命ある限り、続く繋がり。



 はらはらはらはら。隣の日焼け男が左記の擬音のように涙を溢した。
 あまりに急過ぎて、言葉を発するのも敵わない。ただただぎょっとするばかりだ。何かを口にしようとする。例えば「何があった」「大丈夫か」「悪いものでも食ったのか」とか。そんなありきたりな言葉で十分だろう。あとのことはその答えによるのだから。だが、喉がカラカラで、アヒルでもあるまいにぱくぱくと口の開閉をするだけにとどまった。喉からは詰まった呼吸音のようなものが洩れているだけで、言葉には全くなっていない。きっとまぬけな様子この上ない。その間も、隣の男の眼からは大粒の涙がぼろぼろと落ちては、肌の中に溶け込んでいくように下へと流れていく。上半身裸の厚い胸板にその雫は吸いこまれていく。
「…っ何、」
 喘ぐように声にできたのはそれだけ。熱い焦りのようなものを何とかやっと声にしたような、絞り出した小さな音。その音に反応などする訳がないと思っていたが、それはどうやら違ったようだ。隣に座っておろおろしている男に、今気付いたかのような意外そうな様子で見た。「は?」と、聞こえた声は思ったより涙に濡れてはいなくて少しだけ安堵する。
 だが、はたと気付く。何だその声の意味は? あまりに間の抜けた様子。意外そうな表情のまま時が止まったように眼が合う。だが隣の男からは何も聞き出せそうにないと思うとすぐに視線を下げた。
「あ?うわ、わ、わ、わ、あれ?れ?」続いて意味のない声。はらはらと落ちる涙を見て、下を向いているからそれは自分の胸にかかり手を濡らす。どうやら当の本人も全く気付いていなかったらしい。はらはらと流れて落ちる水を見ては慌てている姿が、じつに滑稽だった。
「何なんだ……お前」
「っふは。…ガキみて〜〜〜」
 無理して笑ったのかも知れない。目の前の顔は涙にくしゃりと歪んだ。まだ流れは止まりそうにない。彼の言うガキ、とは彼自身が常に心に留めている愛すべき子供のことなのか。それとも、公然と使うどこにでもいる泣いた子供のことなのか。そんなことなど今この場所で全く関係ないのだけれど、どちらを指したのか。それすら解らない。だから当然、この男が何故に泣いているのか、なんて解りっこないのだ。慰めは必要なのか、痛む所があるのだろうか、とか、何一つ解ることなどない。
 ただ有るのは目の前でこの男がデカイ図体をして泣いているのだという事実のみ。先より変わった、と思うことが一つだけある。それは、
「ジェクト、」
 男の名を呼んで、背中を軽くぽんぽんと叩く。涙するジェクトを取り巻く空気。それは悲しみに似た何かに包まれたということ。きっとジェクトは何で泣いているのか、最初は分からない顔をしていたが瞬時に理解したのだろう。それは隣に座るアーロンには何も伝わってはこなかったけれど。啜り泣きのようなものが聞こえるが、深く聞こうとは思わなかった。部屋中を充満している空気はあまりに切ない色に染まっていて、まるで晴天の空が莫迦のように思えた。ジェクトはこんなに涙の雨を降らせているのに、と。



 時間にして一時間弱、くらいだろうか。三十分程度だろうか。旅には大事な時間だったかもしれないが、生きていくには些細なぐらいの時間。やっと男は洟を啜って顔を上げた。
「よく、分かんねえけど……………ココが、痛ぇ」
 とん、と自分の胸を叩く。物言わぬアーロンの手を掴んで、ココ、と胸を触らせる。何をしているんだこの男は。などとツッコむ気にもなれない。元よりスキンシップの激しい男なのだ。だからこそ馴染めずに、それでも馴染みやすく旅をしてきたのだ。ジェクトの胸からとくん、とくんと鼓動を感じる。血潮が痛いと泣いているのかもしれなかった。
「アーロン。マジな、…頼みがある。」
 いつになく真剣なジェクトの表情に気圧されてしまう。即、「ああ」と短く返答した。



 何も考えずに返事をするものではないな、とアーロンは溜息を吐くことになった。
 天気は晴天。確かに旅をするにはちょうどよく気候もそこそこ過ごし易い。ブラスカは全く嫌な顔もしなかった。すぐにジェクトの頼みを受け入れた。旅の目的地を眼前に控え、休んでいた先に尻込みしたかのように再びザナルカンドに背を向ける行為。
「悪ぃ!もっかい、グアドサラムに行きてえんだ」
 などと急に言ったものだ。今までの旅もジェクトが元で時間を、金をロスしているというのに。何を考えているのか分からない男である。それはいつまで経ってもきっと変わらないんだろう。元よりまるっきり考え方も、育ちも全てが違い過ぎるのだから。
 そんなこんなでジェクトの無茶苦茶な願いはブラスカによって許された。そうなれば善は急げで一行は今までの道のりを引き返す道をゆく。やはり馬鹿馬鹿しいとアーロンは進言したが、ブラスカは困ったように笑っていた。外に出る前にジェクトの涙の痕は既に過去のものになっていたようだ。明るい空の下、陽に照らされても先にぼろぼろと泣いていた男とは思えなかった。もしかしたら見間違いだったのではないだろうか? あまりに威勢のいい男の姿には呆れて言葉も出ない。


 再び現れた大召喚士様一行の姿に、村人らはやはり喜んで近寄って来た。それに返す言葉はいつも同じ。
「忘れものを取りに来たんだ」。

 行きよりも早い速度で再び暗いグラドサラムに戻る。早いと言っても数日は掛かっているのだから、宿も使うしモンスターも襲ってくる。ゆっくりなどしていられるわけがない。途中の雷平原を見てジェクトはうんざりしたようにぶつぶつ言っていたが、自分が言いだしたことだ。曲げはせずに素早く突っ切る。雷を避けるのは相変わらず苦手のようだが、それも面白くないらしい。鼻息荒く駆け抜けるしかない。町の陰気な様子も変わらない。やはりグアドサラムは死に一番近い場所のように感じた。それは、異界があるせいだけなのだろうか。もっとも、思いに答えなどないのだが。
「異界…か?」
 ジェクトが目指していたのが、その場所だったことをアーロンは初めて察する。最初にそこに訪れてブラスカの妻との馴初めを聞いてゲラゲラと笑っていただけだったのだが、一体彼を呼び寄せたのは何だったのか。そして、はらはらと涙を流す男の胸の痛み。ジェクトは呼ばれたのだろうか。それとも、ザナルカンドを目の前にして逢いたい人を思い出したのかもしれない。
 アーロンは異界への階段で眉を顰める。足取りも重かった。死が近い場所はやはり空気が重く、人の気の力もひどく強い。だからこそ感情を押し殺し生きてきたアーロンには、あまり行きたくない場所だ。
 それだけに前に異界に行った時、ジェクトが声を押し殺してその場の空気を和ませ、笑って退散せざるを得ない状態にしてくれたことに、実は少しだけ内心感謝している部分もあったのだ。再びそんな所に来ることになろうとは…と、足取りが重くならないはずもない。
 呻きにも似た音と共に絶景とも言えなくない風景が広がる。水のような幻光虫の滝にも似た流れと、広がる花畑。きっと死人を見せているであろう異界の真ん中に浮かぶ思いのような光。滝の癖に水辺ではないその場所。確かに暗いそこにはじめじめとした空気は流れているのだが、それは生きる者としては不快すら感じるもの。立ち込めるその‘気’のようなものは生者に幻光を見せる光なのかもしれない。
 前に来たよりもどんよりとしているように思われる空気の中、ブラスカは、ジェクトは。アーロンを放って滝の奥にある、不自然に浮かぶあの光を眺めている。まるで、口裏を合わせたかのように。その姿を見たアーロンは何故か、張り詰めた空気を感じて背筋がゾクリとした。理由など解らないが。


 滝の音が耳障りに感じた頃、しかし時間にすれば十数秒程度だったのだろうが、それはブラスカの、ジェクトの目の前に現れた。遠目に見ていたアーロンが一番よく見ることができただろう。彼らの思う女性の姿が、そこに現れていた。
 ブラスカの前に浮かぶ女性の姿は、前に異界に来た際に見たものと寸分も変わらない。金の髪に優しい笑みを浮かべて微笑すら浮かべている。異界は一番美しい姿を映すのだろうか。それとも、願った相手の想う姿で現れるのだろうか。アーロンは誰が浮かぼうともその姿を眼にしないようにずっと下を見ていたから、全く解らなかった。自分の前に現れたかつての友人らの姿さえも。だが、その姿を今日も見るつもりはない。今日、見てしまったのはジェクトの眼前に映った、橙に近い茶髪の女性だった。見上げているジェクトの眼が感慨深く細められたことで、その女性が彼の特別な女性であることは明らかだった。この前は、彼女はいなかったのに。そう口にする前にジェクトはアーロンとブラスカに向けて言った。
「オレの、女房だ。」
 決して絶世の美女という訳ではないが、ブサイクという訳でもない。特に目立った特徴もないが目鼻立ちははっきりしているので悪い印象を与えない。意思の強そうな瞳はその中でも少しだけ印象に残り易いだろうか。あまり色気を感じるようなタイプでもない。ちょっと美人かな、ぐらいのすぐに忘れ去られそうなくらいの女性。ジェクトという人柄を見ればこの程度の女性では物足りないのではないか、と思うぐらいの印象。その意思の強そうな瞳を切なく見上げる。
「…強いな、ジェクトの奥さんらしいよ」
 ブラスカの言葉の意味を解らず、ゆっくり、ゆっくりとジェクトは視線をブラスカに映していく。アーロンはその言葉の意味を理解している。異界という場所のその意味をも。だが、それを信じたくはない。だからこそ己が映したその人らの姿を決して見てやろうとはしないのだ。…あまりに、哀しくて救いようがないから。
「異界送りで送られた者もそうだが、生前より死を認めていた者は、ここに現れるんだ」
 ブラスカはそれをいとも簡単に口にしてしまう。自分は送る者だから、認めぬ訳にはいかないのだ。言ってしまえば、異界に来るのは死んだ者だけだということ。裏を返せばどう足掻いても異界には死んでいない人は訪れないということ。
 つまり、ジェクトの妻がここに現れたというのは、ジェクトは異界送りや異界、むしろスピラというものが解らない『ザナルカンド』から来たのだから、異界送りをされる訳がない。ということは、彼女は己の死を受け入れていた、という事実に他ならない。微笑む彼女の姿からは何らかの事故で亡くなったのだろう、と感じてしまう。それほどに生気に溢れていて、病気で亡くなったことなど思いもよらないからだ。
 しばらくジェクトは妻と見つめ合うように立っていた。その目には悲しみや嬉しさ、といった感情は見てとることができなかった。アーロンが眼にしたジェクトには珍しくぼんやりとしているかのようで、どこか真剣なその眼差しに、声を掛けることなどできなかった。言葉で何かを説明させたとしても、きっと理解などできないだろうから、聞かないでいて正解だったのかもしれない。



「ガキは、…生きてんな」
 ジェクトはそれだけ呟いて、ブラスカの言葉などどうでも良さげに異界から背を向けた。ゆらり薄れゆくジェクトの妻の姿が哀しそうに歪んだ。もちろん異界に浮かぶ姿が何らかの意思を示すことなど聞いたことがない。きっと眼の錯覚なのだろう。
 それ以上言葉を発さないままに異界から出てゆくジェクトの背を追って、アーロンもその場を後にした。ブラスカはその後に続いている。妻の死を共有した戦友ふたり。アーロンはまだ歳若く結婚すらしていないからそれを共有することはできない。だから肉親を亡くす思いを想像するしかない。けれど想像で慰めの言葉を掛けられて、人は納得などするはずもないと感じていた。そう思えばこそアーロンは何も口を噤んだまま。
「ワガママに付き合わせちまって、悪ぃ。んじゃァ、……行っか!」
 いつもと変わらぬ明るい声色のジェクトがひどく切ない。きっとブラスカとジェクトは今、思いを一つにしているのだろう。そう思うとアーロンは何とも言えぬやるせない思いが胸を突いた。だが、それを言葉にすることは敵わない。もう、ジェクトは走り出していたのだから。



110523

ブラスカ様一向in異界A

(笑)イヤハヤこれにはまったくカップリング要素はありません。
やっぱり愛し合った嫁(?)が死んだ時にクる風のウワサ、みたいなものを信じて。
もしや… って感じたガキは死んでなくて、実は心底ホッとしたオヤジって感じィ(何

でもホントはおかしいよ、って話
ティーダ君のオカンは9年前に亡くなってて、ブラスカのナギ節の時代は10年前なんだから。
本当はおかしいけど、でもブラスカらの旅が半年くらいかかってるって考えて……同じ年にぎりぎり母ちゃんは亡くなって、
そんな感じできっとめまぐるしく色んなことが起こりすぎて、正確な時間なんて踏み潰されるような。

とか書いてみたけど意味不明だからやめます(笑)要はいいように解釈してくれ、ってこと。
大体ティーダらの世界は夢のザナルカンドなんだから、多少は歪んでいてもおかしくないし。それを言っちまうともうあちこちほころびだらけなんだろうけど(笑)そんなこと気にしてちゃ何も読めないよなって話
何より、死んでも胸がぎりぎり痛むようなレンアイをした夫婦とは思えないよな…って思いながら書いた(笑)



異界篇共通BGM:森山直太朗




マジ嘘ですね;
アーロンが亡くなってからオカンは死んでるはずだから(笑)
まあ軽いパラレルってことで許してつかぁさい。うんこより

2011/05/23 00:27:39