「意中の相手がいるのなら勇気を振り絞らなきゃならないときってのがある」


ふと骨ばった肩に添えられたのは、ごつごつとした男らしい大きな手だった。


「は?」


物陰にて事の成り行きを見守っていた夜重は、突如、低く落ち着いた声に話し掛けられた。
彼は眉尻を上げて振り返る。するとそこには背の高い男がひとり立っていた。歳は三十代に突入したばかりといったところだろうか。癖の強い鳶色の髪を緩い団子結びにまとめている。垂れ目が特徴的だが、左目は眼帯に覆われていた。


「誰だし、オッサン」
「なっ!! オッサンだと!!?」


あからさまに不快な表情を見せた夜重に、男は眉を寄せた。背が高いだけにそれだけで結構な迫力だ。しかし彼は怒ったように顰めた顔をすぐに崩す。そして壁に片手を突いて言った。


「せめてお父さんと呼んでくれ、青年」
「なんでだよ!」


かなり欝なオーラを醸し出した男には、今にも黴が生えてきそうだった。


「いや、とにかくだな、青年。 君の気持ちはよく分かるよ、うん。」
「あ、そ。 なら話が早いな。 すぐ消え失せろ。 いまおれは非常に忙しいんだよオッサン」
「あー!! またオッサン言った!!」
「うぜー」


ビシッという音でも聞こえそうなほどの勢いで向けられた指から夜重は顔を背ける。現実逃避とも言わんばかりに彼が面したのは煉瓦の壁。雨風に晒され掠れたポスターには明るい彩色で楽しげなサーカスの絵が描かれていたが、おどけて見せるピエロとは対照的に、彼の表情は抑えきれぬ苛立ちにより引くついていた。
だが能天気にも男は夜重の纏う険悪な空気には気付いていないらしく、自分に酔ったように両手を広げて首を振る。


「いや、だがまだまだケツの真っ青な青年の言葉だ。 寛大な俺はサラリと聞き流し・・、」
「そりゃどーもな、オッサン!」
「だからオッサン言うなっての!!!」
「んだよ聞き流せよ。 ケツの青い青年の言葉だぞ、オッサン!!」


夜重が『オッサン』という言葉をやたらに強調すると、男は発作でも起きたかのごとく、グッと胸のあたりを掴んだ。彼は、「大丈夫だ、俺。 まだいける!」と、自分に言い聞かせるように何度も呟いている。しかしそのすぐ横では夜重が両手でメガフォンを作り、「いやもう終わりだ! 消えろ!」と、吐き捨てていた。


「とにかくだな、青年! 男としてここで見ているだけってのはどうなんだ、と俺は問いたいんだよ!!」
「『とにかく』ってのは文脈的におかしいだろ!」
「いや、そんなことはどうでもいい!」
「あんたの話が一番どうでもいいけどな!!」


どうやらかなり強靭な精神の持ち主であるらしい男は夜重がいくら貶してもめげなかった。と、いうよりももはや、彼の言葉をほとんどまともに聞いていないとみえる。
男は自分の額に人差し指を当てて考え込むような姿勢をとった。そして何度も頷く。


「確かに恐れるのは分かる。 悪漢五人に己が対峙したところで何になろう、と。 情けない己の姿を晒すだけなのでは、と! だが安心しろ。 この俺がそんな君に手を貸してやろう!」


そして最後に白い歯をキラリンッと輝かせてウインクをすると、抵抗する夜重の背中を強引に押した。


「さあ、行こうではないか! その蚤のような勇気を振り絞り、哀れな子羊を助けに!!」
「おい、待てよ! あんた、誰を助けるって?」


あと一歩で裏路地の暗がりから太陽のもとへと出そうになったとき、夜重はあわやというところで足を踏ん張って留まる。男は呆れ半分、不思議半分で眉を顰めた。


「誰をって・・・だから哀れな子羊を・・、」
「『あいつ等』を、か? わざわざ?」
「『あいつ等』? なんで複数形?」
「オッサンが何をしたいんだがよく分かんねぇけど。 もしまだ生き長らえたいってんならあの広場には入らないことを勧めるぜ?」
「は・・・?」


背を押す腕の力が弱まると、夜重はその手から逃れ、再び物陰へと引き返す。


「寝起きのハノン・ハイヴは、超絶に機嫌が悪い」
「ハノン・ハイヴ?」
「とくに用もないのに起こされたとあっちゃ・・・あいつ等終わったな」


これから地獄を見るであろう男共への憐れみを込めて放たれた言葉。しかしその言動に反し、夜重の口元は愉しそうに吊り上がっていた。



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