テキスト | ナノ
 この頃のルシウス先輩は、夜中に寮を抜け出して、朝方帰ってくることがとても多かった。
 元より・監督生でありながらわけのわからない理屈で度々好き勝手をやらかしていた人だ。いなくなることについてこれといった心配はしていなかったけれど、お家の件も絡んでいるのだろうし・あの人なりに思うところがあって、もしか内心では苦労しているのかもしれない。そう考えたら、せめて早朝のシャワーくらいは穏やかな気持ちで浴びてもらいたいと思った。

「さあ、どうすべきか」

 そんな私は今、監督生用のバスルームの真ん前に立ち尽くしている。
 談話室にて、先輩のものと思しきアロマオイルの瓶を拾ってしまったのだ(シャンプーに数滴混ぜているのか、彼の髪からはいつも薔薇のいい匂いがする)。道中でうっかり落としたのだろう。もし髪を洗う時これが無いことに気付けば、先輩の機嫌が今日一日すこぶる悪くなるのは明白だった。
 恋人とはいえ、殿方の入浴中に乗り込んでいくってどんな痴女だ。けれど、洗い場と風呂が入口からだいぶ奥まったところにあるので、ここから声をかけることは出来ない。そして何より、先にも述べたとおり、私は彼に穏やかな気持ちでバスタイムを楽しんでもらいたかったのだ。
 大丈夫・大丈夫。オイルを渡したら、すぐに戻ってくればいい。
 そう意を決して、私はドアに手をかけた。

「……せんぱーい」

薄靄の中で小さく彼を呼べば、部屋中に響いた自分の声に肩が震える。
 濡らすのが嫌でローブを脱いできたことを、私はすぐに後悔した。湿気によって、下に着ていたシャツが肌に張り付く感覚。気持ちが悪い。

「あ、いた」
「!? セン、どうしてこんなところに……、っ!」

 先程までの焦りと、湯に浸かっていた先輩の姿をようやく発見したことに対する油断が顕れたのだろう。濡れた床に足を滑らせた私はバランスを崩して先輩の胸……つまりは水の中へ見事にダイブした。

「あ、あはは、」

前髪からしたたる水滴に睫毛を数回上下させれば、霞んだ視界がだんだんはっきりしてきて、ルシウス先輩の白い胸板が目に飛び込んでくる。なんという毒。
 慌てて目線を上げれば、彼の顔は私なんかよりもずっと赤くなっていた。

「な、な、」
「お届けもの、です」

意外すぎる反応のおかげで、逆にこちらのほうが冷静になってしまい、私はごまかすような笑みを浮かべるしかない。取り乱した彼の頭の横から腕を伸ばし、オイルの瓶を大理石の縁に置いた。

「先輩って実はへたれですか?」

からかいまじりにそう投げかける。
 今日が泡風呂の日で助かった。濡れたシャツの上から下着が透けて見える様は、ちょっとかなり恥ずかし……「う、わっ」
 伸ばしたままでいた私の腕を、唐突に先輩が掴んだ。

「私は紳士なだけなんだがね」

耳元に吐息をかけられて、背筋がぞくり・とする。後ろ手に瓶を開けたのだろう、充満した薔薇の香りに酔ってしまいそうだ。

「我が姫がご不満とあらば、仕方がないな」

そう言って私に触れた彼の目は、いつもと変わらぬ支配者のそれ。



バブル・バスルーム