掴めないのは
空気と君の手と8


 停学の理由を聞くだけ聞いて、落ち着いたらしい寧々は「近くまで送る」と言う神崎の身を案じて、玄関まででいいと断った。確かに現在の状況では神崎が外に出歩くということは退学を早めるような行為に他ならない。だからこそ城山も夏目も、神崎の家に頻繁に来ては汚して帰るようになったのだ。それはいいが、見送るのは玄関の、神崎家の敷地内だと言い張る寧々の思いをムゲにできるはずもなく、神崎は家の門の所まで寧々を送り、見送ろうとした矢先、見上げた寧々が神崎に問う。「……しないの?」と。それは遠慮がちに。何を、と聞く前に上目遣いのまま寧々は目を閉じた。どうして、と神崎は背筋に何かが通ったのを感じた。きっとこれは自分の都合のよいようにできている夢の一部なんだろう、と思った。相手がそんな態度なのもきっと自分の願いの裏返しなのかもしれない。けれどもそれについて信じることができなくて、突き放すように相手の両肩を掴んだ格好のまま見下ろしてできるだけ冷たい声を掛ける。今のこの状況で相手が傷付くとか自分が傷付くとか、そんなことなど考えられるはずもない。
「何、してやがる…っ!」


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 気がついたそこは、自分の部屋だった。
「…夢、か………」
 ただの夢ならばいい。自分の欲求不満だと嗤うことができる。
 汗だくの身体はこの陽気を嘲笑うかのように冷えさせていた。それでも、寒くて布団をかぶる、などといったことができる程に冷えていたわけではないが。理由はどうあれ、夢見が悪いことは、寝起きはいいが起きた時の気分はサイアクである。それもこれもすべて大森寧々のせいだ。思うことは自由なのですべて相手のせいにして自分は起き上がる。
 嫌でも夢の内容を思う。ああ、忘れることができればここまで嫌な気分で起きる必要などないはず。嫌な気分のはずなのに、どうしてか分からないが夢精したり、もしくは勃起したりして起きる自分のいまいましい身体を恨めしく思う。これを寧々に見られてしまえば、きっと馬鹿にされるに違いないだろうに。


 あの時、見上げた寧々の瞳を忘れることができない。
 困惑の色に彩られた目をした相手。どうして、と言わんばかりの目を神崎に向けていたように思う。そうであればいいな、と思う神崎の思いがあったせいでそう思われたという意見も簡単には捨て切れないではいるものの、そればかりではないことを神崎は知っているから。
「お前は……………、願ったのか…?」
 その言葉は虚空に消えた。相手の口は何もない。開かない口は、口なんかじゃない。神崎はメールアプリを睨みつけながらそう思う。相手に向けてこのアプリで何かを綴ったことなど、二十年生きていて一度もないのだけれど。神崎は思う。若々しくもないかもしれないけれど『アプリ』が何だ。
 単に知りたかったのは、寧々がキスを望んでいたか、ということ。
 確かに近くの公園でそんなことをした。それはアルイミ事故で。けれど必然で。そして不快ではなくて。そう寧々は口にしていたはずではなかったのか。そう思いつつも女が鬼よりも怖い可能性が高いこともあることは人生の先輩らからいくらか聞いていたら、いくらか心の準備が、いくらかできていて。
 だけど。嗚呼、寧々がキスを望んでいたか、という答えについては全く、分かっていないではないか。と情けなくも納得した。もう一度思う。『アプリ』が何だ。
 もし、望んだのであれば「キスして」とねだれば良かったのだ。そう思う反面、言われた所できっと神崎は虚勢と恥じらいのようなものもあってきっと、願いを叶えてやることはできなかったのではないか。そうであるならば、相手の行動など自分の自己満足にしか過ぎない。相手にとってはきっと不安の気持ちが募るばかりかもしれない。だからあえて聞かなかっただけかもしれない。そうであるならば、相手を責める権利など神崎にはないのだ。


 あの日。声を掛けた神崎の声に目を見開いた寧々の表情。少し驚いたけれど、それをも包み込むようなやさしい微笑みを浮かべてすらいた。まるで唇をねだっているかのような言葉と行動―――夢か現かと迷うような、イマイチはっきりしない出来事。それ以来、寧々と会話したこともメールしたこともない。というかメアド知らん。メールは面倒なのできっと電話になってしまうからあえて聞いていないのだが―――。その時の相手と寧々といったら、まるで観音菩薩かのように傷付いたとか、驚いたという表情も見せずに向き直った。去り際に一言「じゃ、また!」。
 また、という言葉の意味を何度考えたろうか。『また』=次回がある。と考えて間違いないのだろうか。こんなことがあってから、『また』をどう捉えればいいのだろうか。そして、少し前に言われていた「キスは嫌ではなかった」という意味の言葉とて、神崎は忘れているわけではない。それについて深追いしていないというだけである、イコール恋愛。に発展する程、人間は単純なイキモノなんかじゃない。



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 結局、寧々の真意が分からず悶々とする日が続いているうちに、停学期間は解けた。組長の力がどうとかいう前に片付いた軽い問題だったのか、それとも組長がしゃしゃり出ておさめた問題なのか。それは神崎に知る由もない。否、神崎は組と関連があるかどうかを知ることを嫌った。組から離れることができない己をアルイミ呪って、組長の力でテカイ顔をしていると思われることを嫌った。もちろんそれは事実なのだけれど、それだけではなく実力もあるのだと思い知らせてやりたかったからである。
 しかしそれも高校生までの話。男鹿に負けてからというもの、他にも負けてしまい己の実力というものを思い知らされてきた。だから大暴れすることも殆どなかったのだが、今回は堪らず元より在る凶暴性を出してしまったのだろう。寧々がどう思うか、など関係ない。単位のために大学に通う必要があると感じた。きっと、大学の同じ校舎にいた面々が自分に対する認識を変えた格好でそこにいるのだろうけれど。それをどうこう言うことはできない。それは自分がヤクザの倅であること以外に説明のしようがない。
 夢精でガビガビになったトランクスを洗いながら寧々の憎たらしい顔を思い浮かべる。
「………クソアマ……………ッ」
 そしらぬ顔でトランクスを洗濯機に投げ込む。あとは飯食らって学校へ行くだけ。寧々が嗤っているような気がして、朝食を食べながらも素早い動きになってしまった。学校などという馬鹿馬鹿しい場所に行くのに、どうしてこんなに性急なんだろうなどと思いながら。
(別に退学でも、構わなかったのによ)

 思った言葉はきっと、組長と寧々を怒らせる言葉。それでも寧々の顔を思い浮かべてしまうのはきっと、組長という名のオヤジよりも、寧々を怒らせるほうが神崎にとって比べようもない程に怖いものであるから。それに他ならないのだろう。


11.08.13

あああ〜〜、お盆休み待ち遠しい!(13日まで仕事)
盆休みがあるだけしあわせ、かな。というか、盆ちゅうにできる仕事内容でないんだけど。

ミュージックオブ:B'Z (主に古いの。未成年とか)



寧々から迫る感じですが、それが展開を大きく変えるわけではない。
のろのろとした動きは変わらないけど、それでも考え始める。そんなとろろどろろな動き。
言ったでしょう、最初から。青臭い恋愛ものが好き。
また、という言葉には次がある。という安心感もありますよね。それが本当か、かなえられなかった願いで終わったのか。それぞれだとは思いますが、それだけ取り消しの効かない言葉には意味があるのだと言うこと。