可愛い子には旅をさせよ・壱





昨日まで降り続けだった雨が止んだ。
青々と茂る紫陽花の大きな葉の上では朝露が陽光を受け、まるで宝石のようにキラキラと繊細な輝きを放つ。
囀る小鳥。せせらぐ小川。両者は穏やかに共鳴し、心地よい柔らかな音楽となり耳をくすぐる。
静かで美しい、朝の中庭。しかしぐるりと囲んだ板張りの廊下を早足で進む彼女は、その見事な情景を一瞥することすらしなかった。


彼女の目的は中庭に面したある部屋だった。襖障子に描かれた立派な朱雀の絵は部屋の中に居る者の位の高さを示すもの。だが目的を持ってピタリと止められた足取りから、物怖じる様子などは微塵も感じられなかった。
長い睫毛に陰る銀色の双眸。目の前の襖障子を見据えれば、その瞳の大きなことがよく分かる。
彼女は胸いっぱいに大きく息を吸い込んだ。それと同時に浅葱色の小袖の裾から覗いたしなやかな足が踏み出された。色白の肌によく似合う黒髪がフワリと後に靡く。


「一体どういうことよ、ノエ!! 十五字以上二十字以内で説明しなさい!!」


突然、襖が威勢良く開け放たれた。同時に室内に無遠慮に踏み込んで行く彼女。
黙って立っていればかなりの美貌を持つのであろう。整った鼻筋。桃色の薄い唇。胸の下あたりまで伸ばされた漆黒の髪はまるで絹のようになめらか。絵巻物に描かれる姫君のように儚く美しい。ただし仮に、怒りのままに足音を荒立てたりしなければの話だが。


「開ける前に一声くらい掛けておくれよ。 もしこの部屋で俺がカナタちゃんの想像に及ばないあんなことやこんなことをしていたらどうするんだい?」


八畳ほどの和室。一面には畳が見えないほどに書類やら文献やらが散らばっていてとにかく足の踏み場がない。
唯一空いた空間とでもいうべきか。穏やかな陽光の差し込む丸窓の下には三十半ばほどの男が片膝を立てて座っている。和服をだらしなく着崩した男だ。しかし肌蹴た肩も胸も程よく鍛えられた筋肉に引き締められ、漂う色香は尋常とは言えず。酷く様になっていた。
ところが足音荒く室内に侵入して来た彼女に、彼の艶気など何の意味も成さない。


「執務室でどこの変態ジジイがどんなことやそんなことをするって? ええ?」
「ハハハ」


散らかり放題の書類を蹴散らし、目の前まで歩み寄ってきた彼女に男は乾いた笑みを零す。般若面の彼女の形相。背筋を冷や汗が伝った。


「まあ、落ち着い、」
「落ち着けるわけないじゃない! ノエの馬鹿っ!!」


なんとか彼女の怒りを宥めようと試みたが失敗。逆上した様子の彼女は何か分厚い書類の束を投げつけてきた。
不運にも頭で受け取ってしまった彼は地味な痛みに額を擦る。けれど促されるままその紙面を見やれば、ああ、と納得の吐息が漏れた。実際のところ、怒り心頭な様子の彼女が室内へと入ってきたときからなんとなく理由の予想はついていたのだが。





2 / 33
prev next


bkm
back
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -