時計を見ると、もう昼休みに入っていた。仕事に集中していたからか、チャイムに気付かなかったらしい。コンビニに行かなければ昼飯はない、席を立って、学校の向かいにあるコンビニか、あるいはその隣の弁当屋に行くために、職員室を出た。蝉の合唱が、余計に気温を上げているような気さえする。


「せーんーせー」


 先生、と言われたって、学校には俺以外の先生なんてたくさんいる。それでも、聞こえてきたのがみょうじの声で、なんとなく、俺のことを呼んでいるんじゃあないか、という気がして、上を見上げた。


「せーんせ、こっちこっち」


 ひらひらと手を振るみょうじは、首からピンクのタオルをさげ、袖はまくり上げてあり、二の腕を惜しげもなく晒している。教室を借りて練習しているらしく、窓から身を乗り出して、ちぎれんばかりに、その白い腕を振る。手をかざして日差しを避けながら、反対の手で、ばいばい、とすると、みょうじは嬉しそうに笑って、それから引っ込んだ。
 横断歩道の前で、信号待ちをする俺の耳に、つやつやと美しい音が入ってくる。ほとんど毎日出勤していれば、みょうじたちの練習をほとんど毎日聞くことになるわけで、そうしたら、必然的に、覚えてしまう。もう口ずさめるほどになったその旋律は、音楽の先生の言うところの、「いい音」なのだろうか。「恋をしている音」なのだろうか。
 その相手は、誰なのだろうか。
 見ていれば、分かってしまう。今までの教員人生で、こうして、生徒に懐かれ、それが拗れて、好かれることが、全くなかったわけではない。俺は現にこうして無事教師を続けていて、それはつまり、これまでのその類のトラブルをうまくやり過ごしてきた、ということだ。生徒が教師に抱く恋心なんて、幻想だ。年上の男性、というフレーズに魅力を感じて、それを恋だと勘違いする。よくある話だ。それを、どうして俺は、ここまで、取り乱してしているのか。
 みょうじが俺に、懐いているのはよく分かる。授業中の態度から、課外で会ったときの様子から、何からなにまで、見ていれば、分かってしまう。あの目が、かすかに染まる頬が、いつもよりも少し高くなる声が、無防備なほどに、好意をあらわにしている。
 それを、喜んでしまっている自分がいることに、俺は動揺を隠しきれない。


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