公式文書として発行された紙面の頭に記された四文字。『異動命令』。それだけで彼が書類の内容を理解することは容易かった。なぜならこの書類の最後の頁に捺された承諾の印。それはつい先日、彼女の上司として自分が捺したものだった。


「どうしてよ!」


彼女は目の前の男を睨み付ける。納得がいかない。
確かに口は悪かった。態度も悪かった。上司のことを生意気にも『ノエ』と呼び捨てにしたりしていた。けれど誰よりも彼に忠実で、精一杯彼のために働いてきたつもりだったのだ。だというのに。


「どうして私が海賊、『海狼』なんかに!!」


怒りの感情に任せ、怒鳴り散らす。だが彼女の癇癪はどこ吹く風。彼は着物の袖に腕を突っ込み、飄々と答えた。


「いやぁ・・知っての通りうちの国、神空月国は合法・非合法を問わず外部からの侵略者が多いわけでさ。 その対策として政府公認の海賊・『海狼』が一年前に結集されたはいいんだが、所詮彼らは荒くれ者の集団。 統率兼監視役として船長を王国守護軍から派遣するっていうのが当初からの決まりで・・、」
「知ってるわよそんなこと! 私が聞きたいのは、その船長がどうして私なのかってこと!」


ズビシと男の鼻の頭に指を突きつける。しかしキョロリと見上げられた男の瞳に、彼女は突然自分の立場を思い出してしまった。今朝、人事異動書類を渡されてからここまでは、ただ勢いだけで来ていたのだが。
怠惰に壁に凭れ掛かって座るこの男。紫堂ノエ。王国守護軍朱雀部隊隊長。
その男に細い指を突きたて怒鳴りまくる少女。紫堂カナタ。王国守護軍朱雀部隊一番小隊小隊長。
冷や汗が首筋を伝う。


カナタは気まずそうに咳払いをすると、その場でちょこんと正座した。


「それに『海狼』にならつい三ヶ月前、うちの朱雀部隊の二番小隊小隊長アオタ先輩が派遣されたばかりじゃないですか」


先ほどより随分と控えめな物言いにノエは、らしくないねぇ、と苦笑する。


「いや、アオタはね。 実際派遣から一ヶ月と経たずして戻ってきてしまってさ」
「え? 全然見かけていませんが」
「そりゃねぇ。 重度の胃潰瘍で入院しているから」


ハハハ、と爽やかに言ってのけたノエ。しかし笑い事ではない。カナタは青ざめていた。何が原因で自分の先輩が胃潰瘍なんかで入院しているのかだなんて知りたくない。


「そのあとはさ、ほら、白虎部隊のミズノって生真面目なヤツ。 あいつが派遣されたんだけど二週間で円形脱毛症が十箇所も出来てしまってノイローゼ。 あとは他にも玄武部隊だかのタカツキとかいうのは任務途中、何故か躁鬱病状態で無人島で発見されたりさぁ」


もう十分だ。『海狼』がどれだけ酷い場所なのかは十分過ぎるほどに分かった。前々より良い噂だなんて耳にした覚えはないものの、加えてこれらの事実。悪夢のような生活を想像する前からキリキリと軋み始めた胃を抱えて。


「なかなか大変そうなもんさね、海賊船長ってのも。 しかもさぁ・・、」
「もういいもういいもういい!!」


カナタは口調を荒げ、のんびりと語る上司を無理矢理に遮った。





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