新学期が始まった。
 最後の大会を終え、無事に部活を引退したみょうじは、前にも増して職員室に通い詰めるようになった。周りの先生にも「熱心な生徒ですねえ」と認識されるほど。それにどぎまぎする理由はない、はずなのだ、だって俺はみょうじの質問に答えることしかしていない。なにも、やましいことはない。いたって普通の、健全な、教師と生徒のはずだ。


「せーんせ」


 学祭の準備期間、もうだいぶ遅いというのに、みょうじがひょっこり、職員室に顔を出した。


「こんばんはー」
「おまっ、何してるんだよこんな時間まで!」
「看板作りに熱が入っちゃって、気付いたら今でした」


 えへ、と笑うみょうじの、「それで、灯りついてたから、もしかしたら先生残ってるかな、と思って。来てよかった」という言葉に、いけないのに、浮ついてしまう自分がいる。


「お前なあ……」
「それでね先生、こっからが本題なんですけど」


 みょうじは両手を合わせると、勢いよく頭を下げた。


「車乗せてくれませんか!」


 思わず、いつもならもっと、気を遣って返事をするのに、素で「はあ?」と返してしまった。みょうじはそのままの姿勢で、「うち、ちょっと遠いところにあって、それで、バスなくなっちゃって」と言い訳を続けた。確かに俺は車通勤で、みょうじの家までは知らないが出身中から地域は推測できるし、その場所まで送ることは造作もな


「親は来られないの?」
「今日どっちも出てて、うち誰もいないんです」


 ため息をつきながら、鞄を肩に下げて、鍵を出した。しょうがないな、と漏らせば、みょうじは両手をあげて喜んだ。「他の先生には内緒にしろよ」「はーい」「絶対だぞ、不祥事になりかねないんだから」「任せてくださーい」駐車場について、鍵を開けて乗って、みょうじも乗り込んで、エンジンをかける。


「先生のにおいがする」


 みょうじのつぶやきに、ちょっと傷付いたが、なんでもない風を装って、「俺もおっさんなんだよ、我慢しろ」と返した。みょうじは真剣な顔で首を横に振って、「ちがいます」と言う。


「たばこと、たぶん、柔軟剤のにおい。いいにおいする」


 いい年してあからさまに動揺して、つい、ブレーキを踏む加減を強くしてしまった。前につんのめるみょうじが、ぶつからないように、咄嗟に左手を出してその身体を支える。触れた部分がやわらかくて、意識してしまって、同時に、罪悪感に苛まれた。誤魔化すように「たばこはいいにおいじゃないだろ」と、変に笑いながら言った。
 これが、あと二十分弱続くとか、うそだろ。


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