強くあるべきなのか神に問う



 眼を細めれば現実から眼を背けていると幻光虫は勝手に思うのかもしれない。見たい訳でもない思い出の欠片たちが、ひどく、重く、のしかかってくる。ずしり、と音も立てずに。あまりに澄んだ水がその虫らを呼ぶのかもしれない。とても哀しい色をした虫たち。幻光虫。森はひどく静かで、沈んだ思いを癒す音もない。

 ちゃぷ、

 マカラーニャ湖に身を浸す理由はそれだけで充分だった。沈んだ思いなど、泉に沈めてまた浮かびあがろう、と。
 一歩、一歩…と進む度に足は泉の水に深く浸っていく。流れは殆どないはずの泉なのに、ひどく水温は冷たい。もしかしたら、そんな気がするほどに水に触れることが遠ざかっているのかもしれなかった。このスピラとかいう所に来る前は毎日、これでもかというくらに水に浸って暮らしていたというのに。
 流れがない水よりも、流れのある水の方が水温は保っていられるというのに。それでもこの水はひどく冷たくジェクトの身体を包む。水音が鼓膜に届く度、友の顔を浮かべてしまう。この時間、一秒一秒という時間が彼にはとても大事で、貴重な時間なのだろうけれど。



「あん?」
 アーロンの言葉に耳を疑う。悲痛な叫びにも似た言葉は現実を物語っている。
「究極召喚とは、…己の生命を賭けて行うもの、なんだ…」
 だからブラスカは何も言わず、何も知らぬジェクトを選んだのだろう。そうアーロンは解っていた。そしてアーロンはまさか何も知らない者が選ばれる、などとまったく思ってもみなかった、と呟いた。ひどく思い詰めた様子で。そしてブラスカの言葉を反芻するように口にする。あの時、ブラスカ(様)はこう言った、それはジェクトの思い出話に合わせて、子供の話ものらりくらりとしたのだろう、きっと胸を痛めながら、と。そう言うアーロンの気持ちは痛い程解る。召喚士の末路を理解した今となっては。

 ちゃぷ、
 冷たさは胸の上まで来ていて、それは懐かしい痛みのような気がした。
 ブラスカはジェクトの脳裏で優しく微笑んだ。この状況でおかしいだろう! とツッコミすら入れこそすれ、彼の心中を探り当てたかった。
 ブラスカより強い人間を見たことがない。確かにスピラの民は諦めながら、何事も諦めずに生きているように思う。それでもどこか『シン』によって壊される世界を傍観視しているような素振りも隠し切れずにいた。だが、ブラスカやアーロンはそれとはまた別で、今までの諦めを断ち切ろうとしている心意気は伝わった(何も解らずにいたジェクトにすらも)。

 ちゃぷ、
 とうとう泉の水はジェクトの口元を覆った。さらにもう一歩、踏み出せば鼻先をも水に埋まってしまう。
 気のせいだろうか。虫がジェクトに問うた。『おまえが 命を賭して 守るもの は何か』と。
 息を呑むことは水中では許されない。呼吸は吐く以外に許されていない。ボコッ、と呼吸の気泡が近い泉の表面に浮かぶ。吐いた事実と音が殆どズレなく聞こえたことで、まだまだ泉の底には遠いのだと感じられる。澄んだ泉は普段の生活を思わせる。ジェクト自身も気付かぬうちに入り込んでいた泉の中。澄んだ水の中を悠々と泳ぐ。その中すらも幻光虫の光で照らされている。
 慣れた水の中でゆっくりと泉を泳ぐ。聖なる泉、と呼ばれているこの泉で及んだ者がどのくらいいるのだろうか。きっといないのだろう、と思う程にこの泉周辺は、ひどく幻光虫の濃度が高いために、強い思いをその場に残し易いのだ。それでも思いは残っていないということは、あまりここに人らは訪れていないということの裏付けに他ならない。



「ジェクト!」
 叫びの様な声が耳に届く。それはあまりに悲痛な色をしているからざばっと顔を上げてしまう。とことん甘いよな、とジェクト自身も内心反省している。この程度で顔を上げていては我慢なんて到底出来るとは言えない。だが、上げてしまった顔は強張ったアーロンの目とぴったりと合ってしまった。もちろん簡単に顔を出した手前、アーロンもバツの悪そうな表情を浮かべていた。内心、真面目くさったアーロンの本性をにやりと嗤ってやる。もちろんイジワルな気持ちで、だ。
 ジェクトに言われる前にアーロンには解っていた。その何という事もない様子ではたと思い出してしまった。
 そう言えばこの男は水の中の球技であり、格闘技と呼ばれるブリッツボールのエースなのだと自称していた。その実力は確かにあるらしい。アーロンはあのチャラチャラした球技に興味は薄かったが、それでもスピラで唯一の愉しみといわれる程の娯楽なのだから、ルールだって解ってはいた。だがジェクトにからかわれるのも嫌で知らない振りを決め込んでいるのだが。そんな程度のアーロンが認めても仕方がないのかもしれないが、確かにこのジェクトという男の実力はかなりのものなのだろうと思う。モンスターと戦う姿を見ても水中で舞うようにボール状のものがあればそれを使ったり、なければボールを殴るようにモンスターを吹きとばしたりする。時にはモンスターを殴って、それすら武器にしてしまう。スピラの常識などジェクトに通用しないのだから当然と言えば当然なのかも知れないが。
 そんな男が、水の中に入って行ったからといって何ということはない。その時にもし、ひどく傷付いたような、哀しそうな表情をしていたのだとしても、それでもこの男は水の中でどうなるものでもないだろうというのに。アーロンはそう思いながら水面に浮かぶジェクトの顔を睨み付けている。手に届く所にジェクトはいないし、手が届いたとしても何をする必要もないのだ。
 不意にジェクトの顔が厭味たっぷりな嗤いに歪む。
「おーお、アーロン。オレがくたばるんじゃねぇかって心配して飛んできた、ってかぁ?」
 この人を食ったような態度に腹を立てる者は数多いのではないか、と思う。だが、それも旅をしているうちに解った。ジェクトなりのポーズなのだと。彼なりの虚勢という防具なのだと。本当は人並みに考えたり、悩んだりしていて、愉しいだけで生きているのではないのだと。そう解っているからこそ、いつものように憎まれ口を叩くこともできなくなってしまった。押し黙るアーロンを眼に映したまま、ジェクトは小さな水音と大きな波紋を広げながら陸へと向かっていく。徐々に陸へと近寄る身体は湖によって濡れている。ジェクトの眼の下辺りからすべてが水に滴っていた。そんなことなど彼にとっては日常なのだろう。気にする風もなくアーロンへ少しずつ、一歩一歩と近づいてくる。すぐ横で立ち止まった。水音が止んだ代わりに水滴が落ちる本当に微かな音だけが響く。他には二人の吐息。そのくらいマカラーニャ湖は静かだ。
「おめえ、いくつだっけ」
 この場の空気とか雰囲気とか、そういったものはどうでもいいらしい。ジェクトの言葉の唐突さには毎度毎度呆れてしまう。どうしてこのタイミングでそんなセリフが出るのか、と思わず頭をポカリとやってやりたかったが、ぐっと堪えた。
「二十五だ。」
「若ぇなぁオイ。そんで。おめえはブラスカと同じ気持ちで旅、してんのか」
「当たり前だ」
「腹ァ括って……てえしたモンだぜ。ったくよ」
 ガードはそう軽い気持ちでできるはずもない。事実を知って、それでも逃げ出そうとしないジェクトという男が、そうそう軽いだけの男ではないことは解っていた。それでもやはり認めたくないことがあるのだろう。
「オレが二十五のときなんて、ブリッツのことしか考えてなかったぜ。死ぬか生きるか、ンなことは夢よ、夢。んで、絶対、人生やり直したってそれは変わんねー」
 そう言い終わるか終わらないか、その時に乱暴にくしゃりとアーロンの髪を撫で回した。てえしたモンだ、ともう一度口の中で言った。アーロンの頭からその手は離れようとしなかった。動きもしなかったが、ただ髪をくしゃくしゃにした格好のまま男は珍しくも、おとなしく何かを思案しているらしくじっとどこかを見つめている。
 ジェクトは黙ってゆらゆらと揺らめく幻光虫を見つめていた。懐かしい光だ、そう思う。この光はどこかで見たひどく心躍る光に他ならない。そう、思い出せば簡単なことだった。ザナルカンドの夜。眠らない街ザナルカンド。夜は太陽以外の光に埋め尽くされた。その光はブリッツボール・ザナルカンドエイブスのエースをたたえる光だったのだろう。今は違うその光を見つめたまま。
「見てみろ。水がある、光がある。ここは、ザナルカンドみてえに明るい。月の光なんて届かねえってのによ」
 故郷を懐かしむにはあまりに場所も場面もわきまえていない。そう感じるアーロンだったが黙っていた。そうしながら泉の中を縦横無尽に飛び回る幻光虫と宛てなく眺める。そうすることで自然に顔も視線も上へと上がる。顔を上げたアーロンの眼前に広がる風景。夜空に浮かぶはずの星ですら、息を顰めたようにその姿を現すこともない。ぞくりとする程に美しく、浮世離れした夢のような目映さでそこに現実として広がっていた。発光するのは幻光虫だけなはずなのに、そうとはとても思えない程に照らされた、時の止まったかのような世界。だが、同時にひどく冷たく生を感じることができない世界。それは湖の中にすら広がっているようで、澄んだ水を時折、波紋混じりに照らしだしていた。
「おめえらにも、あんな街、見せてやりてえな……」
 それを言い終わる前に頭の上にある手をぐしゃぐしゃと動かして、途中できっとアーロンにその言葉は届かなかったろう。もじゃもじゃになった髪を指差し笑って泉を後にする。ジェクトの手の形に乱れた髪を手櫛で撫でつけながら莫迦にするな、と怒鳴りながらいつものようにブラスカの待つテントへと走っていく。
「しっ」と、ジェクトにたしなめられてテントの中に三人とも収まった。寝袋はあるのだしブラスカのように疲れた身体を休めるこの時間がどれだけ大事なことなのか、それは知っていた。けれど、


 それはうとうととした頃。アーロンは元よりあまり寝付きのいいほうではないから、聞いてしまった。気付いてしまった。
 それは間違いなくジェクトの押し殺した嗚咽。
 夜目に慣れたアーロンの眼はその黒い影を映していた。僅かに蠢く影は苦しげに音を殺そうとしている。それでも呼吸の不自然さは隠し切れない程にしんと静まった空間の中、肩を震わせていた。何かに耐えているかのように。
 いつも強気の様子を崩さない男の弱さを見た。ああ、見なければよかった、と心底思う。何故なら、見てしまった所でどうすることもできないのだから。だったら見ない方がいいに決まっている。そう感じてしまうのは、少し不思議な気もした。何故なら、どうすることもできないことなどスピラには今までだって、たくさんあったはずだからだ。きっと、アーロンもジェクトに染まっているのだろう。スピラの色に染められることのない自由奔放な彼の思想に。
 そんな思想でさえ、諦めという言葉を紡ぐことがあるのだろうか。ジェクトのしおらしい態度はあまりにショックである。きっとこの男はブリッツ以外でも夢を与えることができる男なのだろう。だから、諦めないでほしい、と切に願う。
 だから、今見たことは忘れよう。そうアーロンは目を閉じた。発される嗚咽のような音は、眠気で飛んでしまえばいいのだ。そう願いながら。



(そう、これはきっと、彼を思う祈りなのだろう。)





11/05/25
見上げた流星がテーマソングです(笑)
これを書きながらFFX関連の本を広げてました。アルティマニア系とメモリアルだけですけど。

そのせいかわからんけど、思ったより長めになってしまった……


タイトルを裏切ってるかな? 誰のココロにも神はいないのだから。でも、最後の言葉で許してやって。神はいないと思ってても、何かに「祈り」捧ぐことはできるんだし。
強くなりたいのは、誰かを守ったりすることにはツキモノだしね!ってとこで逃げてますけどね(笑)


幻光虫のあまりにも明るい様子(ティーダとユウナのちゅーシーンのアレね)にザナルカンドを思い出すあっし。それをジェクトに代弁してもらいますた。そんな不謹慎な内容、誰も書いてないかなぁ?どうだろう、、、

一人一人が、仲間の一人一人を守りたい、そんな物語。

2011/05/25 00:29:30