阿部くんに恋する
09/14 Sun
わたしの席は、みんなに羨ましがられる。後ろのほうで、窓際で、先生に見つかりにくくて内職できて、さらに、隣には、阿部くんがいる。いいなあお隣さんおしゃべりできるじゃん、と女の子たちははしゃぐけど、そんな、浮かれるほどのことだろうか。確かに立地条件は最高だ、窓を開ければ涼しい風が入ってくるし、授業がつまらなければ外を眺めてぼうっとすることもできる。けれども隣が阿部くんだということ、わたしはそこまで、ラッキーだと思っていない。 だって彼は、こわいのだ。そりゃあ、もちろん、クラスメイトだし席も隣同士だし、それなりにおしゃべりはする。でもそれだって、必要最低限って感じで、話が盛り上がったり、じゃあアド交換しよ、みたいなことにはならない。わたしはどっちかっていうと、水谷くんとか、クラスは違うけど、田島くんとか、あのへんのひとたちと馬が合う人種で、つまりなんというか、有り体に言えば、阿部くんのあの仏頂面がたいへんに苦手なのである。
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ばさ、とノートが床に落ちた。うとうとしてしまっていたようだ。あわてて身体をかがめるも、そのノートをわたしのよりも日に焼けた、大きい手がさらう。「ん」「ありがと」小声のやりとりの少しあとで、「なあ」と低い声がわたしを呼んだ。
「それ、どうした」
阿部くんが指さしたのは、わたしの右手のひとさしゆびだった。わたしは、阿部くんが積極的に話を振ってきたことに驚いて、そのゆびさきにつられて自分のゆびを見た。肌色の、絆創膏が、そこを覆っている。そうだ、わたし、ケガをしたのだ。彼はこれを、気にしている。ガーゼのところに、うっすらと血がにじんでいる。やば、替えなきゃ。
「今朝、うさぎに噛まれて」 「うさぎ?」 「飼ってるの」
しばらく、わたしの顔をじっと見つめたかと思うと、彼はふっとくちもとをゆるめて笑った。
「似合う」
わたしはあいまいにうなずいて、黒板の方をむいて、だめだ、と思って、窓っかわをむいて、机にふせた。バカみたいに身体があつい。なにあれ。なにあれ。なにあれ! 息をもらすみたいな笑い方も、ちょっとだけ細められたタレ目も、なにもかも。仏頂面でブアイソで怖いクラスメイトだった阿部くんに、色のついた感情を抱きはじめている。あの、笑顔、ひとつで。 わたしってばなんてチョロい女なんだろう!
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廊下と教室で、窓を挟んで、騒がしい会話が聞こえる。田島と、あいつか。あいつらいつのまに仲良くなってんだ。ちらと時計を確認した。昼休み、あと、十五分ある。寝られる。机に身体を預けて腕に頭を乗せて、視界が暗くなった。それでもあいつらの声が耳に入ってくる。田島もあいつも、声がでかいから、その気はないのに、聞こえてしまう。
「でもさーお前この前泉がタイプって言ってなかったっけ?」 「それは顔のタイプじゃん! っていうかどっちもかっこいいよ」
マジで? 思わず顔を上げそうになったが、耐えた。泉、確かに、女子の好きそーな顔、してるよな。いやでも確定じゃないだろ、田島の話しかた的にも、まだあいつが「そう」と決まったわけじゃない。落ち着けオレ。
「話すだけならわたし田島がイチバンだよ!」 「うっそでえ」 「ほんとだって信じろよー」 「ナニナニ、何の話」 「コイツの本命の話」 「それそんな大声で話していいのかよ」
あ、声が増えた、これは、水谷だ。まさに正論だ、と思う、聞き耳を立ててるオレの言えたことじゃないけど。眠気はとっくに去っていて、それでも目だけつむっていれば身体は休めるし、けどこんだけ頭が起きてたら、意味ないような気もする。
「でもさあ、ずるいじゃん、あんな、かっこいいの」 「んー わかんなくもない、かなあ」 「笑ったら、ほんと、かっこいいの、水谷今度ちゃんと見てみてよ惚れるから」 「ないだろ、てかダメだろそれ」 「水谷ホモかよー!」 「田島うるせえ誤解されんだろー!」
違うからオレ女の子好きだから、と叫ぶ水谷の、隣で、あいつは一体誰のことを考えて、黙っているんだろう。誰に焦がれて、誰を見つめているんだろうか。内臓が重くなるような感覚。その相手がオレである確率って、一体どれぐらいなんだろうか。
「なあなあもっとないの」 「何が」 「こう、具体的な」 「いつから好きなんだよ」 「でも……」 「いーだろ寝てるし」 「あの ね ……やだもうはずかしい」 「今さらだろーじらすなよー」 「……うさぎ 飼ってるの 似合うって、笑われて」 「なんだそれ意味わかんねえ!」
……マジかよ。
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