平凡 | ナノ
ト ラ ウ マ
「いーぬいっ!君の昼休みをあたしに頂戴!」
「生憎、新しい乾汁を作るという用事が入っているんだが、」
「…乾はあたしよりも汁を選ぶのね」
シクシクなんて泣いたフリをしてみれば、やめろといつものノートで叩かれた。
「昨日の試合か?」
「正解。なかなか頭から離れなくてさー。」
苦笑いしながら乾の前の席に座ってお弁当を広げる。
昨日の地区予選決勝、S2は越前のシングルスデビュー戦だった。 ツイストサーブで会場の空気を一気に自分のものとした彼は途中、相手の不動峰――伊武くんのスポットというものに苦戦し、手から離れたラケットで瞼を切り、血を流した。 ちゃんと処置したし、試合も勝って無事、青学は優勝したのだけれど、
「前の中学でリストカットしてる子居て、その子が一回だけあたしの目の前で腕を切ったの。」
彼女の腕からポタポタと流れる赤い滴と、昨日の越前の姿がリンクしてあたしを恐怖で包む。 もうリスカは止めてるだろうけど、あの子は今もきっと、あの白い腕に痛々しい跡を残しているのだろう。
「過去のトラウマ、か。」
「うん。越前はそれでも試合を続けたのに、血を見ただけで目が眩んだ自分が情けなくて…。どうしてあたしがあのジャージ羽織ってんのか、わかんなくなった。」
あたしの試合中の仕事は、誰よりも彼ら一人一人を信じてあげること。 それなのに、昨日の越前の試合に関してはどんなプレーをしてたからすら覚えていない。
「乾が着てないジャージを、あたしが着てていいの?」
「俺はレギュラーじゃないからな。それが青学の伝統だろう?」
「一年は夏までランキング戦に出れないじゃん」
「あれは手塚が認めた例外だ」
「…もうやだ。乾嫌い。」
「本心でない確率100%…なんとでも言え。」
眼鏡が逆光してるせいで表情が読めない。 生憎、不二のような読唇術を持ち合わせてはいないのです。
「不謹慎かもしれないが、俺は椎名にそのトラウマがあってよかったと思ってるよ。」
「…なんで?」
酷いって思わないのだろうか。 まず、私にはリストカットしてる友達が居て。 気持ちをぶつける場所の無かった彼女に、あたしは何もせず、ただ見てるだけで勝手にトラウマだなんて言ってて。
「お前が過去に色々あったのは今まで何度も聞いてきた。どれもあまり良い出来事ではなかったが…その過去やトラウマが今の椎名を作っている。怪我に敏感で実はかなりの心配性。青学(うち)のテニス部は無茶をする奴がたくさん居るからな、お前のおかげで部員の怪我をしてから練習に復帰するまでのブランクが2日程減ったデータがある。」
「…」
「椎名がジャージを着ている理由は、俺達が認めたマネージャーだから。それ以外のなんでもない。」
「…いぬいっ」
「もう少し自分に自信を持ってみたらどうだ?」
ポンと乗せられた大きな手に思わず視界が滲む。 あーあ、5限はサボり決定だよ。
「早く食べないと途中で不二と鉢合うぞ」
「え?」
「月曜は不二が図書室に行く日だ。お前がいつも通りに弁当を食べたとしたら確実にC階段で会う、または不二が見かけることになる。」
乾はイイ奴だ。 あたしの愚痴のような話をひたすら聞いて相槌打ってくれて。 最後には大事な情報をくれる。 現金な奴って思わないでね!
壊れた世界の欠片を持って 次は一緒に着ようね、レギュラージャージ
2011 12/17
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