停学というのはヒマだ。
 神崎はゲーム機のコントローラを握って操作していた。それは一時間程にもなる。それ以外にすることが思い浮かばない。脳みそが休みモード。普通の休みの日ならそれでいいけれど。これが毎日続くのは、あまりいい気分ではない。休みなのだから、と行こうと思った先もゲーセンだったので『自宅謹慎』のレッテルを貼られた停学に甘んじることにした。しかたねえから―――とは言っても、当然ヨーグルッチを買いに行くことはしている。念のため―――。自宅を出ている姿を見られて退学になるのは怖いわけではない。退学でもいいじゃねえか。神崎はそう思っている。
 それをオヤジに言った時、まず嗤った。目の前にいるヤツはバカヤロウだ、そう言わんばかりに大きく笑ったのだ。


「今時のヤクザはなぁ、大学ぐらい出てねえとアタマ張れねえんだよ! だから、ブツクサ言おうが構いやしねえ。大学ぐらいは出させてやるさ、オレの力で」
 その言葉にカチンとクるだろうことはきっと解っていたのだろう。別にいらねーよと返した言葉には待ってましたとばかりに胸ぐらを掴まれた。久しいと思うのはあまりに愚かだろうか。父親とちょっとジャレてました、なんて言い訳は通用しないくらい殴られたことも過去にある。だからこそ神崎は父親に逆らえず、そのまま敷かれたレールの上を歩き続けているのだから。
 だか、その日の神崎は違っていた。目の輝きというべきものか、それが何かはもちろん見るだけでは計り知ることはできないが。だからこそ神崎の父は息子から話を聞こうと思ったのだ。今回の停学の理由とやらを。
 なぜなら、くだらないジャリを殴ったのが理由だというではないか。まるで、考えられない程に愚かなことだと思う。殴る価値のない、ケンカもできない男女を殴ったのが停学の理由など、父親として誰が理解できようか。納得できる理由がほしいと思った。
「女、………だァ?んなワケねえ。俺はダチのために殴った。そんだけだ。」
 やはり筋が通る話だ。詳細など聞くまでもない。男と男が信じ合える状況が、状況こそが全てを物語っている。それだけ信じるに値する男であるということだ。そして、それだけ信じるに値する相手を見つけた、そういうことだ。
 だから、笑った。女でどうこう言うんだったら殴るつもりだった、と告げて背を向ければ父としての役目は終わり。男は背中で語るもの、なんてどれだけ古いのかと思っていたけれど、やはり必要なこと以外は故人もそうそう遺しはしないらしい。レキシに残ることを考慮したわけではないだろうが。



******


 どうして、今ここに。口にしようと思ったけれど、目の前の女の表情があまりに哀れなほど歪んでいたから、どうするべきか全く分からない。二十年生きているとか、俺はこうしたことがあるとか、全然役に立たないということがひしひしと感じられる。なぜならば、どうしてこんなに哀しげに自分を見つめている女が目の前にいるのだろう、と思うこと。それを味わってみればきっと、誰しもが理解できるだろう。ただ、余計な言葉は必要ないと思った。部屋に招きいれるようにして、黙って部屋まで歩いていった。別に呼んだ訳じゃない。どうしてコイツが家にこんな表情をして来たのか、そんなことはコイツの仲間が告げ口したからに決まっている。解り切っている。そして、それについて追及する術を持たないことも知っている。口止め一つ、確かにしていないのだから。口止めする理由もないのだから当然と言えば当然のことなのだろうが。
 座れよ、なんて一言も口にしていないけれど、自分が座る前に目の前の相手はもうへたり込むように座っていた。それは座布団とかソファとかそういったものの上ではない、ただの絨毯の上という地べたにヒザをつけ、座り込んでいる。力が抜けたように。現れた時のあの気合いみたいなものはいったい何だったのだろうか。それを答えられる者はきっと誰もいないのだろうが、問いかけたくなる程にしおれたような彼女のつむじを見つめる。
 おずおずと誰かに断ることすら遠慮しているかのような顔の上げ方。相手のつむじを見始めてからそんなに長い時間はきっと経っていないはずのこの時。だがこのしおらしい態度は一体何なのか。全く分からない。けれど、そんな態度をとる理由にきっと自分自身が関係しているような、悪い気がしてゆっくり上がった相手の目を見返すしかできないでいた。そもそも、相手が見ているからこちらも見ているのだ。見返すことに何か理由とか、事情が必要なのだろうか。目が合った相手の視線は恥ずかしい程にこちらを見返してきて、逸らそうともしない。ああ、ある意味イジメみたいなモンなのかな、などと己を慰めんとする言葉を少ない語彙から拾おうとするばかり。
 なぁ、理由いくらつけてみたってやっぱ、目の前の女がどう考えているのか、なんてきっと男には解らないんじゃないか。だからお前の言いたいことは何なんだってスパッと聞ければいいのに。余計な言葉はもちろん、抜きで。


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 見つめ返す神崎の目を見つめ返すのは、大森寧々この人。
「大森。…オメー、何しに来やがった」
 わざとハテナマークなし、なイントネーションで聞く。もちろん神崎としては他意などない。寧々は来た理由など瞬時に理解しないこの男を殴ってやりたいつもりだった。答えてやる必要など一つもないと思った。
 停学中のヤツに近づくなど、もちろん相手を気遣ってのことに違いないことぐらい解って当然。だからこそいらつく。知らないフリをしてどうしたいのだ、という思いがぐらぐらと胸中で煮えたぎるようにあった。もちろん目に見えない高温できっと。
 その高温はぐらぐらと寧々の想いを破る程の高温だから、だからこそきっと考えていたことを忘れさせる程に煮えたぎっていたのかもしれない。まったく何を当時、考えていたのかを覚えていない。それについては悪気なんてない。


 パッチン!


 寧々の想いを冷めさせる音は自分自身が立てた破裂音。
 頬を押さえた神崎がぼんやりとした表情をしたまま。だから何だというのか。叩かれた男が目の前にいようとも寧々はその態度を改めることをしない。その男は停学になったという愚かな男だから。理由はもちろんそれだけで充分だろう。
「……おお、もり…」
 呟くように呼ばれた名前は無視した。だから「おおもり!」と強く呼ばれるまでは目の前の愚か者を見返す必要などないのだ。そう思えば寧々の気持ちも軽い。

 だが。
 相手は、がしりと強く両肩を掴んで見つめ返してくる。寧々の名を強く呼ぶ前に既に。
『ここに来た理由』。それを聞きたいのならば答えてあげよう。理解できないのならばそうしてあげるのは優しさということになる。そんなつもりは毛頭ないのだが、そう思われることはきっと、生きとし生ける者にしてみれば十中八九、変わりはしない。
「アンタこそ、何で停学喰らってんのよ?! バカじゃないの」
 それは問い掛けでも何でもない。ただの相手の「心配です」という想いを投げ付けられたかのようなまっすぐな思い、それに他ならないもの。ヒリヒリとぶたれた頬は痛んでいたが、目に見える傷がどれ程の意味がここであるのか解りはしない。相手の問いに答えてやることこそが何よりの癒えになるということは明らかだ。
「クソバカどもをブン殴ってやった。…こんだけじゃ、足んねェか?」



 何がどう、クソバカどもなのか解らない女は神崎の胸ぐらを掴んだ。けれど、それに恐れや何やらというものを抱くヤツはきっといない。けれども理解している。己の身を棄ててでも相手に「大事な何か」を解らせようとしていた女がいた、ということを。
 そして、女を見ても鈍らない目の色の深さを。それがどんな意味合いであったとしても、ソノヒトを信じるという思いを。
 停学、というキーワードがあまりに軽いことを、寧々も神崎も知っていた。特に社会人である寧々は余計にその意味を、深いけれども軽いことに。
「ゲス、とかキタネェジジィ、とか。最悪のクソ文句ってヤツだと思わねえか?」
 神崎を掴んでいる胸ぐらの力が少し緩んだ。そんなことはどうでも良かった。理由を聞けば寧々は殴ったりしない。そこまで無意味に暴力を尊ぶわけではないのだ。神崎も分かっている。今のこの状況がどうして生まれたのか、それは単に、神崎の身を案じてのことなのだということを。言い換えれば、神崎を心配しているのだということ。それについてはそう悪い気持ちはしないというのが人情というもの。
 寧々が胸ぐらを掴んだまま睨みつけて固まったように動きを止めているから、神崎がうまく逃れてやろうと思ったのだがどうやら甘かったらしい。力は瞬間、弛んだけれどすぐに休んだ分も強くなっていたようである。軽く首を動かす程度では到底、逃れられそうにもない。それが分かってしまえばこの状況にオタつく必要はない。
「大森、どうだよ。答えろ」
 長々と理由を言うよりも、自分が怒った理由で相手がどう思うかを問うた方が早い、そう思った。何より理由を説明、なんて柄じゃない。面倒臭い。それになにより、相手も自分と同じ想いを共有することは、感覚で分かっていたから。相手も納得するようにと聞いたのだ。
「…オメエのダチが言われて、殴りゃしねえってのか…?」
 相手の答えはもう神崎には分かっているから、答える直前くらいのスキを見計らってそう投げかけるだけで十分。これで意見が分かれるようなら、元より生きる世界が違うのだろうという見当もつくというものだ。だが、そうではないことを神崎は限りなく100%に近い確信を持って問いかけている。
 初めて理解する。ゲスだのキタネェジジィという言葉が、神崎の友人に向けられた言葉であったのだということを。それを聞いた神崎の堪忍袋の緒は切れた。これが真相だったのだと。寧々は息を飲む。相手の比がないことを知って。けれど、聞かずにはいられない。
「……アタシなら、きっと殴る。でも、アンタは誰のこと言われて、キレたっての?」
 これだけ真剣に怒ってやれる友人なんてそうそういない。キレることができないと言うヤツの顔を見るより先に、キレてしまったヤツの顔を見てしまったものだから、どこの誰にソコまで思ってやれるのか。そればかりが気になった。



********


 気付いていたら聞こえていた破裂音。上げた視線の先には誘ってきたツバサと大輔がいた。二人の目は神崎の姿をまるで、悪魔でも見るように歪んでいて恐れ、逃げようとしているような色を示していた。その時、どうして俺があんな目をして見られなくちゃならないのか、どちらかと言えばお前らの方が女をモノとしか見てねえっぽい態度のお前らの方がそうだろうが。と思ったがそれは口にしなかった。傍にいる女はそこの男二ひきをきっと、二枚目だと思っているのだろうから。などと考えながら破裂音の先を見遣る。
 意外にも、そこには神崎自身の一番近くにいたロングヘアの美女が腫れた頬を押さえながら、目の前にいる相手をまるで恐怖の対象でしかないかのような目をして、これ以上恐ろしいものはないと言わんばかりに大きな目を潤ませている。神崎は何も感じない心で己の握った拳を見下ろす。特に何かを思うことはない。ああ、この手でこのバカ女を殴ったんだな、それぐらいの感情しかこの胸に湧くことはない。もはや、だから何だ、の世界。
「オメェらも納得、して頷いてたよなあ?」
 神崎の据わった目を見た男らはその場から逃げようとしたが、それを許す神崎ではない。女から目を離しそう問い掛けた瞬間、相手の言葉を聞く前に即座に移動していた。まずは、軽いツバサの方から。勢いよく振った腕の先に伝う心地好い感触。懐かしい感覚。これがヒトを殴るということらしい。当たったものはその場から吹き飛ばされて、離れた地にひれ伏す。顔を見たわけではないが、ツバサの啜り泣きのような情けない声が耳に届く。ひどく耳障りだった。ツバサの胸ぐらを掴んで一喝してやりたい。そう思ったが、その前にもう一人、ツバサの分身のような男がいたはずだ。だんまり決め込んできっと自分だけは無事だと思っているであろう男・大輔。この男が女の言葉に頷かない姿を見たことは、殆どない。カッコイイことを言う時に邪魔なことを省く以上に、自分を主張しないクソヤロウ。自分だけは、と思っているヤツなどに優しい気持ちをくれてやる必要などない。
 言葉は必要なかった。神崎から背中を向けて走り出していた男を追いかけた。惨めなヤロウだと神崎は思う。追いかけて行ってむんずと後ろ髪を掴んでやる。長めの髪の毛というものはやはり何らかの障害を生むものなのかもしれない。もはや頭を掴んだような格好で神崎の顔を見るように向かせる。愚かな男は早くも泣き顔。「俺が何したっていうんだよお」哀れだ、とは思ったがそれについて慈悲を与える心などありはしない。だが、せめてもの慈悲というものだろう。嘆きのような、問いのようなものに対して神崎は答えてやる。
「テメエらは俺のダチをゴミみてーに扱った。ソレがテメエらの罪だぜ」

 その後、なんて知らない。
 神崎がぼろぞうきんみたいに、相手の横っ面から一発、次に鼻面とボディ。続けて打ち付けた。相手がどんな苦しげな声を言っていたかなど関係ない。吹き飛ぶようにのけ反る大輔の姿を冷たく見遣り、神崎はその姿には目を背けた。見たはずなのに、それがまるで汚らわしいものであるかのように目を背けた。見てやる必要性を感じられなかったから。
 なぜなら、隣の個室にいたバリトンボイスの主は、間違いなく城山猛であった。
 神崎の頭の中では城山は自分以外の誰しもが蔑むことはできない領域であり、自分以外の誰かがそれを侵した時、それは罪となる。つまり、今のこの状況は『罪』で間違いない。だから目の前の男は拳を食らっても、ヒザを食らっても文句を言えない所にいる人物であるということになる。
 口から血を吐き出しながら何かを言いたげに倒れた男は、神崎にとってはあまりに罪深き男であって、しかし、現状を見れば単純にチンピラにからまれたかよわき男一匹。女を守ることもできないその実力は情けないものではあるが、だから何だといったぐらいのもの。その傍らで女どもがペコペコ泣きながらくだらない謝罪の言葉を言い続けている。ああ、無意味。神崎にはただの雑音としか聞こえていない。ワアワァ泣く気力あるだけマシ。そう神崎は思う。ただ蔑まれるだけの仲間の顔を色濃く思い浮かべながら。



11.08.05

大学生神崎と寧々の話。
思ったよりも、だいぶ長くなってます。むしろオヤジさんのキャラを活かす、ってコレからの原作に対してアルイミドキドキ。
とは思いつつも、神崎についてはザコ扱いなので安心も半々。という感じでしょうか(笑)



要は、単純に城山をバカにしてんじゃねえよってな話
でもホモでも何でもない。ひたすらに城山だけが神崎を慕ってるのかと思えば、それだけでもない。
寧々と神崎が根底にいるのはアルイミ邪魔臭いくらいに、神崎と城山は深く結ばれている。そんな意味合いをもつ話になってくれればそれでいい。そう思いつつもそれが邪魔だと思いながらも書ききった話。ちょっと、足りないけれど。ウンコ。

このシリーズ、めんどいなぁと思いながらも、もう少し続きます。

2011/08/05 23:35:40