「知らん」

 そう答えてから、その答えの意味を深く考えてしまう。釣った魚にエサをやるぐらい憐れなことだと分かってる。けれども問うて来た相手が不満とか不安とか、負の感情剥き出しの表情で睨みつけてきているのだから考えないわけにもいかない。これは自分を守る防衛本能というものであって、相手を思いやる気持ちはまるっきりないと言っていい。ただ、落ち着かぬ気分を抱いて相手と目が合わないようにすることが先決。気の利いた答えが見つかったのなら答えることも頭の中にはあるのだけれど、相手が気に入るような答えが見つかるとは到底思えなかった。むしろ、神崎の脳内にそんなイカした言葉があるとは思えない。だからバカ正直に自分自身と向き合ってみよう。そう半ば諦めに近いものを感じつつ必要に迫られて向き合うことを思った。



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 考えたのは少し前。よくよく思い出してみれば、寧々と会った日の少し後だった。確かに神崎組の息子として二十年生きてきた。そして未来は組長を任されることだろう。それを理由にして肩で風を切ったことはない。むしろ、神崎組を知らない相手と話すことや、神崎組という名にビビらない相手と話す方が十割を超えて面白いと思う。なぜなら、恐れを抱くあまりにヘコヘコと情けなく半べそをかいている者どもの姿など、中学校時代で見飽きてしまったから。刺激と呼べるものは中学校の時には一つもなくて、注射すら怖いと感じたことがない。というか、神崎もヤクザの息子なのだ。チクリ、程度の痛みで根を上げるようなそこいらのボンクラとは違う。それを感じる出来事は高校時代にあって、神崎が高校一の生徒になることはできなかったけれど、それでも別に後悔はしていない。実力の差というものを、身を持って感じたのだから文句をつけるつもりも毛頭ない。
 寧々はその高校時代の一つ後輩の、けれども神崎も敵わない邦枝の右腕のような存在だった。レディースごとき、とは思うものの事実上レディースとはいっても周囲に迷惑をかけるような集団ではなかったのだから、いても問題はなかったのだろう。むしろ、当たり前のモラルを持ち合わせているのがその邦枝という女だった。周囲の一般的に不良を嫌う者どもすら彼女らには一目置いていた。神崎としてもとてもやりづらい相手だった。だから表だって敵対することはなかったのだ。むしろ、学年を超えて力を合わせる必要すらあった程である。
 そんな高校時代。確かに寧々らと力を合わせてスポーツやケンカをしたけれど、神崎の周りに女っ気はなかった。神崎組は二枚目な夏目と三つ編みでゴツイ野郎だが忠誠心は最強な城山の三人である。夏目は恋人を切らすことなくいたような覚えがあるが、神崎と城山の二人はまるっきり女のおの字もないような生活だった。それについては別に当時、文句が出た覚えもない。そもそも女とか男とか、そんなことを考えるよりも目の前の強そうなヤツを倒すことの方が大事だったし、城山は神崎を守ることを一番にきっと考えていたのだろう。何より城山は兄弟が多いので、家族以外の他人のことを考えるスペースなんて、神崎以外の他にいるはずもない。もちろん悪気があるわけではない。そんな二人だから、夏目の彼女を見ても何か妬みを感じるでもなく、ああ彼女ね、くらいの思いしか抱かなかった。じゃあデートしてこいよ、ぐらいの気遣いはある。
 だが、神崎の胸に残ったのはレッドテイルの面々だった。邦枝は男鹿の女とか愛人とかいう噂は流れていた。それは違うと他のレディースどもに言われたが、当人がそれを望んでいるのは明白。違うという言葉は痛々しく響いた。神崎にはどうでもいいことだ。もう一度言おう。女とか男とかどうでもいい。神崎はレッドテイル内の花澤、谷村の連絡先を聞いて時折三人、もしくは二人でゲームをしたりして遊んだりしていた。どうやらヒマそうな花澤の方が率は高かったが、時に谷村は弟を連れて神崎の家にオンラインゲームを愉しみに来たりすることもあったくらいだ。それについてゲーム音痴の寧々や邦枝は知る由もない。話は逸れたが、そういった友人関係は数年を経過した今でも続けられている。
 寧々はそこにはいなかったはずだ。けれども、寧々の連絡先を卒業式の帰り道に聞いたのは神崎自身だった。無性に彼女の連絡先を聞いておくべきだと本能のようなモノが告げていた。それを無視できなかった。つまりは、神崎は寧々と連絡を取りたかったのだろう。今になってそう、単純にそれだけだったのだと思う。今しか聞くことはできない、と神崎は卒業式を終えた帰り、寒さ残る学校から出る少し前、寧々の姿を睨みつけて二度と使うことのない授業用ノートを投げ付けた。三年間使っても埋まらないページは神崎の勉強に対する熱意を物語っている。卒業式は、雪こそ降っていなかったがとても寒い日だったのを覚えている。


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 学生服の襟を閉めるのは疲れるので、喉元を手で押さえるようにして校舎を歩く。外へと近づく度に寒さも近づいてくる。校舎の中にずっといるわけにもいかないが、神崎は卒業生なのだ。別れの言葉とジャリどもの悲しみの言葉と涙。東邦神姫のうち、三人が石矢魔高校から巣立っていく。それだけにクラスの男どもは意味も分からず泣いているのだ。どうやら姫川の周りにも人だかりができているらしい。しかし向こうはといえば華がある。どうやら大勢の女どもと一緒に帰るらしい。神崎と姫川の目が合う。別に特別親しい間柄じゃない。一時は手を組んだこともあったが、元より人種が違うのだ。会話としてはあまりうまく成立しないし、さすがに姫川財閥の御曹司だけあって、一般人とは金の考え方が違い過ぎている。どうにもいけ好かない所が目立つ男なのだ。女に囲まれてご機嫌な微笑を浮かべてクソダセエリーゼントを撫でつけながら手を振って帰っていった。
 東条は卒業式に出ている様子がなかった。停学にも退学にもなっているという話は聞いていないのだから卒業はできたのだろうが、単位はギリギリだったのだろう。それとはまったく無関係にあの男は来ない。苦学生である彼はいくつものアルバイトをしていて、その日暮らしのような生活をしていると聞いたことがある。祭りに行くと停学中のクセにテキ屋の兄ちゃんとして焼きそばを売ったりしている姿も過去に何度か目撃したことがある。その姿は先生たちにきっと見られているのだろうが、親がいないとかナントカという家庭環境もあり、高校の方でも東条については認めているらしかった。今日来ていないのは、卒業式などというものは単位に関係ないし、彼にしてみれば邪魔なものでしかなかったのだろう。きっと今頃バイトに明け暮れている。
 高校時代の様々な思い出を思い起こしながら、神崎組と呼ばれる三人は外へ向かう。夏目は彼女と一緒に帰るらしいが、帰ったらすぐバイトだと言うので多忙らしい。城山もこれからバイトがあるので早めに帰らねばならないらしい。つまりぶらぶらしていられるのは神崎だけということになる。結局、就職のできなかった者たちはよほど金銭的な余裕がある者でない限りはアルバイトに勤しんでいる、そんな時期なのだ。
「じゃ、な。俺はヨーグルッチ買ってから帰るからよ」
「またね〜、神崎君。城ちゃん」
 何だかんだ卒業とか何とか言っても、別に近所にいるのだしこれまでのように学校で顔を合わせるのではなくて、単純にダベる場所が神崎の家になったり夏目の家になったり城山の家になったり、ゲーセンやカラオケや公園などに変わったりするだけのことなのだろう。それは分かっていたから安心している。だが、他の連中はどうなるんだろうか。一人、また一人と減っている校舎の中にいる人数は、校舎に影を落として行くみたいだ。元々がらんどうのような造りの学校が、人の気配を落として行くことでそれをさらに色濃くしていくのだ。一年校舎の方へと向かい、ヨーグルッチの自販機からいつものように購入する。通りすがる後輩が神崎に別れの言葉を投げかけていく。この自販機を使うのはこれで最後。そう思えばクソだと思っていた学校という場所もひどく懐かしく、感慨深い場所に映る。二年の教室もぶらっと見てくることにしよう。わざと遠回りして帰ることにした。
 殆ど残る人のいない教室が並んでいる。数人ガラの悪そうな生徒がいたが、神崎の顔を見るや否やヘコヘコと頭を下げてきて、口裏合わせたみたいに今日何度も聞いた別れの言葉を吐いた。あまり楽しくないしこれ以上歩く場所もない。寒さは夜に近づくにつれ、どんどん厳しくなってくるがずっと学校に留まるわけにはいくまい。おとなしく帰ることにした。

 ゲタ箱に、いつものクセで上靴をしまおうとしてしまった。けれど、もうここにしまう必要などないことに今さら気づく。面倒だったしもう使わないことは分かっていたので、近くのゴミ箱に上靴をブン投げた。どうやら同じような生徒は沢山いるようで、ゴミ箱の中に汚い上靴がゴタゴタと入っていた。ちょっと足臭い。早めにこの場から去ろう。
 校門に見慣れた女がいる。寒いので反射的に早足になりながらコートの前を手で押さえながら歩いていたら、どうしてか人待ちをしているような格好で寒そうに立っている大森寧々がいた。きっとレッドテイルの面々を待っているのだろう。邦枝などは真面目に学級委員だか会長だかなんだか分からん役目なので帰りも遅いのかもしれない。神崎にはどうでもよかったが、別に教室とかで待っていればいいだろうと思う。同時に、あのがらんとしたつまらない教室の姿を思い出す。もしかしたら、こいつらの顔ぐらい見たかったのかもしれない。だからわざとぐるりと徘徊したのだ。無意識だったけれど。寧々の顔を見た途端ふと、そう思った。
「何してんだクソアマ」
「……はぁ?!頭おかしいんじゃないのアンタ、待ってたんだけど」
「誰を?」
「アンタよ、アンタ!」
 ぽかん。目の前にいる大森寧々は神崎が来るのを待っていたと言う。今、寧々を見て思ったことが寧々に伝ったのだろうか。テレパシー? よく意味が分からない。何と答えたらいいのかまったく。しかも待ち人が来たらしいのに仏頂面ときたもんだ、相変わらず失礼なクソ女である。「何か用?」と声をかけてくる。何か用?まず質問の意味が不明。お前が・・待っていたのなら、お前が用事あるんだろうが。表情で分かったらしい寧々はわざとらしく大きく溜息を吐く。
「さっき夏目から聞いた。帰るトコだったんだけど。神崎がアタシを探してるから待ってて、って。…で、何か用?」
「………」
 言ってない。夏目に何も言ってない。あいつは彼女と帰るとかバイトとか言ってたけど。神崎は別に寧々を探してるとか待っててほしいと伝えろとか、まったく言っていないのにも関わらずこの状況はいったい何なんだろうか。どこまでも置いてけぼりを食らったような気がする日。卒業の日。
 頭の中はもやもやしていたけれど、今できることをやっておこうと思った。その場に鞄を投げるみたいに置いて、もう使うことも開くこともないだろうノートを取り出す。ぐしゃぐしゃと自分のケータイ番号を書いたソレを「ほらよ」と強引に渡した。何を書いたのかと思って寧々はすぐに最後のページをめくる。ゼロから始まる11ケタの数字に瞬間、驚いた表情をしている。渡したのが間違っただろうかと神崎は内心ハラハラする。そんな神崎の目の前で後ろからまたページをめくる寧々がいて、すぐさま同じような11ケタの数字を書き終えてノートを破る。それには何が書いてあるのか分かるように神崎に見せながら破いた紙を渡してきた。気圧されたように神崎は困惑の表情を浮かべながらも、コートの深いポケットの中にそれをしまった。不思議な安堵感がそこにはあった。寒いけれども温かいかのような。
「用はそんだけ?姐さんトコ行かなくちゃなんないから、アタシ行くよ」
 神崎の卒業式は置いてけぼりばかりを食らい続けた寂しさの残る、ひどく寒い卒業式だったのが印象的だったのを覚えている。


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「…やっぱ、よく分からん」
「さんざん待たせておいて、ソレぇ?」
 寧々の返事はバッサリ斬り捨てるタイプのツッコミだった。慣れているから気にしないが。
「まあよ、久々に大森と会って、女らしくなってるしよ。ああ、そういえば女作るかな、って…」
「アンタの答えってば、さすがに一貫してるわねえ」
 呆れたような寧々の声すら耳に心地いい。それはそうだろう、連絡先を何とか聞いてまで縁を繋いでいたいと思った相手なのだから。結局自分では通話ボタンを押すに至らずに2年も経っていたのだが、話題がない以上、電話というのは不自然になるから大嫌いだ。よくもあんなもので夏目はペラペラと喋れると思う。逆に城山は極度の機械オンチのため、最初はケータイなど持ってはいなかったが、仕事上、現場仕事という関係もあって覚えろと言われたらしい。最近になって短文ながらメールを打つことも覚えたという成長ぶりだ。
「神崎さあ、好きな女いるでしょ」
 急に聞かれた意味不明の言葉に返事に窮する。まず浮かんだのが何この質問。会話と会話の関係性が皆無。頭悪いんじゃねえのこのアマ。俺だって頭なんざよくもクソもねーけど。やはり女というのは会話の流れが速すぎてイマイチついていけない。だが聞かれたことに対しての答えも考えなければならない。何で、と答えなきゃ、の板挟みは余計に脳みその動きを鈍らせた。おかしな間は空いたものの、普段ならば答えられるはずの質問に答えるのに時間がかかってしまう。
「いねえよ。意味分かんねえアマだな、ったくよ」
「神崎ってにぶいね」
 どうやら今日も置いてけぼりを食らう日らしい。卒業式は寒かったが、今日は暑いくらいだ。気温ではこの置いてけぼり感というものを何とかすることなどできはしないのだ。


11.08.10


テーマ曲はポルノグラフィティのアニロマッサ


いいですねえ。くっつかず・離れず。絶対に色っぽい話にならないっていうね(笑)
今回はなるたけセリフを少なくするっていう決まりを作って書いていました。だから回想では殆どセリフがない。とは言っても場面によっては結構話してますけど。
でもセリフを減らしたことでグズグズ感みたいなのはなくなったと思います。


最近はメモ帳じゃなくて、wordを使って小説を書いてるので長くなる傾向にあるみたいです。
ショートショートみたいなの書く時はやっぱりメモ帳かなあ。


そーいえば思い出したんだけど、女体化神崎ネタも書こうって前に思ってたんだよなあ。忘れてた(笑)
魔界の薬とか言って。別にエロとかカップリングものではないんだけど。ギャグとして。


というかべるぜをサイトに入れたのは男鹿と葵の淡いレンアイ模様が好きだし、イラストも書いてみたかったから。なんだけどなあ。どうしてか神崎と寧々に…。
最初は由加と神崎がいいなぁと思ってたはずなのだが。

近々、神崎とレッドテイルの話は書こうと思ってますけどね。
あとは静御前と関西弁と東条とか。東条と男鹿とか。

2011/08/10 13:50:46