ東条は放った。まるで突き離すような言葉。加えて、発された言葉には特別に込められた感情の色はない。そんな言葉を聞きながら顔も見ないで軽く手を振って静は保健室から去った。
 なぜだろう、邦枝の胸がずきんと痛んだのは。


11.08.31

東条&静

今回は禅さん編として挿入したものですが、禅さん&葵編って感じですかね?
最後に禅さんにシメてもらおうと思ったら、しっかり葵がシメたのでやめときました。

このシリーズ(?)は上中下で終わる予定です。次はあの六騎生が出ます!
とか書いてる意味ってあんまないんだよね(笑)

今回の話、実は東条を手当てする葵を見て複雑な気分になる静を書きたかったんですが、あまりに文章がウンコすぎて伝わらなかったので途中で投げ出しました(笑)もう諦めですよね。せつなさとかまったくありません。どうでもよし。

クロエ

2011/08/31 00:38:04