結局カナタは上司を怒鳴り散らしただけで部屋を飛び出した。
なぜ自分が『海狼』なんかに行かなくてはならないのかという理由。そしてあわよくば異動命令を取り下げてもらえないか尋ねてみようと思っていたのだが。多少の予想はしていたものの、やはり満足のいく返答は得られなかった。常のごとく、まるで鰻を手掴みするかのように逃げられてしまった、とでも言おうか。無意識に舌打ちが漏れた。


「なにかいやなことでもあったんですか、カナタさん」


ちょうど、いまさっきカナタが通り過ぎたばかりの部屋。資料室の襖が静かに開く。そして顔を出した若い男がカナタの背中に呼びかけた。
片側で緩く結ばれた小麦色の長髪が肩に流れる。穏やかな笑みは知的で、男でありながら繊細さと美しさをも兼ね備えていた。


「サカエさん!」
「舌打ち。 聞こえましたよ」


クスクスと笑う彼に、振り返ったカナタは恥ずかしげに肩を竦めた。


「サカエさんは? 何をなさっていたんですか?」


書類の束を抱え、襖を閉めずらそうにしていたサカエ。カナタは彼の腕でグラグラと揺れていた書類の山をすかさず押さえる。そして微笑みの謝礼に嬉しそうに顔を緩めると、手を離して下がった。


「私はこの通り、ちょっと調べ物を」
「サカエさんはいつも調べ物をしてる」
「任務地の下調べをどっかの隊長さんがきちんとしませんからね、うちの隊は。 まあそのために私がいるようなものなんですけど・・・って、どうしましたその顔?」


その顔とは、まるで女子とは思えぬほどに歪められた顔。あからさまに嫌悪感丸出しな表情はもはや清々しい。


「どっかの隊長さんを思い出して少々」
「いや、それはいつものことだから分かるんですけど。 むしろ心当たりがありすぎてどれのことやら・・・」


とは言ったものの、サカエはすぐにその答えを見つけた。目の前に一冊の分厚い書類を突き出されたからだ。喉の奥で、ああ、と納得の声が漏れる。


「ありえない・・・私が『海狼』の船長になるなんて、ありえない・・・。 いくらなんでも酷すぎます。 一体私が何をしたっていうの? 何の罰なの? 上層部の人たちは私に何か恨みでもあるのかしら?」


この世の終わりのごとく、美しい黒髪を振り乱すカナタ。悲壮に満ちた彼女の表情。まさに悲劇のヒロインである。
その気持ちは分からないでもない。なんせあの悪名高き『海狼』だ。政府が手を組んでいることを公表することが渋られるほど、極悪非道で名高い『海狼』だ。とくにその悪名が、市民の間というよりも、海賊またはその筋の者達の間で知れ渡っているだけに、相当に悲惨な場所であることは容易に想像できる。さらに『海狼』の惨状の凄まじさは、船長として派遣された者達がどんな状態で帰って来るかということがしっかりと証明している。
しかし言わねばなるまい。彼女の大きな誤解を説くために。


「失礼ですが、カナタさん。 罰・・・とまではいかないにしろ上層部があなたを煙たがる理由に関しても案外心当たりが多々あるんですけど」
「うそ! 私なにもしてな・・、」


勢いよく顔を上げたカナタ。彼女が言いかけた言葉を途中で飲み込んだ理由。それは目の前で不気味としかいいようのないほど整った笑顔を浮かべる男に他ならなかった。


「先日、魔物討伐の任務の際にきっちょー・・・・な遺跡を半壊させ、上層部を憤慨させた件。 今朝、始末書を提出しておきましたよ」
「え、はい。 あの、その節は本当にお世話になりまして・・・」
「先月、盗賊退治の際に崩壊した村庁舎の復興作業が漸く終わったと、昨晩連絡をいただきました」
「あ、その折もまた、いろいろご迷惑をおかけしまして・・・」


非常に穏やかな口調ではあったが、一歩、二歩、とカナタは表情を強張らせ、後退する。


「で、なんでしたっけ? 『何もしていない』って、もしかするとおっしゃいました?」
「ご、ごめんなさいっ! 私が悪うござんした!!」


そして小首傾げを最後に、ついに彼女は腰を九十度に折って深々と頭を下げた。





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