人間ってほしかったものを手に入れると、次がほしくなるもので、それを実感して、なんてことだ、と頭を抱えたくなった。思春期の男としては当然のことなんだろうけど、これを満たすには彼女の了解が必要だ。付き合ってもう二週間になるだろうか、その期間に「もう」と付けてもいいものなのかどうかは判別しがたいけど、とにかく、想いが通じて隣にいる権利を得て、手をつなぐこともできて、さあその次、となると、とたんにハードルが高く感じるのは何なんだろう。
 むさくるしい部室で、外をのぞいた田中の「おい縁下、みょうじさん来てるぞ」という声に焦って、シーブリーズを足の上に落とした。地味に痛い。涙目で、「お先、失礼します」と挨拶をして、みんなの冷やかしを背中に浴びながら、部室を後にした。


「縁下くーん」


 みょうじさんはすぐに俺を見つけて、飛び跳ねんばかりの勢いで元気よく手を振った。かんかんかんかん、と金属のかんだかい音を響かせながら、あわてて階段を駆け下りる。


「ごめん、遅くならないうちに、早く帰ろっか」
「うん!」


 満面の笑みと、差し出された左手。この手を握る権利は俺だけにあるんだ、それだけで、これ以上ないしあわせを感じる。でも、やっぱり、ふっくらと赤いそのくちびるに、目がいってしまうから、それとこれとは別なんだろう。吸い寄せられるように視線がくぎ付けになりかけて、話を振ってごまかして、の繰り返し。こういうとき、たとえば誰なら積極的にいけるんだろう、月島とか、菅原さんとか? 手馴れてそうだよなあ、と思って、それじゃあ俺は、と考えて、むなしくなったのでまた話を続けた。


***


 数は多くないものの、今までに男の子と付き合ったことはある。けれど何の経験がないって、その、……キスだ。中学の頃のわたしは驚くほど健全で、今現在のわたしに爪の垢を煎じて飲ませたいレベルだった。帰り道、隣を歩く縁下くんのことを、意識すればするほど心臓はどんどんうるさくなって、同時に罪悪感もつのる。部活のことをぽつぽつと、だけど楽しそうに話す縁下くんのすぐそばで、わたしはもっと触れ合うための方法であたまをいっぱいにしている。やらしい彼女でごめんなさい。
 最初こそ、縁下くんもわたしのことを好きでいてくれているっていう事実だけで、気が緩むとすぐにだらしない顔をしてしまいそうなくらいに幸せだった。でも恋人どうしになったということはつまり、好き合った、その次のステップが存在するわけで。経験豊富でないわたしには、相場としていつごろキスをすればいいのか、その先は、未成年でもやっちゃっていいことなのか、この類のことって、女の子からぐいぐいいったとして、軽蔑されないか、できれば男の子にリードしてほしいよねーなんて周りの女の子たちは言うけど、その「男の子」がそういうコトをしそうにないタイプだった場合はどうしてるのか。分からないことだらけで、結局、おおきな手につつまれた右手を、そっと握り返すことしかできないでいる。


「……みょうじさん、体調悪い?」
「エッ」


 いつのまにかわたしをじっと見つめていた縁下くんは、心配そうに「なんか、ぼーっとしてたみたいだったから。何かあった?」と首をかしげた。ずるい、かわいい。


「な、なんにもないよ」
「ほんと?」


 食い下がられても、まさか「ちゅーしたいなーって思ってました」なんて言えるわけがない。眉をひそめて疑わし気にわたしを見る縁下くんに、申し訳ないとは思いながらも、沈黙を貫く。


「言いたくないなら、無理強いはしないよ」
「うん……」
「でも、できれば、頼ってほしいな、とか」


 思ったり。します。
 縁下くんの左手に力がこめられて、つまりわたしの右手はさっきまでよりもっと、拘束された。困ったようなさびしそうな、なんとも、わたしの胸をくすぐる笑顔を浮かべた縁下くんに、わたしはいとも簡単に黙秘権を放棄した。


「あ、あのっ、ひ、引かないで聞くって、約束して!」


 わたしの勢いにちょっとのけぞった縁下くん。首も顔も、全部熱くなるのを感じながら、腹をくくった。


「え、縁下くんと、……ちゅーしたいなって、おもって、ました」
「え」


 目をぱちくりさせて、わたしの言葉をかみ砕いている。その少しあとで、かっ、と真っ赤になったのが、暗闇の中でもはっきりわかってしまった。


「あ、あ、え、そ、それって」
「ごっ、ごめん、ごめんなさい、忘れてください!」


 ジジ、ジ、と不穏な音をさせる街灯の下で、挙動不審な男女がふたり。なんともおかしな絵面だろうが、わたしたちはいたって真剣だ。ぶんぶん振った両手を、両手でつつまれて、全身が硬直する。


「それって、キスしても、いいってこと」


 さっきで限界まで熱くなったつもりだったけど、そうでもなかったみたいだ。目の奥まで熱くて、頭がおかしくなりそう。真っ赤な顔で、だけどまっすぐな視線は、わたしの両の目を逃がさなかった。ふるえそうになりながら、一度、二度、とうなずく。縁下くんの両手が、わたしの手をはなして、頬にそえられる。どうするのが正解なのかわからないから、とりあえず縁下くんの制服をぎゅっと握って、一緒に目も閉じてみた。真っ暗な世界の中で、くちびるにおりてきたやわらかい熱に、まだ帰り道、長いんだけど、どうやって間を持たせたらいいんだろう、なんて、どうでもいい悩みが頭に浮かんだ。



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