バスがこない。
 雨があまりにもひどいからしょうがないことではあるのだろう。渋滞は当然起こるだろうし、嵐と言ってもおかしくないほどのこの天気だ、もしかすると事故なんかがあったのかもしれない。これは遅刻だな。事情を話せばたぶん許してもらえるから、そこまで焦ってはいないけど。隣のお兄さんはそうでもないらしい。
 色素薄い系、というジャンルは女の子にのみ存在すると思っていた。このお兄さんはいとも簡単にわたしの思い込みを覆す。白い肌にふわっとした髪、体格もあまりむきむきでなく、線が細いとまではいかないものの、たくましくも見えない。さっきからしきりに携帯を見て、おそらく時間を確かめている。そんなに見たってバスは来ませんよ、って言いたくなるほど目に見えてあせっていた。


「あの」


 じれた様子のお兄さんがわたしに声をかけた。あせりはにじんでいるものの、見た目どおりの、やさしそうな声。


「あれ、烏野高校の近く、通りますか」


 お兄さんが指さした先には、雨でかすんでおぼろだけど、ちょうどわたしがずっと待っていたバスがあった。だいぶん遅れたけど、このぶんならそこまでひどい遅刻にはならないだろう。


「通りますよ。わたしもあれに乗るんです」
「えっ、ほんと。あの、申し訳ないんだけど、どのバス停で降りたらいいか、教えてくれたりしませんか」


 きいい、と耳障りなブレーキ音にかき消されそうになりながらも、お兄さんはわたしに助けを求めた。いつも見ない顔だから、きっとこの雨で急きょバスで行くことにした、とかそういうことだろう。快く了承してふたりでバスに乗り込む。

 案の定、とんでもなく混んでいる。いつもなら後ろの方に座れるのになあ、と思いながらも、わたしを人ごみからかばうように立ってくれているお兄さんに、すこしだけどきどきする。


「いつも、こんなに混むの」
「いえ、全然」
「そっか。俺、通学歩きだから、バスとか慣れてなくて」


 お兄さんのはにかむその顔の破壊力といったら。どきんと鳴った胸に、ああ、わたしは自覚する。まったく、ちょろい奴だ、わたし。




「この、次です、烏野」


 アナウンスの影で、そっと、お兄さんに言う。大きな目を一度二度とまたたいて、にこっと笑って、「ありがとう、ええっと」とわたしの胸元やら鞄やらに、視線をうろうろ。ああ、と気づいて、「みょうじです」と名乗った。


「菅原って言います。菅原孝支。ほんとにありがとう、それじゃあ」


 じわじわ減速するバスの、降り口のところへ向かう、菅原さん。人をかきわけて、姿が消えて、ほうっと息をついた。なんとなく気の抜けてしまったわたしの目にうつる、バス停から手を振る、菅原さん。
 嵐だ、これは。


***


 帰りもひどい雨だった。部活を終えて、主将に呼ばれて、いつもよりちょっと遅くまで仕事をして、くたくたになったからだを背もたれにあずける。バスの中、時間が遅いせいで朝よりもすかすかの車内には、エンジン音と雨の音だけがひびいて、ものがなしい。


「あ」


 朝、菅原さんと別れたバス停で、その菅原さんが乗り込んできた、両手にたくさんの荷物を抱えて。目を見開いて、菅原さんがわたしの隣まで来るのをただ見ていた。


「ごめん、隣、大丈夫ですか」
「あ、うん、もちろん。すごい荷物ですね」
「はは、持ち帰るの大変だからって、言ったんだけど」


 聞いてくれなくて。と言う菅原さんの声に困った色は感じられない。ゆるんだ口元から、ひとつの言葉が浮かんで、そのまま口に出してみた。


「お誕生日、ですか?」


 正解だったようで、眉をハの字にして笑う菅原さんが、どれだけ愛されているのかを知った。袋からあふれんばかりの、たくさんのプレゼント。彼の笑顔を素敵に感じるのはやっぱりわたしだけではないようだ。


「おめでとうございます」
「ありがと。傘差すのも苦労したよー」


 会話を交わしながらふと気づいたが、そういえば、朝乗ったバス停が同じだということは、同じタイミングで降りるということ。その事実に浮かれている自分と、どう間を持たせたらいいのか緊張している自分とを、どう処理すればよいのか。隣に座って、おしゃべりできているというだけで、こんなにどきどきするのに。


 という心配はどうやら杞憂だったようだ。バス停から先、帰る方向が真逆らしい。会話の中でそれを知って、少し落胆する。今日が終わってしまったら、次はいったいいつ会えるのか。そもそも次なんてあるのか。ぐるぐる考えるわたしに、菅原さんの声が、おそらく人生で一位二位を争う衝撃を与えた。


「あの。図々しいけど、みょうじさんに、もらいたいものがあって」
「え」
「大したものじゃないっていうか、大したものではあるんだけど、なんていうか」
「でも、あの、わたしお金持ってない、」
「らっ、ライン交換してくださいっ」


 言い切った後で、ほんのり頬を染めて、口を真一文字にむすんで、わたしを射抜くように見つめる菅原さん、ええと、これは、期待しても、いいのだろうか。



―――
菅原さんおめでとうございます








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