叩き割ったガラスのお靴
「よっ」
昨日と同じようにバルコニーで日向ぼっこをしていると、少し離れた敷地内の木の方から声がした。そちらを向けばあの青年が、サボが木の枝に座ってこちらを見ていた。
隣にはアレットやサボと同じくらいの年齢の女の子もいる。
「サボ!…隣の人は…?」
「コアラ、おれの仕事仲間だ。おまえのいい友達になれると思って連れてきたんだ!」
「もう!サボくんったら、これは仕事なんだよ!…私はコアラ!あなたはアレットちゃんね!サボくんから話は聞いてるよ!」
「なんだよ、コアラだって昨日アレットの話したら嬉しそうに『会ってみたい』って言ってたじゃねぇか。」
「だってサボくんがすんごく可愛い女の子に会ったって言うから…」
「だぁーー!馬鹿野郎言うんじゃねぇ!」
二人はひとしきり言い合いをした後はっと我に返り、アレットの方を見てバツの悪そうに「へへへ」と笑うと軽々と飛び上がりバルコニーへ入ってきた。
「んじゃ、行くか!」
昨日と同じように差し伸べられたサボの手に、アレットは今度ばかりは迷うことなく自分の手を重ねた。隣にいたコアラもにっこりと笑った。
昨日と同じ景色でも感動は変わらなかった。
再び感じる心が洗われるような感覚に、午前中勉強の時間に教育係に教えてもらった古典文学の話など全て忘れてしまいそうだった。いっそ忘れてしまいたいとさえ思った。
初めてこの場所を訪れたコアラは歩きながらぐぐぐと気持ちよさそうに伸びをした。
会って間もないにもかかわらず意外にも気が合うらしかったアレットたちは海岸で海を眺めながら互いの話をした。
二人は長いこと共に仕事をしていること、コアラが男一人軽々持ち上げられるほどの怪力であること(『それってサボのこと?』と聞くとサボがあからさまに赤面したのを、アレットは見逃さなかった)。アレットからは両親の他に弟がいること、使用人が20人ほどいること、街を歩くことはあっても使用人やボディーガードに囲まれあまり景観をじっくり見たことがないことなど、気が付けばそれぞれ自分の身内の話をすっかり話してしまっていた。
「アレットは本当に街のことはなんにも知らないんだねぇ。」
「うーん。小さい頃から勉強の時間はあったんだけど。ピアノとかバイオリン、読み書きや計算の仕方とか文学とかばっかりだったから。政治とか経済とかは簡単にかじる程度。そういう難しいことは女は勉強しないの。」
「女だからって勉強できるものが決められてるの?」
「そういうことは男の人の仕事だから…。女は子どもを産んで子孫を繁栄させる。お父様がいつも言ってるわ。」
「じゃあ、この国のことはあんまり知らないわけだね。」
「あぁ、アレットはスラムの人たちのことを全く知らなかった。」
「この国のこと?」
「…この国にはね、二種類の人間がいるの。一つは王族、貴族や中産階級として裕福な暮らしをする人。もう一つは住む場所もお金も仕事もなく毎日生きるか死ぬかの生活をする人だよ。」
「ボロボロの服を着た人たちでしょう?教育係に『病気の人たち』と教わったけど…」
「「 !? 」」
「彼らがあんな姿をしているのは感染症にかかってしまったから。近づくと感染してしまう、救いようのない人敗北者たちだって…」
サボとコアラは目を大きく見開き硬直する。いかにも「信じられない」とでも言いたげな瞳に、アレットは自分が変なことを言ってしまったのではないだろうかと急に居心地が悪くなった。
「サボくん、やっぱり…」
「あぁ。」
神妙な面持ちで互いに顔を見合わせる二人。
他人の感情に敏感なアレットは、すぐに二人の心から湧き上がる怒り、悲しみを感じ取ったが、それがなぜなのか、どこから来るものなのか、全くわからなかった。
「アレット、明日またここに来た後街に行こう。」
「街?」
「あんまり歩き回ったことないだろ?」
「え?…ええ、大抵他の貴族の家やお父様の職場に行く時くらいしか外には出ないわ。それも使用人がいつもついててあまりよくお店とかは見られないの。すごく面白そうなのに…」
「じゃあ決まり!明日はショッピングね!」
街に行くことを提案する二人は声色こそ明るかったものの、表情はどこか硬くやはり悲しさに似た何かが感じられた。
「アレットが知らないこと、知りたいこと、わたしたちがたくさん教えてあげるよ!」
別れ際コアラが発した言葉。
「知らなくていい。」
「知ってはいけない。」
「そんなことを勉強する暇があるならテーブルマナーを学べ。」
今までそう言われ続けてきたアレットにとって、彼女の言葉はとても嬉しいものだった。