14.


 あ。と神崎が思った時にはもう遅かった。腹筋のみの力で青髪の男は立ち上がり神崎へと迫って来ていた。神崎が気付いた時には青い髪がフワリと近くで揺れていた。青い、と思った瞬間に相手からの拳が神崎の胸元を抉っていた。思ってもいなかった衝撃に対応しきれず、神崎は呻きを洩らしながらにその場から少々仰け反りつつも、結局倒れた。
「さっきのじゃ、足りなかったみたいだね……。カンザキ、君。だっけ…」
 先に見たGパンの二の足が見えた。途端、相手からの蹴りが放たれる。放たれ続ける。先よりも激しい動きで、ドガドガと倒れたままの神崎を狙って繰り出され続けた。前に打たれた同様の攻撃の際は逃げる場所があった。カッコワルイとかイイとか関係なく、ただ神崎はその攻撃から逃れるためにゴロゴロと音を立てて地面を転げたのだ。しかし、今その地面は舗装されてはいるものの我々人類が歩くための地面だ。舗装されているがやはり舗装が行き届いていない場所では裸足で歩くこともできない程の凹凸がある地面である。痛みを無視すれば転がることも可能と思い、神崎が転がろうと決心した瞬間、それを揺るがすかのように青髪からの踏み付けによる容赦ない攻撃がざんざんと振り注いだ。
 近すぎるものは神崎には見えなかった。しかし遠目に見えるものは目に映る。ああ、と神崎は意識の中で唇を強く噛む。まったく情けない男であると、女の1人や2人を守れないのが何であるのだろうか、と。そう思ったのは遠目に映った寧々と由加の姿のせいである。それに加えて、神崎の仁義とかそういった古臭いものを大事にする心に他ならない。
 踏まれながらに思う。相手の力はやはり常人を超えている。それは、クスリというものを使った結果だ。人間というのはセーブしながら生きているはずだ。抑えなければ全てを使いきってしまうからである。普通の人間であれば使いきってしまうことで何らかの損失が生じる。つまりは社会的に必要とされているからであるが、それを感じることができないのは「自分は必要ない人間である」という認識がある、もしくは「(正気ではないから、もし必要であっても)気づくことができない」ということである。もちろん細分化すればその二つには当てはまらないこともあるのだろうが、単純に分けて要る・要らないという差であろう。セーブできない人間は、こうやってクスリに頼って生きている結果か、すべてから要らないと言われ続けた憐れな人間、のどちらかだ。
 確かに今のこの男を必要とする何物もない。ヤクザにすらクスリ漬けの人間は棄てられ、裏の世界からも居場所を無くす末路は、父から何度か吐き捨てるように聞いたことがある。それでも過去は必要とされていたのだと感じる。それを寧々が見捨てることなく、更生の道を進ませようと気苦労を募らせていたのだろうということも。だがヒトを足蹴にしながらこの青髪はまったく分かっていない。どうしようもないヤツだろうと、捨てない女がいることがどんなに珍しいか。どれほどにすばらしいことなのか。そんなことを知りもしない相手に負けるわけにはいかない、そう強く思う。

「…ッんの、ウスバカ野郎ォッ!」 
 渾身の力を込めて青髪が調子づいている足にしがみつく。もはや神崎などグロッキーだろうと思っていた青髪は驚いた顔をしながら受け身をとることもできずにその場へ引きずり込まれるようにもんどりうって倒れてゆく。今度は神崎が攻める番だ。起き上がろうとする相手にまず一撃、自分へもダメージはあるかもしれないが今はそんなことを言っている場合ではない。思いきり頭突きをカマしてやると、相手の顔に気持ち良くヒットした。すぐに答えは鼻血となって垂れ落ちる。効き目はどうあれ、見た目は立派に怪我人だ。そのまま間を置かずに青髪の胸倉を掴む。きっと服が伸びてしまうでしょう、というぐらいに強く。
「テメェはなんも、分かって、ねェッ!」
 肘鉄で一撃。しかし胸倉を掴んだまま離そうとしない。
「大森は、テメェみてえな、クズを心配してんだッ!」
 さらに肘で追い打ち。掴んだまま神崎が馬乗りになる。
「心配してもらえて、庇ってもらえて、当たり前なんかじゃねえ!ヤクの臭いプンプンさせやがって……」
「うっせーーー!!!!! 知ったふうな口叩くんじゃねえガキがあ」
 殆ど年齢が変わらないであろうイマドキの若者的な青髪男から気が違ったかのような絶叫が響く。馬乗りになっていたはずの神崎の身体が浮く。思っていた以上に尋常な体力ではない。これは相当漬かっている。麻薬の漬物だ、うえ、不味そう。などと考えられる余裕もなくまだ腰を下ろした状態で蹴りを食らった。しかもバッチリ顎に決まった。後ろに仰け反ったと思えば浮遊感、吹き飛ばされているらしい。と思ったら背中に激しい痛み。そのまま地面へ仰向けに倒れたのだ。呼吸も苦しいぐらいに衝撃のせいで喉がひゅうひゅう、と鳴っているのが情けない。ついさっき青髪をブチ倒すと思ったのに、願ったのに。
 歯を食いしばる。ぎりぎりと歯ぎしりを立ててまでそうしなければ苦しさと痛みに口が開いてしまうのだ。下腹に力を入れる。ずきりと強く痛む箇所があった。今回のケンカで骨の一本や二本は折れているだろうがそんなことはどうでもいい。地面に手を付いてから立ち上がる。もう元気よく腹筋の力だけで起き上がるような芸当は無理だ。口の中に溜まった唾を吐き出したら、歯が折れていたらしい。カランと音を立てて街灯の下の方へ転がって行く。前歯じゃないよな、歯医者行かなきゃなぁ、などと青髪に睨み利かせながら思えるのはもしかしたら頭がよくなった証拠なのかもしれない。それとも逆か?
「嫉妬に、狂ってんじゃ…ねぇよ…。大森は俺のオンナじゃねえ」
 神崎は青髪をさらに追い詰めるためにふらふらとした足取りで近寄って行く。殴ってやるとか蹴ってやるとか、こう攻撃されたらこう返そうとか、そんなことを頭の中では文字に表したらグジャグジャになるくらい考えているのに、歩みはバカみたいに遅い。それを苛々した面持ちで青髪は睨みつけている。もちろんヤク漬けの頭では憐れむ気持ちなどないのだろうが。かなり接近してから左腕を気合いで上げて振りかぶった。
 神崎当人としてはありったけの力を込めたはずだったのに、やっぱりと言うべきか振られた腕を簡単に避けられ腕を掴み捻り上げられる。ぎりぎりと肉が軋む音がする。耳の後ろの方で腕がおかしな方向に曲げられているから聞こえるのだ。耳障りな音だから聞きたくない。なによりひどく痛い。神崎の苦しそうな呻き声が辺りに響く。
「んでぇ?ナニが言いたかったの、おたく」
 力が出ないと思っていた身体は軋みに喘ぎながら、それから逃れんとしてじたばたしている。まだ動けるらしい。勝てると思った青髪は急に力を抜く。気を失う前に神崎が言いたかったことを聞いておきたかった。単純にそれだけの話なのだが。腕極めを緩められるのと同時に神崎の呻きも治まる。数秒の間ぜぃぜぃはぁはぁ、と神崎の激しい呼吸だけが周囲を満たす。
「…やらねぇよ。」
「はぃ?」
「俺のじゃ、ねぇけど……テメェなんざに大森は、やらねえ…!」
 極められた腕を相手の身体ごと持ち上げる。急に浮き上がる身体に慌てて逆に男は神崎の腕に縋るような格好になる。そんなことはお構いなしだ。神崎はすぐ下の地面へと男を腕ごと勢いよく、もちろん相手の体重も相まって、強くつよく叩きつけた。途端、腕極めは外れた。もうこの腕はしばらく使えそうにない。だらりとしたまま痛みだけを訴える腕は今この時にはひどく邪魔だったが、そう文句ばかり言ってもいられない状況だ。叩きつけた相手に重なるようにして、神崎も身体を倒した。まだ動けると思っていたもののやはり長持ちなどするわけがないのだ。もはや意識も泥沼に消えていきそうなぐらいに疲れている。辺りは暗い。身体が持ちあげられるような感覚はあったものの、神崎の意識は次第に闇へ堕ちていった。この瞬間、痛みから解放される。



********


「ったく、面倒臭いわねぇ」
「つーか重いッス、神崎せんぱ〜〜い…」
 泣きごとを言う女2人聞き覚えのある声と、揺れているらしい身体。はっと目を開ければ例の女2人に両肩掴まれて引きずるように歩かされている。オイオイ大の男、しかもあの石矢魔高校のアタマを張っていた神崎一様サマが女に担がれてるなんてまったく情けない。情けなさ過ぎてどうすればいいのか分からない。とりあえず足を地に付けてみた。もう由加と寧々の力に頼ってはいられない。そこでやっと2人は神崎の意識が戻ったことに気づく。神崎は確かに立ってはいるが顔は下を向いていて見えない。俯いたまま顔を上げようとしない。本当は情けない自分にどんな顔をしたらいいのか分からないだけだ。
「……神崎」
「俺、大丈夫だから、よ」
 神崎は平気と言いながらそれを実演してみせようと足を踏み出す。顔は上げないままで一歩、前へと踏み出す。しかしギシギシと骨が軋んだような気がした。体じゅうが痛む。堪らず呻きは押さえたものの、身体は支えきれずにぐらりと前のめりに倒れていく。それを予想していた2人はがっちりと神崎の身体を支えてやる。まるでそうすることが当たり前のように。2人の顔が近い。途端に2人が笑いだす。



「プッ、やだなぁ神崎先輩」
「なにも泣かなくったっていいでしょ〜」
「………るせ」
 男が泣いたなんてバカみたいだ。というかこのクソアマども、本当に空気読めよ!他人のことどうこう言う前にてめえのKY直せっつーの。と思いながら神崎は声を詰まらせる。これだけボロボロにやられていて、その上女2人に担がれてるなんて本当に情けなくて涙が出てくる。ついでに、このミイラ取りがミイラになったという状況。助けるはずが助けられるなんてカッコ悪すぎる。勝つ、と心の中で決めて向かって行ったはずなのに、絶対に負けたなくないと思ったはずなのに……それでもどうしても、勝てなかった…それは悔しいし、ひどく情けない。存在自体がぼろ雑巾みたいだ。チクショウ、ちくしょう、畜生…。言葉は泣き声になりそうだから出てこない。というか、出せない。ぐ、と息を呑む。
「さ、ココでいいよね」
 近くにコンビニがあるのは気に食わなかったが、神崎は優しく2人の身体から下ろされるような格好。神崎を下ろしすぐさま寧々がケータイを取り出し救急車を呼ぶ。目印になり易い場所まで移動してきたのだと由加は神崎に教えてくれた。ケータイで場所を説明する傍ら、神崎の腫れた目の辺りに冷たいハンカチを押しつけてくる由加。それがなんともいえず気持ちいい。他の場所の痛みや疼きや熱さは飛んでくれないけれど、薄まるような心持ち。実際何も変わってはいないが。
「神崎先輩。さっき、カッコ良かったッスよ」
「……………」
「泣いててもカッコ悪くないのは、男気通したから、じゃないッスか」
「ハッ、ナマ言ってんじゃねえ、パー子のクセによ。」
 この状況では素直に喜べない。バカにされているような気もする。カッコ良かった、と言われて不快ではないながらも激しい猜疑心が働いてしまうのは、近頃の不運が祟ったせいで脳内ヤサグレまくってしまったのか。答えは出ないけれどふと気付く。そういえば青髪の野郎は結局どうなったのだろうか。それを聞こうとしたら、道に救急車が到着して寧々と由加がこの人です、みたいなことを言ったのは聞こえたがすぐに担架で運ばれてしまって、あれよあれよという間に乗せられた救急車の中で寧々と由加の見下ろす顔を見ながら再び意識を手放した。


 気を失う直前に見る女の顔。観音菩薩のように見えてくるのが不思議だ。どちらも暴力的でガサツで可愛くないクソアマであるはずなのに。観音様を見ながら気を失うのもそう悪くはない。神崎はそう思った。



********



 神崎の視線の先には、ぼんやりとした見慣れない電気が見える。今は何時か分からないけれど、電気が煌々と付いている辺り、夜であることには間違いがないのだろう。近くに誰かいる。とても和むような懐かしい気持ちが流れ込んでくる。視線を気配がする方へとゆっくり映していく。
「…ごわぁ!」
 そこにいるのは話の流れ上、間違いなく由加か寧々であるはずなのに、それをアッサリと裏切ってムサイ面を下げて城山がいるではないか。思わず城山にキックしながら逃げるようにベッドから起き上がろうとした。が、身長の高い神崎は滑る距離間に合わずゴツッとベッドの縁に勢いよく頭をぶつけて起き上がる前に痛みに身を縮こまらせた。そんなに驚かなくても…、とばつの悪そうに城山が介抱に手を伸ばしてきた。先程と同じように神崎をベッドの上に寝かせつける。空調の効いた室内ではそうそう分厚い布団は要らないのでごく薄いものが掛けられている。
「城山。…治ったらお前、とりあえず俺に殴られろ」
「………はい。」
 観音とか菩薩とか考えていたことは口にはしないけれども、起きた時に城山がいるのは如何なものだろうかと考える。それが理由で殴るだの殴られるだのといった話はムチャぶり以外の何物でもないのだが、それを納得せずとも、甘んじて受け入れる城山には本当に甘やかされているなぁ、と神崎自身も感じる。だが、それがすごく居心地がいいのだ。
 ムサイ男のことを思いながら、今度は「気を失う」のではなく、やっと「眠りについた」。やはり、観音菩薩よりも仲間の方がしっくりくるものなのだ。



11.08.26

あっしの誕生日小説がこれって……(笑)ぇえ?!
や。たまたま書きあげたかったし休みだっただけなんすけどね。


大学生神崎と寧々のシリーズ、もちろんこれで終わりではありません。
そして城山まさかの登場。というかイイトコで出るよね城ちゃん。

あ、ちなみに深読みするとおおって思うセリフとかが出てますが、そんなに深読みされてもあんまり意味はないと思われます。ハイ。

そーいや、こういうのって一話ずつ後書書くのってどうなんだろ…
あんまり書いてらっしゃる方、いないですよね。後書って個人的には読みたいものなんですが、一話ごとっていうのは邪魔でしょうか?などと誰かに聞いてみる。

2011/08/26 20:50:01