塩水と、潮水と・壱









その日、とある田舎の港町では朝から朱色の着物を纏う者達が多く見掛けられた。王国守護軍のものだ。町の娘たちの楽しげなお喋りにはいつもより拍車が掛かる。日常ではなかなか見えることのできない軍人たちに興奮してのことだ。
そんな若い彼女たちの歓談の合間にしばしば挟まれる話があった。なんでも今日は王国守護軍の中でも武名の高い朱雀部隊隊長がこの町に来ているとか。それは彼の親衛隊である一番小隊小隊長がこの港町から任務に発つのを見送るためだとか。その一番小隊小隊長というのがまだまだ若く、そしてかなりの美貌を持つ少年軍人だとか。娘たちは尽きることのない話題に花を咲かせるのだった。


昼頃だろうか。一つの大きな船が港にフラリと現れた。何の旗も、何処の国旗さえも提げていない船だった。不気味な雰囲気が漂うのは黒を基調とした船体の所為だろうか。それとも随分と年季の入った様子の帆の所為だろうか。とにかく町の者達は遠巻きに眺めることしかしなかった。
しかしその船が停泊してからというもの、港は本格的に騒がしくなり始めた。軍人達が集まり始めたのだ。
いよいよ一体何処の船だと訝り始めた町の者達だったが、物珍しい軍人達に酔い痴れ、黄色い歓声を上げる娘達でさえ、やはり船には近付こうとはしなかった。


「カナタちゃん、荷物はもう積んだのかい?」
「うん。 さっきうちの隊員達が乗せてくれたみたい」


人々が遠ざける船。漁船の中で一つだけ浮いた異色の船のもとで向き合う二人の人物。一人は着物を怠惰に着崩した三十半ばの男。もう一人はようやく17歳の成人の儀を果たしたばかりといった容貌の少女。
彼女は男を見上げて笑顔で答えたのだが、直ぐに片手を口にあて、あ、と肩を竦める。


「もう今は違うのか。 『うちの隊員達』じゃなく、『元うちの隊員達』」


片側で括った黒髪が潮風に靡かれている。眩しそうに細められた銀色の視線の先。そこには今年の春に入隊したばかりの新人隊員たちが、久々の外出に馬鹿みたいにはしゃいでいた。おそらく歳はカナタと大差ない。しかしその大人びた横顔と彼らの間には明確な壁が感じられた。
申し訳ない。謝罪の気持ちがないといえば嘘になる。それがノエの本音だった。
本来なら彼女がいるべき場所は、楽しげにふざけ合うあの若者達の輪の中なのだろう。しかし今回の異動には彼女が思っているよりもずっと多くの者達の欲に塗れた策略が複雑に絡み合っているのだ。ノエに、たかが一軍人に、部下の異動の承諾以外の選択肢は残されていなかった。だからせめて―。


「いんや、カナタちゃんの隊だよ。 それにカナタちゃんも俺の隊の一番小隊隊長さ。 いつまでもね」


ノエの言葉に彼女は視線を戻す。するとそこにはいつの間に集まったのやら、見慣れた隊員達が顔を並べていた。


「そうですよ! 小隊長!」
「俺らもカナタさん以外の小隊長にはつく気ないっす!」
「みんな・・・」


順々に、ひとりひとりの顔をしっかりと見回す。溢れ出す思い出の数々が喉を詰まらせる。


「上から推薦された穴埋め人材も断らさせてもらったよ。 任務を終えればカナタちゃんが帰ってくるから、うちにいはいらんのさ」
「カナタさんの居ない間の隊は私に任せてください。 あなたが帰ってくるまで必ず守ります」
「ノエ・・・サカエさん・・・っ」


ふえ、と情けない声を漏らし、彼女は駆け出す。広く暖かい胸に飛び込めば、昔からかぎ慣れる匂いがした。





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