二人で座っているベッドは思ったよりも広い。横になっていれば狭いくらいなのだろうけど。人間が二人座るくらいでベッドが埋まらないのだということを、初めて学んだ気がした。学校で学ぶことのない一つの発見。だからと言ってそれについてどうこう言う程、役立つことができるわけでもない。
 ベッドの上で確かに感じるのは目の前の女が握る手の感触。それについて学校の授業は何て言ってた?なんて聞く程、野暮な脳みそでもなくて、けれど、その手の温度を感じながら何をすべきか考えられるほどに冷静でも、大人でもいられない。ただ、どうすればいいのか、目の前のちょっとだけ視線は下にある女の目を見つめ返すだけ。
 覚えていたよりも長い睫毛。もしかしたら付け睫毛を覚えたのかもしれない。なんて思う程の余裕がベッドの上である男がいるだろうか。ハタチという若さでそこまで悟っていればそれ程にスレてるって考えて間違いないだろう。
 握られた腕の強さを感じながら、それはさほど強い力ではなかったけれど、見つめる瞳の威力は強くて、その視線を逸らすことができない自分がいた。腕を握られるのもそう嫌ではなかったのでそれを振りほどこうとは思わなかった。けれどそれ以上に自分から何かをしようとも思わなかった。ただ、そこに体温があることがすべてだと感じていた。それだけだ。


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 特筆すべきでもないタイミングにケータイがブルブルとバイブ音を鳴らす。
 二人はそこで睨み合うみたいにして止まったままだったから、外界から訪れる音に反応するのは当然。それはもちろん敵というものでは全くなかったからどちらのものか、互いにケータイを手にして解る事実。どうやら今の呼び出しは神崎へと向けたものだったらしい。ケータイのディスプレイには短い文章が並ぶ。思わず笑いすらこみ上げてきた。画面を見せながら神崎は笑った。


 何かあったんですか?
 夏目がメールよこしましたけど
 すぐ 行きますね


 目の前の女がガキのままじゃいられないと言ったけれど、そんなまんまの神崎たちは何ということのないことに対してもガキみたいに一喜一憂している。それを感じずにいられない。そして、それがいいとか悪いとか今、決めることがあまりに馬鹿馬鹿しい。
 ディスプレイに映る文字を見つめて寧々は「らしい、…じゃん」と小さく返した。2年前よりもずっと大人になっている。
 メールの内容から察するに、バイトを終えた城山はここに向かって来るということらしい。それこそが神崎らしいと思う。それは寧々もそうだし、神崎自身もそう。夏目が何をメールしたのかなんて今は解らないけれど、寧々と二人でいる時間はそう多くはないんだということ。それは間違いない事実だということ。

「いいよね、そういうの。高校時代のトモダチって、一生のダチ、って言うし」
 どこか寂しげに笑ったかのように見えた。もしかしたら、神崎の気のせいだったのかもしれない。けれど、内容からもそれがただの聞き違いだとは思えない。神崎は再び寧々の方へと目を向けた。寧々だって持っていないはずはない。高校時代につながったままの一筋。友達が離れないようにするのはそんなに難しいことじゃない。ただ、自分から連絡が途切れないようにすればいいだけだ。そう神崎は思う。
 けれど神崎は寧々に連絡をしなかった。連絡先は解っていたけれど。元来メールとか電話が苦手な性質なのである。それを言い訳に、いつでも手繰り寄せられると思ってずっと放置していた。それだけのことなのだろう。
「おめーは変わったな」
 いつ来るか分からない城山が現れるであろうドアの方に目をやり、さりげなく手も身体も離して。視線も離れた。
 キレイになった。
 言葉にはできなかった。この状態でそれを口にするってことは、城山が顔を出せるような雰囲気じゃなくなりそうだから。
 女らしくなった。落ち着いた。
 頭の中だけで言葉はぐるぐる巡るけれど、言葉にしなければきっと目の前の女には伝わらないのだろう。それに、口にしなければ自分の耳にも聞こえない。口にすること。それは認めるということだ。
「で?そっちは何してんだ」
「バイト。アタシはお嬢様じゃないからね、遊んでる余裕なんてないっつーの」
 石矢魔高校を出てまともに就職したヤツがいるんだろうか。ヤンキー率120%の学校では就職も絶望的な数字だったはずだ。もちろん神崎は家業を継ぐという仕事があるのだが、その決められたレールを歩くのも癪ではある。そうは思いつつも結局は親の敷いたレールの上を歩いて大学に通っているわけで。
「時給イイから、居酒屋でバイトしてる。単発で他のバイトもやるし」
 城山は土方の方に行った。結局兄弟が多いので生活が苦しいのだそうだ。夏目は高校時代からずっと同じドラッグストアで働いていながらも時給が上がったとかチーフになったとかで喜んでいるみたいだ。みんながみんな、少しずつ高校のときと違う生活を送っていて、神崎は変わらない単調な生活をぐだぐだしているだけのようだ。つまらないという思いが悶々と湧きあがっている。大変だ、と口裏合わせたように言いながら、とても充実した表情をしている。きっと大変な中にも好ましい何かがあるんだろう。
「忙しいけど、メールとかぐらいはできるんだからさ。たまには、連絡よこしなよ」
 相変わらず言い方はかわいくない。でもそれが寧々らしい。
 大きな足音。城山が来る前触れ。寧々に返事をする代わりに顎をしゃくってドアを指す。
「お疲れ様です!ヨーグルッチ買ってきました!」
「…騒がしいわね」
 変わらずに忠犬のような城山を見て思わず寧々が笑う。意外な人がそこにいたことにきょとんとしたままドアの前で立ち尽くす城山。
「………お邪魔でしたか…?」
「来て早々、勘違いしてんじゃねぇ〜よ」
 よこしまに気を回そうとするものだから空気がおかしな方向へ澱んでしまいそうになって、慌てて軌道修正しようとする。
 夏目が送ったメールの内容がムチャなものだったのではないかと今さらになって気付く。きっと城山は何も知らないのだろうけれど、どうせ夏目のことだ。気になるような内容を送ったのに違いない。だから城山は驚いてメールをよこしてから来たのだ。そこに寧々がいたものだから目を丸くしたのだ。全く夏目というのは人の悪い男である。
「気にしなくていいよ。アタシあと30分もいないから。…バイトあるし」
「バイト、って………さかなへんの、なんとか亭ってトコか?」
「そ。鮑亭!アワビがオススメの店だよっ」
 どうしてそれを知っているのか。聞かずとも現場仕事の多い城山が先輩方に連れて行かれたということは解った。そこにたまたま寧々がいたというだけのことで、それ以上でもそれ以下でもないということも。そこには知らない城山と寧々がいるということ。それが神崎にとってあまりおもしろいことではない。勝手に自分が知らない世界を作っている“他人”の世界。そうであるべきではないと思っているのは自分だけのようで、おもしろくはない。
「神崎も、機会あったら来ていいから」
 楽しそうにそう言われてしまえば、おもしろくない顔を出来るはずもなく。ただ小さく頷くだけになってしまうのが癪だ。結局城山を交えた雑談は風のように通り過ぎてしまって、特別な会話なんて何一つなかった。今日という日がまるで、まぼろしみたいに過ぎ去って行っただけだ。だから当たり前のように「時間だから」と立ち上がる寧々をぼんやり見上げて、城山が一言「送っていきましょうよ」と言うまでその答えにすら辿り着かなかった。あんまりにも神崎一らしいと言えば、らしいのだろうけど。


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 三人で見慣れた、けれど懐かしい公園へ歩を進める。夕方に神崎と寧々が顔を合わせた高校から近い公園である。
 別に送らなくても帰れるけど、という寧々の言葉を押し切ったのは神崎ではなくて城山。城山はバイト上がりだから公園に来るや否やすぐにヨーグルッチの自販機へと向かった。それも高校時代からの癖のようなものである。
「ここでいいから」
「おう、」
 短いやりとりと、寧々の後ろに浮かぶ街灯が心細げにじんわりと映る。
 どうしてだろう、今この瞬間のはずなのにこの時がひどく懐かしい。懐かしさは美化されているのが常というもので、何物にも例え難いかけがえのないようなものに思えてならない。決して手に入らない時を懐かしむ、それは年寄りのようだけれど。
 手を振る間、寧々が神崎の顔を見ていた。やはり表情に出ていたのかもしれない。当人としてみれば平静を装っていたつもりだったけれど。
「公園の、…別にヤじゃなかったよ!」
 公園の、が何を指すのか一瞬解らなかったけれど、寧々が自分の唇を指して言うものだからすぐにそれがはずみのようにしてしまったキスのことだったのだと、すぐに思い当たった。もう平静など繕うような余裕は一瞬で吹き飛んでしまった。たかが一人の何て言うことのない一つ年下の女に、バカみたいに喜怒哀楽を操られているみたいだ。顔が真っ赤なのは分かっていたけれど、それについて何も答えないのもあんまりだと思った。城山にも聞こえるくらい大きな声をわざと張り上げてやる。
「俺は、メールとか、電話。苦手、なんだよ!」
 連絡ならテメーからよこしてみやがれ。そう言わんとした気持ちはきっと彼女に届いたのだろう。寧々は笑いながら走り去って行った。きっと居酒屋のバイトの時間が押しているのだろう。



 戻って来た城山が、生意気にもからかうような言葉を神崎にかけるものだから、真っ赤な顔のまま神崎は昔のように城山に蹴りをくれてやった。アゴを押さえながら立ち上がった城山はシツコイマネはしなかったけれど、勝手に納得しているみたいで神崎としてはあまりおもしろくはなかった。でも、ヨーグルッチ飲みながら夜風に吹かれてるうちに何となく気も晴れていった。
 寧々に追い打ちみたいに置き去りにされた言葉がまだ、胸の内でひどく熱い。
 熱病みたいにじくじくしないように、城山と朝まで話す必要があるな、と感じていた。城山が明日の仕事に差し支えるのは、もちろん聞いてない。



11.07.23

主にガーネットクロウを聞きながら。

大学シリーズはあまり需要がないので続く感じにはしたくないんですが、どうにもオチてないからなってしまってるみたいです。
この流れだと、高校時代は絶対キスとかもしてないですね。しいて言えば手をつないだ、レベルでしょう(笑)子供か!

まぁ大学シリーズはパラレルなのでつながってないという設定のもと、ですけど


でももう少し書いてみたい。
男鹿だけはどうなってるのか想像つかないけど、でもこの段階だとまだ高校3年だから全然想像オッケーだしな。就職するとか進学するってのが想像できないんであって…(笑)ただしベル坊がどうなってるのかイマイチぴんとこないので(2年も経てば普通の赤子なら言葉も話すだろうからねぇ…)男鹿だけはあまり絡めたくないんですが、他のキャラも絡めていきたいような気はしています。レッドテイルのみなさんとか姫川とかね。


またネタがあれば神崎大学シリーズは書きます。というかネタがあるから書きます(笑)
え。っていう意外な話にもってければいいな、と思うアホウネギ

2011/07/23 23:08:25