「ちかちゃん、ホヤ酢、好きなんだ」
恨めし気に俺を見るなまえに、「ちかちゃんってのヤメロ」と言いつつ、うなずいた。きっと木下と話しているのを聞かれたのだろう、紅しょうがもホヤ酢も、あんまり分かってくれるひといないよな、なんて愚痴ったのは記憶に新しい。
「ふーうん。ホヤ酢好きなの」
「……どうしたんだよ」
机にぐでっと上半身を預けて、もう食べ終わったらしい菓子パンの袋をもてあそびながら、くちびるをとがらせている。すっかり拗ねてしまっているなまえに、俺は、苦笑をもらすしかなかった。
食べ物に嫉妬なんて、かわいい、ほんと。
「あーあーホヤ酢になりたい」
「ブッ」
傾けていたカルピスの缶を、あわてて置いて、なまえから顔をそむけながらむせる。へんなとこに入ってしまって、喉が苦しい。「やだもうきたない」誰のせいだちくしょう。
「な、んだよそれ」
やっと落ち着いた呼吸で、口元をぬぐいながらなまえを睨めば、不満げな瞳が俺を見つめ返している。いつになく強気なそれに、つい、動揺してしまう。
「好きって言ってもらえるならわたし、ホヤ酢になりたい」
なまえの言葉の意味するところを理解して、求められていることも分かって、か、と顔が熱くなる。つまりなまえは、気持ちを口にしない俺に、焦れているのだと。
「ちかちゃんに食べてもらえるならホヤ酢になりたい。ちかちゃんのための蛋白質になりたい」
「ごめん分からない」
ついに顔を両手で覆って恨み言のような調子で俺に言う。なまえの、俺にしてほしいことが、はっきりとわかって、でも今までそれをしてこなかったのは、俺としてははっきり意思表示をしてきたつもりだったからで、それが通じていなかったのだろうか、とちょっとだけ悲しくなった。意思疎通って難しい。
「ホヤ酢になりたい」
「ホヤ酢じゃなくて、人間のなまえがいいな、俺は」
なまえが勢いよく上半身を起こして、背筋を伸ばして俺を見つめた。その目は驚きに満ちていて、俺は今までこんなに簡単なことをしてこなかった自分を呪った。これぐらいで喜んでくれるなら、恥なんて捨てて、いくらでも言うべきだったのだ。
「好きだよ、なまえ」
ちいさいくちびるが弧をえがく。こんなことでよかったのか。菓子パンの袋を握りしめて「わたしも好き!」と満面の笑みを浮かべるなまえのことを、かわいいと思ったし、好きだと思ったし、いとしいとも思った。
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