ぐら。ぐらぐらぐら。


 寒い日だった。学び舎でただごく普通に六限目の授業を受けていた際に起こった、大地震。大惨事。
 机の下に隠れろなどと言われるまでもなく、それは行われた。反射的に固いものの下に潜ることが安全と思われたのだ。確かに年に一、二回はどこの地域でも学校でも、組織として属している者であれば避難訓練というものをしているだろう。けれど、それが何かの役に立つだろうということを実感することはない。
 揺れは、数分続いたのではないかと思われた。机に潜ることはあまり意味がなかった。地面が踊っているようで、机が移動していくからだ。学び舎のはずが、悲鳴のコントラストを何重奏にもしたものが辺りに木霊している。全てが恐怖という色に塗りかえられていく。教室の中に置かれた軽いものが空を飛ぶようにビュン、と飛んでいく様が見える。それが何かなどというのはどうでもいい。ただ、自分の身の危険を何とか押さえようとするだけで精一杯で。
 一旦、止んだ揺れのすぐのち。誰ともなく外へ逃げ出そうとする。教室外への扉は2枚。1階であったのならばベランダ側からも出ることができたろうに、この教室は上の階であったから教室の引き戸2枚以外、出口はないわけである。当然、押し合いへし合いの状況になる。もちろん廊下も今出ていこうとする教師、生徒といった人間、人間に埋もれるような格好になっており、進もう、進もうとすればするほど進めなくなるような状況だ。教師がことを治めようとする声を発しているが、生徒らの耳には届いていない。人間一人の力など本当にちっぽけなものである。
 階段は非常階段を含め、四ヶ所の逃走経路がある。そこへこぞって生徒らが駆けてゆく。廊下よりも人数はばらけるが、進む道が狭いので窮屈さは今まで以上かもしれない。泣き叫ぶ女生徒の声が逆に恐怖心を煽る。この声の中では教師の怒声のようなものなどなんと無意味なことか。

 こうして集まった生徒らは学校から近い公園へと非難することにした。高台というような場所ではないが、この町はそう海から近いわけではない。津波の心配はないからである。進路指導の教師らが携帯ラジオを持っていたようで、それを高らかに響かせながら警戒している。このまま行くとは言ったものの、一瞬の出来事のせいで防寒着の類も身に着けていなかった。中にはそれを取りに戻る者もおり、また、泣きながら帰路に着く者もいた。それらの生徒たちを咎めることなど、この状況下でできようはずもない。


「よかった〜、無事だった?ケガとかしてない?」
「うん、僕は大丈夫だよ」
 良子が走り寄っていく。その目の先にはこの学校の大番長と呼ばれる北野誠一郎とその舎弟と名乗る竹久優二がいた。良子の隣にちまっといる友人の郁子も不安そうな表情を隠すことができない。どうやら二人は鞄も防寒着も持って出たらしく、蒼穹公園へ向かわんとしている所らしい。誠一郎が他のみんなは?と仲間らのことを尋ねるが、それを今調べる術はなさそうだった。良子が首を横に振り集合場所へ行くことを促した。遠目に見てみれば学校の外壁の一部が剥がれ、崩れ落ちている。たいへんな揺れではあったが、学校の近くにいることも危険を感じさせた。もはや普通の状態ではないこの場からは、確かに離れた方がよさそうだ。想いというのは伝うものなのか、どことなく皆が皆、足早にどこかへ向かっている。気付けばそれは学校内だけの問題ではなくなっており、学校の近所に住まう一般の人らもその行進に参加しているかのようであった。



 蒼穹公園へ向かう道すがら、またぐらぐらぐら、と地面が揺れだした。辺りからは悲鳴が生まれた。今度は頭上を守るものなどない。ただその場にへたり込むようにして座り、頭を押さえて揺れが止まるのを待った。ラジオの声が何かを叫んでいる。また大きな地震です、揺れています、みたいなことを言っている。アナウンサーも命からがら実況しているのだ。もはや言っていることが時折、支離滅裂であった。ひたすらに注意してください、と津波が到達しています、を繰り返すばかりで意味の深いことを言っていない。
 地面の揺れは先程よりも少し短いものだったように思われた。揺れ自体も。学校は無事なのか。家族や友人は無事であるか。それを誰しもが思い、知りたいと願った。しかし、連絡の術はない。家に帰ってよいものか、家に帰れば親や兄弟は無事なのか。全て思考はそこでループしてしまう。
 思いに相反して、周りには人という人が集まりつつある。遅れて来る者を含め、地域の者らもこの蒼穹公園に集う。それはまるで導かれたかのように。
 だが、導かれたのはそれだけではない。天空から舞い降りるのは天使からの贈り物だけならば良かったのだが、それを嘲笑うかのように白く、雪が舞い降りてきた。それは、確かに天使のように。何故、どうして。そういう声が誰からかは分からないが、洩れ始める。春うららかな日に雪が降ることはあり得ない。元よりそこまで寒い地域ではないはずなのに。雪がはらはらと舞い落ちるから屋根がなくては寒さも凌げないと教師たちはぼそぼそと話し合いを始める。点呼どころではなかった。

「すごい揺れだったな」
「幾乃ちゃん」
 誠一郎の仲間で次に見つかったのは幾乃だった。やはりと言うべきか、図太そうと言えば聞こえは悪いが、普通の人間とは感じ方などが全く異なった彼女であるから、特に地震で脅えて泣いているといった風は全くない。揺れが収まれば冷静に対処しつつ、ゆっくり来たという所だろう。
「停電しているらしいからな、只事では済まなそうだぞ。下手をすれば断水になる可能性もあるんじゃないか」
「えっ、そこまでひどい状況なの?!」
 幾乃は教師の近くを歩いて来て、ラジオの中継を聞いていた。教室で授業を受けていたから停電のことは知っていたが、どうやらその地域も広いらしいということ。海岸沿いは津波の被害があったらしいこともおぼろげながらラジオが伝えていた。しかし、やはり解せない。結局自分たちの置かれた状況が全く分からない状態のままなのである。
「まぁうちは父が電気代を払っていないお陰で常に蝋燭生活だがな」
「いや…そういうことじゃなくてね………」


 ざわつきが不満と不安に変わっていくのに、そうたいした時間は必要としていない。自分達の置かれた状況や、家族の様子も分かっていないことばかりなのだ。ある者は帰路に着き、ある者は生真面目に大人からの指示を待つ。どうやらこの状況では誰しもがなすべきことを分からずにぼんやり佇む以外にできることは殆どないと言っていい。
 待ちきれない者を除いて、残った生徒達に向けて教師がやっと声を張り上げる。どうやら学校の方の安全は確かなようなので、来た道を戻るといった風である。だが校舎内は危険もありそうなので、体育館に集まれということである。それに対し文句を言う者。ならばここまで来る必要はなかったじゃないかと。徒歩での帰宅が可能な学校から近い者は帰ることも構わないと言った。それを受けてから帰る者。バス通学をしている者らは、交通機関がどうなっているか分からない以上は、学校に残るように。ということだった。
「お前らは帰んのか?」
「う〜ん、帰ることもできるけど。家で一人とかでいるよりは、皆と一緒にいた方が怖くないかなぁって…」
「私は父に聞いてから決める。どうせ父も進路指導の教員だから、すぐに帰れはしないだろう」
「僕も、もう少し待ってみようと思う。また、揺れるかもしれないしね」
 番長グループと呼ばれる面々で姿が見えないのは黒田たち三人組と荻須である。それを誠一郎は気にかけていた。父や母のことも心配ではあったが、まだ父は会社にいる時間であるからこちらから連絡はとりようもない。母はきっと仲良くなった近所の方々と一緒にどこかへ避難しているはずである。ならば家に帰るよりは、もしかしたら学校にいた方が仲間達の様子も分かるし安心していられるかもしれないと思ったのだ。
 雪から逃れるようにして、近所の人達を含めた百人単位の人間達は学校の体育館へと戻っていく。体育館に戻ってからは大事であった。結局、近くの家々から毛布や寝袋といった防寒具を調達する作業。学校の教室を片付ける作業。体育館を温める作業。電気が通る見込みについてはやかましいラジオは何も告げてくれなかった。電気がなく発電機的なものもない以上、夜になれば行動はできなくなってしまう。しかし時刻は早くも夕方であった。残された時間は殆どないと言っていい。皆が皆、自分と仲間達のために動いていた。それは誰かに命令されるでもなく。ショックで泣いて動けない者もいたが、それは仕方がないとしか言いようがないだろう。誰にもそれを責めることができるような状況ではないのだ。全ての者が少なからずショックを受けているのだから。



「今日は体育館で過ごします。教室はガラスの破片がいっぱいで危ないので、片付け次第、使うことにします」
 やはりあの揺れは凄かったのだ。窓ガラスやドアに嵌め込まれたガラスは、割れてしまえば武器にも成り得るものだということを認識してしまう。学校学校と言うが、凶器はどこにでも転がっているということである。
 もう夜になっていた。良子が今から帰るということだったので、誠一郎と竹久は見送りをした。街灯もないので今の時間に帰るのはどうかと何度も言ったが、やはり父が心配なのだと頑として聞かなかった。ムカつく親父ではあるが、やはり男手一つで育ててもらったのだ。そして護身術として古武術も教わった。ムカつくことはあっても嫌いになることなどできやしない。心配しないわけもない。
「ありがとう。ここでいいから」
「でも………」
 どこかに行こうとしている車のテールランプとライトの列がずらーっと、道路という道路に並んでいた。逃げようと思っても地面は繋がっているというのに、それでも家族の元に帰りたいと願う彼らの思いが光になっているようだった。この灯りを頼りに歩けば何の問題もないはずだと良子は言う。灯りと呼べるものはそれ以外には何もなかったのだ。
 いつもの町並みは死んだように闇に包まれて、ただひたすらに車だけが灯す明かりのみが揺らめいている。だが、その小さな明かりの下、見上げた夜空には星が瞬いていた。今までにないくらいにそれはきらきらと輝いている。誠一郎が見上げたのを皮切りに、良子と竹久がその星空を見上げる。
「…きれい」
「こんなに星、見えたことないですよね」
「うん。今日、いろんなことがあって、亡くなってしまった人達も沢山いるみたいだけど、それでも、僕たちは生きて、こうして星を見ることができて、それで、きれいだって思いを共有できてる。きっと、僕たちは幸せだよね」



 明日からの不安よりも、今の希望を胸に抱えて。
 煌めく星空があるのだから、暗い夜も時には恵みと感じて。
 前を向いて僕らはきっと、生きてゆける。
 全てが全部、悪いことだけじゃないのだから。
 きっと、あの夜の星空を僕らは忘れはしない。永遠に。


11.07.28
東日本大震災の時のことをネタにしました。
日常っぽいエンジェル伝説を使って、ねぇ。

私は仙台ですからクリーンヒットしてます。でも職場にはいなかったんですけどね。ちょうど休みで。
いろいろ周りから話を聞いたり、電気ガス水道が使えない日々を過ごして、今は普通に復旧してますが、瓦礫の街になってしまったような所も見たり聞いたりして、いろいろ思うことはあるけれど、やはり心に残ったのは暗い、暗い夜のことでした。
それを碧空町に置き換えてみたわけです。まぁ北野くんは心をすごく痛めているでしょうけどね。それでも悼む暇などないくらいに自分以外の何かの為に彼がいたなら、動いていたはずです。彼の悼む様子より、悼む力を奇跡に変える言葉を言ってほしいと思ったのです。
絶望の中の一粒の希望。
それを書いておきたいと思ったので、何故かサザンを聞きながら結構がんばって書いてみました(笑)

2011/07/28 20:25:47