その日のわたしはとても不機嫌だった。
 ただ座っているだけで、じんわりと汗のにじむような暑さ。からだがベタベタするから、夏はきらいだ。蝉の声も、夏休みに向かう浮ついた空気も、青すぎる空も、なにもかも、わたしの不快指数を上げていく。ああはやく冬がくればいいのに。首からタオルを下げて時おりこめかみを拭いながら黒板に向かう、小太りな背中。教師ってたいへんだな。わたしはやりたくないな。すべてがつまらなくて、前の方から回されたプリントの束を受け取って、空いている片手で口をおさえてあくびをした。後ろの子に残りを渡しながら、先生の説明に耳を傾ける。


「いいかお前ら、こうやって事前に宿題を配ってやってるんだ、夏休みなんていう長期休暇でこの量が終わらせられないはずは……」


 うへえ。おもわず突っ伏して頬をぺたり、机につけた。ひんやり気持ちいいけどそれも一瞬のこと。はーやだやだ、あと二十分もあるなんて、マジで終わってる。


「あ」


 間の抜けた声とほぼ同時に、ばさ、と紙のばらける音。左を見やれば、隣の席の及川くんがプリントたちを机の上に散らかしていた。どうやらホッチキスの針が取れてしまったようだ。そりゃそうだ、だってこんな分厚いもの、こんな貧弱な針ひとつで止められるわけがない。


「みょうじさん、あの、ホッチキスとかクリップとか、持ってたりする?」


 それがはっきりと覚えている、及川くんとのファーストコンタクトだった。それまでにも当然、おはようとかばいばいとか、言葉を交わしたことはある。けれども、お互いにお互いを認識して、会話をしたのは、これが初めてだった。


「するよ。ちょっと待ってね」
「ありがとう、助かる」


 机の横に下げてあるスクールバッグの奥のほうの、名付けて「いざというときポーチ」から、絆創膏や頭痛薬や鋏をよけて、かたいプラスチックのてざわりを探す。ちら、とわたし(のホッチキス)を待っている及川くんの顔を盗み見る。この暑さで、さすがの及川くんもちょっとだけだるそうだった。それでもやっぱり、イケメンはイケメンだった。きれいな二重とか、女のわたしが羨ましくなるくらいきれいな肌とか、薄めのくちびるとか。かっこいいを通り越して、いっそ嫉妬してしまいそう。
 ようやく取り出したピンク色のちいさなそれを、及川くんに渡そうと手を伸ばす。


「さんきゅ」


 にこっと口角を上げて、及川くんが笑う。ずっと、クール系の人だと思っていたけれど、わりとそうでもないのかもしれない、だってこんなに幼い笑顔を浮かべるんだもの。

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