いつの間にか大学に進学しているうちに、2年も過ぎていた。気付いていたら高校時代がガキの頃のように懐かしくなっていた。
 あの荒れた高校時代がひどく懐かしい。ヤンキー率120%の石矢魔高校にいたのがもう2年も前のことになる。今は自由だけどくだらない大学の生活に両足をつけて暮らしている。別に不満があるわけじゃない。高校時代よりも面倒なことがなくて、変わらず仲間らともつるんでいる。ただ、あの頃みたいな無意味にも殺伐とした空気がそこここにないってだけ。
 卒業の少し前に聞いたケータイの番号を、過去に何度かプッシュしてみようとして結局2年も時間が経っていた。ケータイで話そうにも用事らしい用事がないというのが理由だった。だからコールボタンを押す前に電源ボタンで止めてしまっていた。今日もそうなるのだろうな、そう思いながらケータイを開ける。
「神崎君、俺バイトだから」
 夏目がいつものように言ったタイミングと、画面に出ていた番号のコールのボタンを押してしまうのとが、同時だった。声を掛けられた拍子で、押すはずのないボタンが押されてしまった。「え、」とコールの音が鳴り出すのとが一緒。でも耳に当てていないから聞こえてくるわけではないけれど。
「俺より先に城ちゃんのが先に来るって」
 明らかに挙動不審な態度の神崎のケータイを夏目は間を置かず、ひったくるようにして奪い取り耳に当てる。この男のあっという間の早技に神崎も何とも口を挟むことができず、しばし沈黙と、コールの音に呼応するように鳴る心臓のどくんどくん、という馬鹿みたいな音と。どちらも聞こえないけれど神崎の脳内に響くみたいで嫌な汗が背中を伝う。
「あ、もしも〜〜し? 大森……寧々チャン、かなー? ん、やぁ神崎君がさ、…怒んないでってば。」
 コールするはずのない電話。誰が架けたのか分かっていながら寧々は出たんだろう。どうして寧々は出たんだろう。神崎は息を呑んで黙ったままそこを動くでもなく夏目を見ていた。というか、電話に出てしまった相手と話すことがないから下手に動くことはできなかったのである。
 動かないでいれば、夏目と寧々が会話をして、それで終わるのだと思っていた。けれど夏目はぎゅむ、と押しつけるようにケータイを神崎に持たせて「じゃ」とバイトへ向かった。最近時給が上がったし、チーフになったと言っていた。だからバイトに遅れるわけにもいかないのかもしれない。けれど勝手に電話を押しつけて行くというのはどういうつもりだろうか。ケータイを切ったような様子はなかった。久しく聞く寧々の声の前に、小さく声を掛けてみた。「お、‥おう」
「神崎?! 何なの、急に電話してきちゃってさ、意味わかんない」
「ちッげぇよ、………夏目がな…」
「30分後。高校の近くの公園、…待ってるから!」
 ぶっきらぼうな調子でそれだけ言われた。急にブツッと通話は途切れてケータイからは電子音のツーツーというあの音しかしなくなった。神崎がどうこう言う前に勝手に寧々が場所まで決めて、勝手に通話を切った。夏目が何か余計なことを言ったのだとしか思えなかった。喋ることなんてないというのに勝手に会うことにされるのはひどく迷惑だ。夏目が戻ってきたら文句を言ってやろう。そう思いながらも、時計を見る。行かない訳にも行かないだろう。夏目が勝手なことを言ったということを寧々に説明しないと、いつ報復に来るか分かりはしない。レディースというのはワケの分からんイキモノだからだ。
「チッ」舌打ちを一つすると久々に会う相手に失礼がない程度の着替えを済ませてから立ち上がる。
 夕方から雨ともテレビで言っていた。傘を一つ手にして前に通い慣れた道を歩き出す。高校と大学の道は反対方向だった。懐かしさが込み上げてくる。ヨーグルッチの自販機が例の公園にあるはずだった。尻のポケットを軽く叩いてサイフの存在を確かめる。久しく会う相手だ、ヨーグルッチをおごってやるのも悪くないだろう。いつの間にか公園へ向かう足取りは重いものから軽いものへと、知らず知らずのうちに変わっていた。



 ガコン。
 公園の自販機はまだヨーグルッチを売っていた。やはり旨いものは不滅なのだ。買ったヨーグルッチを片手で器用にストロー差して吸い始める。飲みながらヨーグルッチを買う。これは寧々の分。ガコン。聞き慣れた音が耳に心地好い。
「神崎!」
 神崎が呼ばれて顔を上げる。パーマかけて茶髪にした髪を下ろした姿は高校時代のそれよりはひどく大人びていて、前に見たことのないロングスカートを履いている。2年くらい会わない内にとても女っぽくなったと思う。だが張り上げる声はやっぱりレディースのそれで、今でもバカなアマを集めてやいのやいのやってるんだろうな、と思いながら自販機から取り出したばかりのヨーグルッチを投げ渡す。急に何かを投げつけられて慌てた寧々は必死にそれを受け取り、手にしたヨーグルッチに何だ、と溜息を吐いた。慌てたのは損だったと気付けばすぐにヨーグルッチの脇のストローを破り取って飲み始める。
「…よお、何だよさっきの」
 ヨーグルッチを飲みながらの方がうまく話せる気がして、ストローを口にしたまま神崎は寧々に歩み寄った。言われたとおり公園に来てみたものの、やはり話すことなどないのだから電話で言われたことを話題にするしかないと思ったのだ。
「あんたの方こそ何なの。夏目から聞いたけど、話したいことあんならサッサと電話くらいしなよ」
「……あァ?!」
 夏目が余計なことを言ったらしい。
 夏目は知っていたのだ。今まで何度も何度も、寧々の番号をプッシュしようとしてためらって、何度もそれを繰り返していたことを。それは電話番号を聞いたけれど話すことがないからで、話すことがない以上は電話をする必要がないからだ。それを夏目は知らないのだ。半端にそんなことを伝えたとして、何になるというのだろう。そして今、神崎はどうすればいいのか分からず途方にくれていた。
「ねぇよ!話したいこと、なんざァ」
 言えるのはそれだけだった。ただ、何となく高校時代を思い出す時に寧々の顔も同時くらいに思い出したのだ。そして、そのまま電話を握っていたというだけのことなのだ。そう何度も何度も、コールボタンを押せないでいる度に神崎は思っていた。
「じゃあ、なんで、聞いたのよ?!」
 当然な問い掛けだった。だが、連絡先を聞くのに理由なんて要るのだろうか。連絡する必要があるかもしれないと思ったから。他に答えがあるのだろうか。だが、連絡する必要が今までない。だから連絡していなかった。それだけでは答えにならないのだろうか。寧々の目は神崎を見据えて強く睨みつけているかのように映る。
「バカ」
 ストレートに蔑みの言葉を吐く寧々の様子に、神崎はいじらしさを感じた。目の前の寧々は待っていたのだと解った。それは言葉ではなくそう感じた。自分からの連絡をけなげに待っていたのだろうと。どうして、なんて理由は互いにないのだろう。神崎が連絡をしたくてもできなかったように、連絡がほしいと思う方も、どうして連絡を待っているのかなんて、きっと理由なんてものを求める方が野暮ってもんだ。互いにタイミングを計っていて、そしてずっと逃していた。言い訳にしか過ぎないのだけれど、きっとタイミングなんてよっぽどの大事がない限り必要ないのだろう。そのために軽く連絡ができるメールっていうツールがこの世にできて、出回っているのだろうし。どうしてタイミングばかり計っていたのだろうかと思うのも、やっぱり野暮というものだ。
「最近、高校時代をよく、思い出してた……」
 最初に浮かぶ顔はもちろん夏目と城山の二人だったけれど、その次に浮かぶ顔は大森寧々、目の前にいるその女の顔で。それだけだと言う代わりに、不貞腐れたような顔をした女の唇に自分の唇を押しつけるみたいにしてキスをした。ムードとかそんなものはこれっぽっちもない。けれど味や香りは全く悪くない。何て言ったって二人がさっき口にしていたのは、同じヨーグルッチなのだから。むしろ、神崎にしてみれば好ましいぐらいだ。



 静かな場所に行って、ゆっくり話がしたいと寧々が告げた時には相手の唇の感触も胸に仕舞われた頃だった。
 常々神崎は騒がしい場所にばかり行っていたように思う。得意なのはゲーセン。あとはカラオケボックス。カラオケならそううるさくはないと思うかもしれないが、結局行けば歌って騒いで終わってしまうのだから神崎にとってはうるさい場所に他ならないのである。下心を抜きにして出た言葉が「俺の家、近ェけど」だった。過ぎてしまえばあまりにヤラしい誘いみたいに聞こえる言葉だったのにも関わらず、寧々が小さく縦に首を振ったことは意外としか言いようがない。


「やっぱりヤーさんの家なんだね〜」と当たり前に言う寧々の姿はひどく儚げに映った。ヤクザの息子というのは、普通に友達とか学校とか、そういったことをするには邪魔だった。もちろん俺が上という意味ではとても使いやすいものだったけれど、対等の関係を生むためには邪魔以外の何物でもなかった。けれどそれをどうこう言わないのはやはりレディースにいただけのことはある、と思わざるを得ない。黒服がうろつく家を何ということもなくただごく普通に廊下を横切れる女というのは、神崎にとっては初めてであった。

「何だ、別に普通じゃない」
 神崎の部屋を見るや否やそんな失礼なことを口にする。寧々は神崎の部屋に何を思っていたのだろうか。武器がたくさんあるとか(例えば日本刀とかチャカとか)、イレズミのポスターみたいなのがたくさん貼ってある部屋だと思っていたとか(極道の妻の後ろ姿のポスターが部屋中とか)、そんなむちゃくちゃな部屋だとでも思っていたのだろうか。拍子抜けしたように無防備に神崎のベッドへと腰を下ろす。あまりにも無防備過ぎるだろう、と思ったが口には出さないでおいた。
 部屋の中にある冷蔵庫から麦茶を出した。ヨーグルッチは切れているらしい。冷たい麦茶で喉を潤す。どうしてだろう、さっきから気持ちがザワついて落ち着かない気がする。冷たい飲み物を飲めば落ち着くかと思い、神崎は注いだ麦茶を一息のうちに飲み干してしまう。静かな所に来てしまえば来てしまったで、ひどく落ち着かないものである。何か菓子でも出すべきかと部屋を探すが、元より菓子を部屋で食べるような落ち着いた生活をしているわけではない。そこに菓子と呼べるものはなくて逆に気まずい空気が流れているような気がした。ベッドに座る寧々と目が合う。寧々は、くすりと小さく笑った。…気がした。



*************


 おかしな男だ、と思う。さっき触れあった唇の感触はまだ胸に残っている。唇からは消えてしまっても、心のともしびとして残ったままである。そしてそれは決して嫌なものではなかったということ。
 だが、どうして部屋に来た寧々の様子を落ち着かずにアタフタした調子で見ているのだろう。神崎という男の心が解らなかった。
 この辺りでは有名なヤクザである神崎組の家に来てしまった当初はひどく緊張もしていたが、神崎一、彼が案内する廊下ですれ違う黒服の男らの姿はひどく小さいもので。それはもちろん、言葉とは違って、親分の息子・きっと時期親分になるであろう神崎一、その人がすれ違うものだから縮こまり小さくなる背中だったのだろう。下っ端というものはどんな世界であっても情けないものだ。そんなことを思いながら辿り着いた神崎一の部屋は、普通の男子の部屋のイメージそのものであったから、何だか拍子抜けした。
 部屋に女を連れ込んだというのに、この男は手を出そうとはしないで慌てふためいている。もしかしたら部屋に連れて来られた女は寧々が初めてなのかもしれない。そう感じればじんわりと胸の中に温かな思いが流れ込んできた。そして、気持ち的な余裕も生まれてきた。思っていたよりもずっとこの神崎一という男は純情でまっすぐな男なのかもしれないと感じ始めていた。
 手持無沙汰に二回目の麦茶を注ぐ神崎に救いの手を差し伸べてやった。
「今、何してんの」
「………大学、行ってんだよ」
 最近のヤクザはバカではなれない。と聞いたことがある。そういうことだろうか。やはりお家柄大学に行くのも当たり前と言われるのはどんなものなのだろうか。寧々には考えも及ばない世界であった。上のことは想像に難くないが、下の者を想像するのは想像を絶するだろう。しかしそこまで下流というほどでもない寧々は特に与えられる新情報もなく、単純に自分の近況を話す。きっと自分はさっき話した夏目とそう変わらない普通のフリーターだ。
「生活に余裕もないし、レッドテイルは抜けた」
 神崎の見開かれたその目を見れば、それが神崎にとってどれくらい意外だったことかが解る。
 確かに葵姐さんのためになら命を投げ出してももったいなくないとすら思って入ったレッドテイルだったけれど、姐さんが抜けてしまったそこにはあまり執着がなくて、高校の時はそれでも姐さんを思って、姐さんの背中を追っかけたくてずっとしがみついていたけれど、やっぱり生活とか暮らしとかそういったものが双肩にかかってきてしまえばどうしても子供のお遊びみたいになってしまうレディースの決まりもいつしか守れなくなっていて、それがオトナになっていくことだと気付いたのはつい最近だなんてお笑い。まずは自分と家族の生活が第一なんだとアルバイトに励むばっかりで、総会とか顔も出せなくなっていった。
 仲間がどうでもいいというわけじゃなくて、自分の生活に追われているんだと認めるまで、少し時間が掛かったけれど、認めてしまえばレッドテイルを抜けることは簡単だった。千秋たちはすごく寂しそうに見つめていたけれど、きっと時間が解決してくれることなんだろうって思ったから。
「楽しくても、ずっと、ガキのまんまじゃいれない」
 神崎の目がまっすぐに寧々を見つめていた。とてもまっすぐな瞳だ、と寧々は感じる。ガキのまんま、まっすぐ。
「アタシは、あんたと違う」
 ガキのまんまの目が驚いたようにきらきらと光っている。悪い意味なんかじゃない。ただ、まっすぐいることは傷付くことが多いということなんだと思う。自分に置き換えて、これから感じる不幸を少しでもやわらげてやりたいと思う。歳は一つ下でも、人生経験というものでは上なのだと感じて。ベッドの上についている神崎の腕を静かに、だが強く握る。


11.0720

Do As の Hand In Hand を聞きながら青臭い恋の中盤を書こう、と思って書きました(笑)



捏造の神崎(大学生)と寧々(就職浪人)。ま、石矢魔では進学も就職もできない、と思いまして。

今からどうなるか分かんないけど、パラレルのこの話の中ではラブなことはまったくないままに卒業していったのだけど、神崎が卒業する前に寧々のケータイ番号を聞いたらしい。けどずっと連絡もしなかった。
近付くべき糸はおのずと近付いていくもので、それに倣って今回も糸は近付いた。。。みたいなむちゃぶり。

続く〜〜〜 と言いたいけれど、続くかまったくわかりまっせん。そして、続いたからってオリジナルみたいな二人を誰が見たいんだろう??という不安もあるわけで。

title:joy