12.


 無遠慮に近づいたアパートの建ち並ぶ風景。どの地域でも見かける光景に違いない。ぱっと見てさして目を引くものがあるような風景などではなかった。ありきたりな光景には何も感じることはない。ただ、アパート近くで青い髪で後ろ髪の長いタンクトップの男と、数人のトッポイ男らが話していた。その男らはすぐに解散したらしいが、青い髪の男はぼんやりとソコに佇んでいた。もう日も暮れていたので夜空を見上げていたのかもしれない。見上げた夜空に星なんてものは見えるはずもないが。青い髪の男は横顔だけを見るとひどく二枚目に見えた。この男がどうしてここにいるのだろうか。近くのアパートに住んでいるからに違いない。
 由加の足が止まったのは青い髪の男の様子が街灯に照らされてありありと映し出されるようになってからだ。男の姿を見た途端、由加は雷かなにかに打たれるかのようにピシャリ、と時を止めてからすぐに神崎の元へと踵を返してきた。急にピッと伸びた背筋を気味悪く感じた神崎は眉を顰めて何があったかと聞いた。雷に打たれた=恋に落ちた などという昔の少女漫画によくある法則は現代では使えないらしいことは、目の前の相手のひどい顔色でよく理解できた。ちなみに、顔色が悪い理由については神崎も由加も、まったく聞いていない。そして顔色が悪いことを認識する前に神崎はツカツカと青髪男の前に寄って行った。注意事項やらなんやらを気持ちよく無視している、という状況。
 神崎が近寄った時に思ったのは、ほんとうに「今風なオトコ」であるということを感じた。確かに神崎自身は古風であることは認めざるを得ない。今時、義理だ人情だと構え直す若者などいないのかもしれない。けれどもそうした一本気な男に惹かれる者が少なからずいるということを、神崎は知っている。そういった古き良き時代にハマる男がどういったタイプであるか、それも神崎は理解していた。目の前の男が上記のような状況であったとして、順応できるのかどうかということすらも神崎は理解していた。学校の勉強はできずとも己の周囲に対する洞察力はそうそう低いものではない。
「スンマセン、ソコの兄サン。大森ってコ、知ってますかァ?」
「…や。知らねッス」
 青髪が用なしと思ったのかそれだけ答えるとすぐに神崎の目の前から去ろうとする。もしかしたら神崎組の息子だということを知っていたのかもしれないし、単に帰りたいだけなのかもしれない。(とんだ見当違いってヤツだな)と神崎は呆れたように鼻で薄く笑う。寧々の家は分かったのだ。この青髪と別れてそちらに向かうべきと判断し、由加に向き直ろうとしたその瞬間、風の鳴る音がヒュゥン、と響いた。と同時に神崎は腹に強い衝撃を感じてそのままひっくり返るように倒れた。
「……がっ、…ふ…!…」


 起き上がる際に見えたものは神崎の口から吐き出された、点々と零れた血の痕。寧々のアパートの前にあたるこの道には似つかわしくない、仰々しいものであることには違いない。だが、このような血液の染みというものは神崎にとっては懐かしさすら覚えるもので、驚きすらあれこそ恐怖というものは全くない。ただ目の前にいる青髪を倒してボコボコにして泣きっ面晒させてやりたい、そう感じるばかりだ。殴られた腹を押さえて立ち上がろうとする。しかし神崎が思っていた以上に効いていたらしく、足腰には思ったように力が入らないといった体たらく。情けない、と思いながらもここ2年程の己のケンカ歴を考えれば腕が鈍るのもしかたがないのかもしれないと納得せざるを得ない。大学に入ってからというもの、面倒を起こすつもりもないしつまらないしでイイコトもワルイコトもなにもしていなかったように思う。だからこそ先の停学が事件にまで発展したのだ。
「……ッ、く、ゥ……テメ、大森、知らね、って…言ったろがよ…!」
「もしかして、おたく『カンザキ』とかってヤツ?言ったろ、寧々は俺の女だ、って」
 内容で電話で話した男だということは理解できた。騙されたのはコッチの方で、甘く見ていたのかもしれない。腹をさすりながらゆっくりと青髪に向き直る。もう一度咳込むと血が混じった痰が地面にぴしゃりと落ちた。それを見て青髪は冷たくも残忍な笑みを浮かべながら、ゆっくりと相手は神崎に向かって悠々と歩み寄ってくる。相手は容赦なく抑えた手の上から神崎の腹を蹴り上げてくる。的確な攻めはケンカ慣れしている証拠。神崎は堪らずのけ反って後ずさりながら次の攻撃に備え身構える。しかしそれ以降攻撃をしてくる様子はなく、にやにやとした冷たい笑いを神崎に向けてくるだけ。しかしその目つきは尋常なものではないように感じられた。
「………ッ、嫉妬深い野郎は、女にモテ、ねぇぜ…!」
 神崎はそう相手を指差し言ってやる。由加が言った言葉が頭に残っていたし、目の前の男の態度そのものが嫉妬に狂った情けない男のものであったから。そしてそれがあまりに見苦しいものであったから。笑った表情の青髪男に何度も腹を蹴られた。同じ所ばかりを狙って来る。もしかしたら相手はケンカにはそう強くない男なのかもしれない。ただやり方が汚いだけの弱虫かもしれない。そう思いながら最後に、寧々の声を聞いた気がした。家が近いからほんとうに聞いた可能性もあるけれど、聞きたいと願っていたのかもしれない。真実は分からないが、そう悪くはないように思えた。


********



 気を失っていたらしい。情けない程に弱くその場に倒されて、目を開けた先には大森寧々、その人がいた。夢かとも思ったけれど薄ぼんやりと開けた目を見ては飛ぶように神崎に寄って来た彼女の姿は本物であることに間違いなかった。その際にフワリと優しく触れた両の手が腫れた頬を包んでくれた感触は確かなものだったから。
「おー、思ったよりタフだねカンザキ君。…寧々、どけろ」
 青髪が寄ってくる。どうやら神崎は腹への数発を食らって伸びていたらしく、その間に寧々と青髪が済むアパートに連れて来られたらしい。相手も怪我人を放置しておく程の根性はないようなショボイ男だということだ。それを思えばヤクザ家業を継ごうとしている神崎としてはお笑い草。青髪がどうこう言おうが笑い話に見えて仕方ない。それ以上に、近くにいる寧々が心配そうに眉を顰めている表情で見つめていることの方が数倍、気になって仕方がない。彼氏以外の男を心配している女を見てしまえば、嫉妬に狂っているらしい男の姿などひどく哀れなもの以外ではなくて、まだ身体に力の入らないでいる神崎の短い前髪を乱雑に掴む青髪の二枚目顔すら哀れに見えた。こんなに力任せにしなくとも神崎はまだ動けないでいるのに、と。
「ヨユー面してんじゃん?マ、俺には効かないけどね」
 神崎のトレードマークである左耳から下唇へと続くピアスの唇側を力任せにぐいと引っ張った。ぐち、と低い肉の音みたいなものが耳へ届く。そういえば耳と口は意外に近いものだ。ぶち、ブチブチブチッ、ブツッ、と低く肉が千切れる音が数十秒程遅れて神崎の耳に届く。それと同時に口の舌からドクドクと血が流れているらしい温かな感触とか、口の下の穴が開いていた所からの熱の様なものと、痛み。そこから分かる下唇に開けたピアス穴を無理矢理に引きちぎられたという事実。タトゥーの入った肩がゆらゆらと揺れ、その脇に青い髪が忌々しいばかりに揺れている。肩の動きと同じようにゆっくりと。ひどくスキだらけの動きであるはずなのに、神崎の身体は思うように動いてくれなかった。どうやら最初に食らった一撃は本人が思う以上に効いているらしい。
「大森。…青髪の野郎と、ヨリ戻ったのか?」
「そうだよ。」と男の声が答えたが神崎が聞きたい声ではなかったので無視をしてもう一度同じ問いを投げかけた。寧々の姿は神崎には見えなかったけれど、視線をあちこちに動かすとそれらしい姿は目に映った。どうやらアパートの一室の中、青髪の暴力に恐れて縮こまっているかのように見えた。由加の姿は見えないのでうまく逃げたのかもしれない。もう一度神崎は寧々が座っている方向へと視線を戻す。
「大森、オメエに聞いてんだ。…答えろ」
 寧々が口を開こうとしていた矢先、青髪からのハードパンチが神崎の頬へと鋭くヒットした。肉がぶつかる音すらしない。ゴツっという冷たい音とぐらりと揺れる身体がひどく腹立たしい。青髪ごときにやられる身体ではないはずなのに、と何度も神崎の脳裏に己の声が響く。この程度の一撃で倒れてたまるかよ!
 どうしてこんなに脳みそ揺られているみたいに効くのだろうかと思う。男鹿の拳で吹き飛んだことが何度もあるけれど、気を失ったのは屋上とか地上数階という場所から飛ばされたからであって、拳自体の威力云々という問題ではないと神崎は思っている。ならば今これだけぐらついているのは神崎自身が弱くなっているせいか、それとも……
「テメェ………、グズ野郎、何隠してやがんだクソが…!」
 ぐらついた頭をなんとか振り切って青髪の自慢の拳を引っ掴む。よくよく見てみればタンクトップ姿なのにグローブをしているなんて全くおかしいではないか。グローブというのはDAIGOばりの掌にフィットするような形のアレである。こんな物の中になにかを隠すという芸当ができるとは到底思えなかったが、外れようが当たろうがどうでもいい。そう思って相手に掴みかかっただけのこと。聞かざるを得ない程にちらと見やった目の先の、神崎自身の胸元を汚す赤黒い血が哀れだったことも理由の一つだ。
「メリケンサックがグラブに埋め込まれてるようなモンさ。見破るなんて流石」
 拳をキュッキュと磨くように動かしてからもう一度振り下ろす。青髪は優しい顔をしてひどく残忍な攻撃をする男だと薄れゆく意識の中、神崎は恨めしく思った。薄れゆく意識の中、胸に鋭く痛みが走ったせいで意識はまた寧々の部屋の中へと戻ってゆく。理由は分からないが軽蔑するような眼差しで青髪は神崎を見下ろしていて、もう一度、もう二度、と数回に渡って拳には劣る蹴りを数回繰り返してくる。蔑みの言葉の中にその表情の意味を理解する。
「テメェエ…、汚ェ野郎だな。テメェの反吐ぐらい掃除しやがれクズが」
 思っていたよりも数段効き目の薄い蹴りを受けながら、お前が殴ったり蹴ったりしなきゃ俺は吐いたりしねえんだよバカが。と思ったのは口にする前に行動に現れていた。相手に向かって寝た格好から腹筋と身体のバネを使った攻撃。勢いよく起き上がりながらこの辺りに相手の顔面が来るだろうという予想の元、素早く頭を振り抜く。相手よりも素早く相手よりも少しでいいので長い距離を振り抜く必要があった。がつん、と鈍い音と共に男の呻き声が神崎の耳に届く。そのまま身体を前のめりにすると力も要らず青髪は後ろに片手を付いて、もう片手は鼻っ面を押さえた格好で動けないでいる。その姿を見れば充分だ。もう一度同じ問い掛けを口にする。
「大森ィ、オメェはコイツとヨリ戻ったのかよ?!アァ?」



「だからそうだ、って何度も―――…」
 座った格好の青髪に前蹴り。うまく相手は避けたようだったが顔色は先程までとはうってかわってひどく悪いようなものになっている。神崎をザコ扱いしていた男だ、ほんとうにザコであると思ってナメていたのだろう。けれどその辺のザコでつっぱってるようなヤツラとは違うのだ。邪魔なものは全て力で排除してきたのだ。その力は伊達ではない。
「違うよ。アタシはサトシに自首してよ、って………ヨリ戻すとかって考えるのは、償ってからって、何回も言ってる…」
「自首……?」
 頭の悪そうな青髪をもう一度見返してやろうと神崎が振り向き直すと、青髪の方向から再び鋭い衝撃が走った。苦しげな呻きが神崎から洩れる。さっきとあまり変わりない。腹への鋭い攻撃が再びヒットしたのだ。神崎は咳込みながらまた血のかたまりのようなモノを吐き出したのち、逆流してきたものを吐き出した。見る限りそれは形をなしていなくて、血と混じってグジュグジュになった固形物と液体の中間のような物質だった。
「ざけんじゃねェよォオオオ、寧々ェエエェェ!!」
 泣き叫ぶような金切り声に近い男の声と共に、バシバシッと軽い破裂音。息を止めたみたいにひそめられた寧々の声が気の遠くなりかけた神崎の耳に木霊する。気がつけば青髪のすぐ後ろに立っていた。見ようと思わなくともサワサワと揺れる青い髪の毛が忌々しい程近くで揺れている。脇腹にミドルキックを入れたのはもはや、ケンカをしてきた今までの生き方の反射というものなのかもしれない。ただ、ふつふつとわき上がる怒りのカタマリのようなものを神崎は押さえることができなかった。間を置かずに青髪のこめかみに拳を入れ、得意の踵落としをくれてやる。もちろん相手は言葉にならない言葉を唱えながらその場へと沈んでいく。ゆらゆらと消えゆくさまはまるで蜃気楼のようだ。
「マジでやらしてもらって、イイんだよな?…大森」
 のっそりと痛みを気にする様子もなく起き上がろうとする男の傍ら、神崎が静かに再々度尋ねる。寧々は小さく、しかし心配そうに「…ウン、」とだけ頷いた。女心はとても難しいものなのかもしれない。相手がどれだけダメ男だとしても、やはりホレてしまった以上は軽くムゲにはできないのかもしれない。元カレと言っても未練タラタラなのだろう。それでもなんとか悪いことは悪いと決めて頷いた彼女のために、青髪の頭を血で赤く染めることを思う。
「いくらテメェの女だからって、大森に暴力振るった罪は、レッドテイル的に最高デケェぜ、青髪ィ…」
 理由をレッドテイルの名前を出さないと、勝手に誤解されてしまいそうだから少ない脳みそフルスロットル全開でそれだけ言うと、立ちあがった相手に殴りかかった。青髪が痛みを感じていないみたいにニヤリと笑いながら懲りずに出してきた拳の速さはひどく印象的。

 どちらが倒れても構いはしない。
 どちらも自分が勝つまでは勝敗など決しないと信じているのだから。


11.08.20

大学生神崎と寧々パート12(ぇ
とうとう勝手にねつ造しました寧々の元カレ登場しました。

アクション本番は次回に回すことにしましたけど、やはりアクションシーンは滾りますなあ!!
テーマはB’z C’monとサザンの愛の言霊です(笑)

一応寧々元カレとのエピソードはここでは伏せておきます(これから話上分かる予定なので。だってホラ神崎が寧々に連絡先を聞いた話も回想だったしね。回想シーンはあるだろうって話)。

とりあえず次回で元カレvs神崎は決着の予定
つーかメリケンサック、って古いよなぁとか(笑)
一応元彼は青髪のウルフヘアーって考えてます。神崎よりも女ウケしそうな二枚目タイプ。
スレンダーで細い身体に筋肉がボコボコしない程度にのっかってる、っていうマンガアニメ体型。つまりアッシは嫌なタイプだね。

神崎と寧々のラブストのつもりで書きだしたシリーズだけど、神崎が大学時代に起こした暴力事件とその他。みたいなノリになってしまってる(笑)気のせいか…
まぁただのラブストってあんまりおもんないからね。アクションとかハードボイルドの中にあるラブスト程度なら許容範囲だけど、でも青臭いレンアイって嫌いじゃないんだよなあ。複雑ぅ〜〜

2011/08/20 00:57:48