※ちょっとだけ赤葦も出ます




 わたしは、抱き締められている。温かい腕の中で、息をひそめるようにして、幸せをかみしめている。背中をやさしくなぜる大きな手が、ここちよくて、目を細めた。


「あいしてるよ」
「わたしも」


 そうして口づけを交わして、わたしは彼の胸にすりよって、甘えるのだ。このまま溶け合ってひとつになってしまいたいと、強く願って、涙があふれそうなほどに愛されているのを感じて、ほんのり香る、柔軟剤のにおいと、すこしだけ、汗のにおいに、くらくらしながら、ああ、でもわたしは、彼の名前すらも、知らないのだ。





「夢?」


 わたしの目の前で片眉を上げて聞き返す彼は、赤葦京治という。幼馴染であり、クラスメイトでもある彼は、わたしの言葉の意味を測りかねて、すこしためらってから、口を開いた。


「俺は よくわからないけど」


 それもそうだろう、わたしだってわからない。わたしはこの悩みを、今初めて他人に打ち明けたのだ。だってまさか、簡単には相談できないだろう、夢に出てきたひとに、恋をしてしまった、だなんて。


「夢って、記憶を整理してるんだろ。何か、小説とか、ドラマとか、漫画とかの、キャラクターじゃないの」
「そうなのかな」


 ある日突然、見るようになった、甘い夢。舞台がどこなのか、時間がいつなのか、相手が誰なのかも分からない。優しい雰囲気をした、男の人の腕に抱かれて、わたしはしあわせな気持ちになるのだ。最初こそ戸惑って、恥ずかしくなりもしたけど、ここのところ、あの夢を見るのを、心待ちにしている自分がいる。


「ごめんね、変なこと言って」
「いや、別に。俺も碌なこと言えなくて、ごめん」


 午後の授業開始五分前のチャイムが鳴って、京治は自分の席に帰っていった。先生が来て、授業の準備をしているのをぼんやり眺めながら、肘をつく。ゆうべの夢を、体温や、においを、必死に思い出して、胸のあたりがきゅうんと切なくなる。





「あいしてる」
「わたしも」
「このままずっと、こうして居られたらいいのに」
「それは、できないよ」
「どうして」
「だってわたしたち、……」





 夢を見る。
 目が覚めるたびに、悲しくなる。





「あれ、増えてる」


 家の用事で遅れて合宿所に到着したわたしに、京治が呆れたように「連絡しといただろ、参加校増えるって」とため息をついた。そんな話も、聞いた、だろうか。見ない顔がたくさんあって、その彼らがわたしとすれ違いざまに大きい声であいさつをするものだから、まごついてしまう。眼鏡をかけたきれいな人と、明るい髪色の小柄な子が、わたしを見るなり、寄ってきた。


「烏野のマネージャーの、清水です。三年です」
「い、一年生の、谷地といいます!」
「二年のみょうじです。梟谷のマネです、ごめんなさい遅れちゃって」


 今からちょうど夕飯の支度を始めるのだという。みんなはもう練習を終えて、片付けに入っている。先にお風呂にしてもらって、その間にご飯の準備、というわけだ。去年は何がどこにあったっけ、と調理器具の場所を思い出しながら、三人で廊下を歩く。先生に確認しなければならないことがある、ということで、清水さんの持っていたノートを覗き込みながら、気になったことを口に出したりして、そして、どさ、と何かの落ちる音に、わたしたちは顔を上げた。そこには、黒髪の、真っ黒なジャージを着た男の子が立っていた。足元には何か、荷物が落ちていて、ああ、あれは、彼がそれを取り落したときの音か、と思い至って、彼の顔を見た。


 からだが、しびれるような 感覚。


「ウワアア縁下さんスミマセン! 私が持っていきます!!」


 谷地さんがあわあわしながら、彼のところに駆け寄って、その荷物を抱えようとする。大きいそれを、女の子がひとりで持てるはずがなくて、清水さんが、よろけた谷地さんの背中を支える。
 わたしと彼は、言葉もなく、突っ立って、見つめ合っている。





 あの後、特に何かがあったわけでもなく、彼は烏野の主将に呼ばれて、わたしは荷物を片付けに行った清水さんと谷地さんの代わりに、先生の部屋まで行った。夕飯もお風呂も何もかも終えて、わたしはひとり、合宿所の外にある自販機の前で、ぼんやり立っている。


「なまえ」


 わたしを呼んだのは京治で、どうやらわたしがトイレに行くと言ったまま帰ってこないのを訝ったマネのみんなに話を聞き、探しに来たらしい。喉かわいちゃって、と言うと、「早めに戻れよ。みんな心配してる」とだけ言って、男子部屋へと戻っていった。その背中を見送って、わたしは、さっきの彼を、思い出す。
 彼は、夢で会った、わたしの、好きな人。
 からだが火照るのをごまかすように、小銭を入れたまま、ずっと光っていたボタンを押した。出てきたウーロン茶を取り出す。そのボトルのつめたさで、からだの熱を冷ましたくて、握りしめた。


「あ あの」


 また背後から声をかけられて、そっと振り向く。
 そこには、夢の、彼がいた。
 もうジャージは着ていない。優しげな目に乗る、まぶたの二重が、きれいな平行だった。


「あの、俺、えっと」
「名前、教えて」


 視線が絡んで、どき、どき、と心臓がつよく、鼓動する。彼は、口を開いて、名乗った。めまいがする。ふるえる声で、わたしが名乗ると、彼は、もう我慢できない、とでも言うように、わたしのからだを強く、抱き締めた。


「みょうじ」
「ちから、ちからくん」
「会いたかった」
「こんなことってあるの」
「知らない。分からない。でも、俺、会いたかった、ずっと」


 彼の心音を感じて、涙が出る。背中に腕を回して、布越しのぬくもりを、もっと知りたくて、すがった。お互いの呼吸が、すぐ近くで聞こえる。まだ信じられなくて、「夢みたい」とこぼしたら、彼は、「現実だよ、これは、現実だ」と、まるで自分に言い聞かせるような声で、ささやいた。からだのすべて、くっつけていたくて、ボトルを手放す。重いそれは、しかし土に吸収されて、音をたてずに落ちた。あいた右のてのひらを、彼の手に重ねる。吸い寄せられるようにキスをした。この感覚が、全部、うつつのことだなんて。









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