繋いだてのひら、幸せひとひら

透徹







「ただいま。…なんてな」

 いつもの軽口が聞こえた。シエラはその時、空耳かと思った。だが、あまりに鮮明な声に思わず振り向いて、
「っ…?!艇長!?」
 驚きのあまり若干声がひっくり返ってしまった事はツッコミを入れない。
 ツッコミとかボケとか、そんな事は超越しているくらいに二人は久々に顔を合わせた。
 簡単な話はシエラも知っている。急に現れたツンツン頭のクラウド達と一緒に艇長…シドは半ば強引に旅だったのだ。その間、全く戻ってこなかったわけじゃない。ひょんなことから神羅の宇宙開発部で停止していたロケットを動かす事になって、シエラもシドもクラウドも、三人で死とすれすれに宇宙に飛んでしまう事にもなった。それはメテオという厄災から身を守るために致し方なく行った事だったのだけれど。そんな事はどうでもよくシドはロケットで宇宙まで来られた事に子供のように感動して、そればかりで。己の死を顧みる事もなく。
 だが、そのシドの命を助けたのは今度こそ間違いなく、シエラだった。
 シドもシエラを助手に選んだのだ。その腕を信用していないわけではなかった。だが丁寧に丁寧を重ねる仕事ぶりは、シドとまるっきり正反対。だから焦れたのだし、もちろん他の部下たちのスピードにも及んでいない。よく言えばマイペースというヤツなのだ。それは時に咎められるべきものであるし、何よりシド自身が短気な方だったからシエラには当たりやすかったというのもある。彼女がシドに対して怒ったり喚いたりしないという事もある。
「ぁんだあ? シケたツラしてんじゃねーぞ、シエラ」
 片目を細め、片目を大きく見開いた茶目っ気のある表情でおどけたように、いつものようにシドは久しく訪れた我が家にズカズカと入り込む。そこはいつもと変わらない。いつものようにがらくたのような機械がゴロゴロとしていて、それをいじるシエラとコーヒーの匂いと機械油の匂いと、何かをいじったらしい電機で削ったのか焦げたような鼻をつく臭いと。あとはシエラのボサボサのポニーテールと汚れたメガネとグレーがかった白衣。
 シドが行く前と何ら変わりない自宅の様子は、シドの心を落ち着かせた。シエラを置いておくだけの意味があるというものである。懐かしさに胸を突かれ、決してよいとは言えない機械だらけの我が家の香りを胸一杯に吸い込んだ。
「…どうしたの?」
 おずおずとした情けない態度でシエラはシドの目の前に立ったまま、聞いてくる。シドはと言えば、それで気をそがれたと言わんばかりにチッと舌打ちし、シエラに顔を向けた。両腕に持った荷物は殆ど自分の洗濯ものである。それをその場にぼとぼとと落としたままの恰好でシエラを見下げる。
「ったく、おめえは相変わらず気が利かねえな。俺ァ疲れてんだよ……休み易いようにしねえか」
「うん。…ちょっと待っててね」
 本当に献身的な女性である。いつ帰るとも知れぬ上司を待ち、急に何の前触れもなく帰った彼をもてなす。それで文句も言わない人などいるだろうか。そんなことシドだってもちろん分かっている。分かっているけれど、…


「お待たせ」
 シエラはただシドを待たせていたわけではない。
 まずは簡素な食べ物と酒をシドの前に置き、両手に持っていた荷物を引き取って姿を消す。姿を消してから行なったのはその荷物をバラし、着替えを洗濯機に放り込む事。それと同時進行で風呂を沸かす。くたびれたシドがやりたい事は風呂かメシというパターン的な希望なのだ。これを理解できるというのも数年という時間を共に過ごした暁であろうが。
「おう」
 シドは与えられたとおりにシエラによって用意された服を着て、風呂からあがってくるのだ。

 だが、今日は一つだけ違う所がある。そう、シドが今までにない旅から急に帰って来たという事である。その理由をシエラは知らされていない。だが、その旅の理由は最初は巻き込まれた形で関わったシドであったが、最終的にはシド自身の意思で関わっていった事もシエラは熟知していた。
 詳細は分からない。ただ、『メテオ』という星をも滅ぼす事が出来るものが、自分たちが住んでいるこの星をゴッツンコして壊そうとしている。言葉の通り軽いものであるならば問題はない。だがそれは事実だ。星が壊れてしまえば自分たちはもちろん死んでしまうだろう。死んでしまうだけならばそこまでの問題はない。死ぬまでの時間、どれくらいの苦しみや憎しみが生まれるか、全く分からないのである。もしかしたら、壊れ切れなかった星がそこに残って、暗闇の世界が数百年も続くのかもしれないのだ。だからシドはクラウドたちに続き、立ち上がった。星を救う旅に。
 終わった兆しもない。それでもシドはシエラの元に戻ってきた。その理由を、もし、シドの口から聞く事ができないのであれば、シエラは彼に聞くしかないであろうと感じていた。


「いい湯だったぜ。おめえも入ってきたらどうでえ」
 半裸でタオルを巻いたままといったいでたちでシドは再び現れた。ガシガシと頭を拭いている。いつもヒゲを生やしたままの顔は、また剃るのを忘れているらしい。シエラは自分が風呂から上がってきてからでもいいか、と思い相手の言葉に頷く。シドが風呂を進めてくるのも機嫌がいい時ばかりだからそう多いわけではない。
 シドと違い毎日自分の好きなように風呂に入る日々を続けてきたシエラは、シドと共にいる時間を珍しいものとして少し早めにシャワーを切り上げて来た。いつものとおりドライヤーで髪を乾かす事はしない。もちろん風呂上がりに実験などがあれば水分が邪魔になる事もあるので乾かすのだが、それ以外は自然乾燥に任せるまま。全く色気のない事である。
「いいお風呂だったわね。シド、ちょっと」
 シエラは先程から気になっていた無精ヒゲをきれいにしてやろうとシドの顔に手を伸ばした。
「わっ!!!」
「え?どうしたの」
「…な、なんでもねえやい」
 そのまま大人しくシドはヒゲの処理をシエラに任せたまま、何かを考えたような顔をしていた。それは、ヒゲの処理が終わるまでそのままだったのだから、きっと宇宙の事でも考えていたのだろう、とシエラは感じた。
 ぞりぞり。低く、あまりよい音とは言えない音がそこらに響いていた。それでも互いに懐かしい音だった。シドにとってはシエラにヒゲを剃らせる事は当たり前の事だったし、シエラにとってはヒゲの処理もしない彼の始末をするのは当たり前の事だった。だが、メテオがそれを分けた。それだけの事なのだ。
「お帰り。シド」
 シドは返事をしない。何かを考え込んでいるような表情で、もちろん起きている。
 シエラは思い出す。こんな思いつめたような顔をしているシドの事を。それは過去に自分のせいで一つ、あったからだ。



 シエラが思い出すのは、彼の思いを運んだ宇宙開発のロケットの事。それはクラウドたちにもよく分かっている話だが。
 元よりシドは神羅カンパニーの宇宙開発グループのロケットの運転士としては超一流の腕を持っている男であった。そのロケット開発にも勿論口を出し、手を出ししたし。その方から助手として認められた事は驚き以外の何ものでもなかった。それほどまでに自分の腕が買われたのはこれまでに初めての事だったからだ。
 とある日、ロケットは宇宙まで飛ぶはずであった。
 しかし、それはシエラのせいで遮られたのだ。
 シエラは部下たちに任せていたボンベとポッドの点検を、やはり部下たちだけでは心配で自分の目でも確かめるべきと胸騒ぎを感じた事は伏せて始めたのだった。しかし、時は待ってはくれなかった。
 神羅は勝手にコンピュータ操作で何時何分に発射、としていたのだがロケットにシエラが残っていたことを受けて、シドは緊急停止をしたのだ。それはシエラが死んでしまう事を避けたため。ロケット内はコクピット以外の室内は全てロケット噴射による熱で人間など溶けてしまう程に熱くなるためであった。
 シドは宇宙へと飛び立つという夢を捨ててまで、シエラを救った。
 それ以降、シエラを助手として招いたのはシエラにその償いをさせるためだろうと周りの者たちは口々に言った。そして、そうするべきであるとシエラ自身も思い続けてきたのだから。
 生涯をかけて、シドへ尽くすべきだ、と。



「…シエラ」
 いつになく真面目な表情のままシドが呼ぶ。手招きと己の肩を軽く叩く事で彼の言いたい事を理解する。“隣に来やがれ”シドはそう言っている。その言葉のままシエラはシドの傍らに腰を下ろす。それはソファの許す限りの間があった。シドは何も言わずに隣に座るシエラの向こう側の肩に手を伸ばし、自分の方へとぐいと引き寄せた。
 隣に座るように言ったのは間違いない。けれど、間近に座るようにはシエラは取らなかった。否、そのように取れるわけはない。恋人でも何でもないただの仕事仲間なのだし、今までそのように命令した事もないのだから。
 急にぐいと引き寄せられた肩と肩が触れ合った。シエラもシドも無駄な肉がつくような暇もない体だ。ごつんというような感じで、触れあった所であまり心地好いものでもない。そんな肩同士が触れ合った。そしてシドはそのまま動こうとしない。そのまま、というのはシエラの肩を抱いたまま、ということである。
「何…?シド」


 常々、仕事では『艇長』と呼ぶ事が当然だと思っていた。しかし、同居する事になってからというもの、家の中でもシエラはシドを艇長と呼ぶものだからそれが嫌だと頭を小突いた。それは、数度となくそうし続けた。彼自身が艇長呼ばわりする事を望んだのではないのだと言う事を、その時初めてシエラは知った。単に“飛空挺の長”であるからして部下たちは勝手に彼を艇長と呼んでいたのだ、と。だからこそ彼は初めて会う者にこう告げるのだ。
「親からもらった名前はシド。みんなは艇長って呼ぶけどな」彼は間違いなく、己の事を艇長と呼ぶように。などとは一言も言っていない。
 彼の言動から察するに、艇長と呼ばれる事には慣れてしまった。だが、それは仕事の中だけの話。仕事もプライベートも共にするシエラにはやはりそれは嫌だと言った辺り、聞きなれない言葉なのだろう。一日の内の半分以上が仕事であるはずの彼ですら。否、シドは仕事だと思っていないのかもしれない。怠る事ないロケットや機材の掃除といったものの全てが彼にとっては、もしかしたら生活の一部なのかもしれない。

 シエラと一つ屋根の下、暮らす事になってからというもの、シドはシエラに細々(こまごま)と文句をつけるようになった。『艇長と呼ぶな』『家の中のものは勝手に動かすな』『風呂上がりに使うタオルを置いておけ』『時間どうたら言うんじゃねえ』…そんなような事を文句付けた。言葉にしてみれば億劫な事かも知れない。しかしシドがシエラに望む事はそこまで大それた事ではなかった。何故ならば彼の生活というものは全て仕事によってなされていたからである。
 仕事以外の事はどうでもよいのである。だからそれを補佐すると思えば勝手な行動などするわけもない。さらに同じ仕事を共にする仲間なのだ。相手の気持ちなど計るように分かって然るべきなのである。


 だが。それなのに。
 シエラは今、シドの気持ちが分からないでいた。くっついたまま離れずに、離そうとせずにいる艇長シド。今までとはどこか違う。自分の知らないシド。
 今の仲間、それはクラウドやティファやバレットらなのだろう。今の仲間の顔をシエラも知っている。共に、事故的な事とは言え、宇宙に行ってしまった事がある仲間だ。シエラも忘れられるはずもない。
 彼らの顔を思い出しつつ、彼らに変えられたのだろうか。と感じずにはいられない。
 隣に座るシドの顔はいつになく真剣そのもので、何か宇宙にまつわるラッキーがあったのだろうか、と感じてしまう程だ。だが、神羅が動けないでいる今、そのような宇宙開発に関する進展などあるわけもなかった。分かり切った事である。
「あのよぉ…」どこか言いづらそうに、そわそわした様子のシド。
 ヒゲを剃ったばかりの顔は年相応に若々しく映る。更にその落ち着かぬ様子とあれば、それは更に増す。
 シドは特に言葉を発さない。発する事ができないでいる様子だ、と言った方が正しいかもしれない。その様子についてシエラが聞いても「うー」とか呻きで返す始末。頭を抱えるようにぐしゃぐしゃと髪を掻き上げてからすぐにベッドにごろんと横になった。見下ろす視線になるシエラと、眼が合う。





「隣で、…寝ろ。」










 朝。シエラの隣にシドはいない。
「…っ、艇長?!」
 すぐに跳び起き、昨日の出来事が夢現ではなかったのか、それを知りたくて庭に出た。メテオのせいだろうか、常であればひんやりとしているはずの早朝の空気が不思議に重く、ぬるく感ぜられた。
 存在しているならば、きっとシドは庭でテキトー体操をしながら工具を弄り回している。もしくは、庭先でタバコを吹かしているはずである。それが今までのシドの日課だったのだから。
 シエラの足音は荒く、工具の音を掻き消していたかも知れない。シエラの耳には聞きなれたシドの機械いじりの音は聞こえなかった。それでも、



 それでも、シドはドライバーを隣に置いた格好でタバコを吹かしていた。
「……艇ちょ、……シド…」
 今は仕事ではないのだと気付いて「シド」と呼ぶ。煙はシドの愛する空へと長くたなびく。
「おうよ、それでいい。シエラ」タバコから口を離して発する言葉はそんなもの。
「見てみろよ。」シドは顎をしゃくって、シエラの視線を促すようにする。シドの見せようとしたのは、空。
 見上げた空は、紫に濁っていて、シドの愛した空ではない事を物語っている。ああ、これが『メテオ』の威力か、とこの星に住む誰もが感じずにはいられない光景。空が紫なだけならば夕暮れの沈む前を想像する事もできるだろうに、太陽の姿が見えはしない。何か分からぬ破壊されているかのような物体が空に浮かんで、今にも落ちんとしているかのような近さで、そこに浮かんでいる。それが落ちるまでに時間がかかる事は分かっていても、それは酷く近くにある破壊物体のようで。星が割れた、思わせる見た眼をしているそれ。それこそがメテオなのだ、とシエラは悟る。星じゅうの全ての人を不安に陥れる物質。
「今からアイツ、ブチ壊してくらぁ。だから―――…待ってろ」
 赤に近い紫に染まっているシドの顔。真剣な眼差し。紫の空。ゴクリとシドの喉仏が鳴った。



 昨夜、「隣で寝ろ」と命令口調で言ったシドの隣に、本当に横たわったシエラを迎えたのは、馬鹿みたいにドクドク・ドカドカと鳴っているシドの心臓の音だった。待って、こんな音の中、寝れるわけないじゃない、と内心ツッコミを入れたシエラだったが、早鐘うつ胸を思うその胸中について想えば、シドという男に愛らしさすら湧いてくる。
 だらしなくしているせいで、本来の年齢よりも老けて見られるこのシドという男は、もしかしたら異性を隣に置くだけでウブになってしまう初々しい少年のような心をもつ者なのかもしれない。そういった話は今までした事がなかった。それだけに意外性もあり、母性に似た何かがシエラの胸の中に宿った。
 シド、可愛いな・・・
 ぎゅう、と隣のシドを抱いた。ブラジャーをしていない直に近い胸の感触がきっと、シドの身体のどこかに触れているだろう。またシドの息の飲む音が聞こえる。顔も赤いのだろうが、就寝間近なこの部屋の中では顔色までをも窺い知る事等できるはずもない。想像でしかない。
 まだ激しい心臓の音は、止まない。シドは何を思っているのだろう。シドの体温が気持ちいい。ぽかぽかしている。心音にはいつしか慣れてしまった。ぽかぽかしている。風呂上がりだ。そんな中、意識は闇に引きずられたようだ。


「うん。待ってる」
 シドの言葉に返すのは、勿論この言葉以外にないに決まっている。


「すぐ、帰って来てやっからな。」
 負けずにシドはこう返した。


*****

遊助のエスケープはまるっきりシドのテーマです(笑)。
孤独でも、なんでも行きつくとこまで行く、っていうシドの心意気。そして、それを暗くなく明るく表すテーマとしてかなり合ってるような気がしますね。まぁアルバム曲なんで、知ってる人も知らない人もいるんだろうけど。

今回はシドの方から思うことを言っていますが、基本、シドは奥手っぽいイメージ。
まぁこの時ってば生きるか死ぬか、星がどうなるか分かんない状況ってのもあるんで勢いで、ってのもあるだろうし。みたいな印象もありますね。

シエラさんって女性としてのこう、可愛らしいとかそういうのって多分、無いと思うんです。でもこの人ってばすごく一途だし可愛いわけですよ。それをあっしの拙い小説モドキうんこ文章で分かってほしいなって思うわけです。
まぁZやってても一途なのは変わらないのだろうけど。持って生まれた性質なんだ、きっと。



ちなみに書き終えたっぽいのは11.05.21
しかし最後のシドの一言と、後書かいてんのは11.06.10
だいぶ経っててウンコである。

だから当時の気持ちなんて分からないし、続きがあるから放置していたんだろうし。でも、当時の気持ちなんて分からないから、なんとも言いようがないって話。
とりあえず、最終戦に向けて帰っていいよって話になったときのエピソードってのは間違いないっす。んで帰ってきて結婚したんだよねシドは。


2011/05/21 09:34:26