水泳の授業は、嫌いじゃない。汗をかくのは気持ちいい。でも体育って、動いた後で、汗をかいたまま制服に着替えなきゃいけないから、好きじゃない。だから水泳はわりと好き。汗くさくならないし、シャワーを浴びることができる。それに、更衣室の独特の雰囲気とか、友達とはしゃぎながらする着替えとか、悪くない。そんなことを考えながら、水着を手に取りつつ、スカートをたくしあげて、その手が止まった。


「んえっ」


 変な声が出た。隣でいっしょにおしゃべりしていた子がきょとんと、「どうした」なんて聞いてくる。あわててすそを整えて、とっさに言い訳をする。


「やばい、きてた。今日プール無理」
「ええっウソ、マジ!? ヤバいじゃん、あたしのあげるから保健室行ってきな!」


 彼女のやさしさに、嘘をついてしまったことに対する罪悪感をひしひしと感じたけど、それどころじゃない。荷物をまとめ、彼女に借りたハート形のポーチを片手に、「先生にはうまいこと言っとくからー」と頼もしい彼女に手を振って、保健室に走った。


***


 教室に続々と入ってくる女子たちをぼんやり見ながら、その濡れている髪に気付いて、そっか、体育プールだったんだ、と思った。男子はバレーをやっている。ボールにさわるのは純粋に楽しいし、ただ、本気出すなよとか言われるから、サーブやスパイクの手加減が難しいけど、それでもやっぱり、声を出しながら楽しくやるバレーは、部活とは別のよさがある。
 と、後ろからばしんと肩を叩かれた。びっくりして振り向くと、顔を真っ赤にさせたなまえが立っていた。涙目で、くちびるをかみしめてさえいる。何かあったのか、だれかに泣かされたのか、それとも、と、口を開こうとしたとき、ぐいと腕をひかれた。


「ちょっと、なまえ」
「いいから来て!」


 鋭い声に肩が跳ねる。こんなに怒っているなまえは初めて見たかもしれない。されるがままに、ひきずられるように歩く。といったって、体格差的に、なまえがどんなに大股になったって、俺はさして急がずにすむのだけれど。


「……あの、なまえ?」


 ちいさな体から、ひしひしと感じられる、怒りのオーラというかなんというか。なさけなくも、威圧されている自分がいる。場所も場所だ、あの日、なんともカッコのつかない告白をした場所。いたたまれなくて、もう一度、名前を呼んでみる。


「ねえなまえ、えっと」
「……これ」


 唐突にスカートをまくりあげるものだから、ぎょっとした。裾を乱暴に握ったその手を止めようと、腕を伸ばして、目に入ったものに、思考がショートする。


「ば、場所、考えて、よ。しんじらんない、水泳サボるしかなかったん、だけど」


 ふるえる声に内包された感情は、怒りというよりも、羞恥なんじゃあないか、と、気付いて、それに、その気持ちを引き起こした自分の行動も、思い出して、ごくりと唾をのみこんだ。しろいふとももに、ぽつぽつと、痣。つまるところ、キスマーク。


「っごめん」


 あがってきた熱に知らないふりを決め込む。声がうわずる。泣き出しそうななまえの手をつかんでスカートを元に戻した。あの、白に赤のコントラストは、目に毒だ。


「女の子ってこわいんだから、こういうの、めざといし、今日はセーフだけど、でももしかしたら見られてるかもしんないしっ」
「ごめん、ほんとにごめん、いつもは気を付けてるんだけど、あっ、の、その、コーフン、してて。うっかりしてて。ごめん、なまえ、ほんと」


 ごめん。何回言っただろう。コーフンとか何言ってんだ俺、バカじゃないのか。言い訳をどれだけ重ねても俺が恥ずかしくなるだけだ、と悟って、最後にまたごめんを付け足した。
 なるほど、そういえば髪が乾いているなあと思ったら、そういうことだったのか。うつむいて何も言わないなまえは、どんなに恥ずかしい思いをしただろうか。俺がアホみたいにバレーを楽しんでいる間、なまえは、保健室で、どうして過ごしていたんだろうか。ほんと、女子にからかわれてないようで、よかった。彼女たちはわりとえげつない。


「……ばか。もうしないでね」


 消え入りそうな声でつぶやかれたそれに、なんだか妙な気が起こりかけたけど、まさか今キスをするわけにもいかない。頬の内側を噛んで耐えた。


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