そう言って彼女はやんわりと微笑んだ。それはそれは、愚かしい僕の全てを許してくれるのではないかと勘違いをしてしまうほどの、穏やかな笑顔だった。浅はかな思考に、僕は眉を寄せた。 「好き」 もう一度呟いて、頬に触れた。その指先があまりに暖かかったから、僕は思わず身を委ねてしまいそうになる。彼女に触れようと俄かに手を伸ばしかけてはみたが、やっぱり途中でやめた。 「好き」 食指が緩やかに肌を滑り、唇へと辿り着く。彼女と目が合った。優しい目。僕はそっと口を噤んだ。何か大切なことを忘れているような気がしたが、それを彼女に尋ねることは躊躇われた。 「好き」 耳元で囁かれる声は掠れていても変わらずに甘美な響きで以って鼓膜を揺らす。擽ったくて僅かに身をよじった僕を見て、彼女が破顔した。僕は、どちらかといえばこっちの顔のほうが、好きだ。 「好き」 何度も繰り返されるその言葉の真意を知りたい・という欲望は、心の隙間を余すことなく埋めてゆく情愛の心地よさに屈服する。今日はなんだかとてもいい日だ。こんなにいい日で良いのだろうか。 「好き」 溶かされていく。彼女の触れたところから温みがじわりと広がって、僕の中の僕に仄かな春の訪れを告げていく。窓の外は、月の明かりが粉雪に反射して、ぼんやりと明るかった。 「す、」 「愛してる」 再び紡がれようとしたその二文字の言葉ごと、僕は彼女の溜息を飲み込む。細い腕がゆっくりと背中に回されて僕は嬉しくなった。唇と唇をただぴったりと合わせながら、午前零時を知らせる時計の鐘を聞いた。 鐘が鳴り終わるのと殆ど同時に、僕らは呼吸を取り戻す。長い睫毛が数度上下して、それからまた真っ直ぐに僕を見た。 「ハッピーバースデー、セブルス」 そしてようやく思い当たる。嗚呼そういうことか。 そんなことのために、彼女は。 有難う、の形に動かそうとした唇は、仕返しとばかりに彼女によって塞がれる。この温もりさえあれば他には何もいらないと、僕は結構本気で思った。 たとえ覚えていてもいなくても、そこに二人がいてさえすれば、今日は確かに特別な夜なのだ。 |