花泥棒 | ナノ


溜息の狭間に海を見る


コンコンとドアをノックする音が聞こえる。
はい、と短く返事をすればドアが開いて執事が部屋に入ってきた。

「昼食の時間でございます、アレット様。」

「あまりお腹が空いていないわ。」

「しかし今日はカール金融の社長の息子さんとの会食でございます、旦那様が必ず来るようにと…」

「…ええ分かったわ。少し化粧を整えてからすぐに行くわ。」

「かしこまりました。旦那様にもそのようにお伝えしておきます。」

執事はにこっと小さく笑い深くお辞儀をして部屋から出て行った。


廊下の窓に目を向けると遠くに見える青。
大海賊時代と呼ばれるこの時代、誰もが憧れる海が陽の光を受けて煌々と輝いていた。
「きれい。」と小さく呟いたアレットの独り言は無機質な壁に吸い込まれた。


彼女が暮らすこの国は外部からの敵の侵入を防ぐために厚く、高い壁に囲われている。所謂「貴族」の家庭に生まれたアレットは「壁の向こうは危険だ」と昔から口酸っぱく教えられてきた。
しかしその海岸はまさにその壁の向こうにあるものだった。アレットの部屋は3階にあるため部屋や廊下の窓から真っ白な砂浜と大海原がよく見える。しかし、何度見てもそこが危険であるようには見えなかった。


いつものように廊下を抜けて大広間に入ると、10人以上は座れるほどの長いテーブルに両親、弟、父の部下、金融会社の社長とその息子、社長の部下たちが着席し、ワイングラスを片手に談笑していた。もちろんテーブルにはコックたちが腕によりをかけて作った豪華な食事が並んでいる。

「おぉ、アレット、カールさんたちがお待ちだぞ。早く座りたまえ。」

「はい。お父様。」


アレットは会食ではいつも決まって感情を無にしていた。
常に貴族らしい口調でなければいけないし、家族や会食の相手だって楽しそうに談笑しているように見えてその言葉の裏にはいつも金や地位、嫉妬や裏切り、人間の汚いものが蠢いている。
アレットはそんな空間が大嫌いだった。
しかし彼女のこの感情は珍しいものらしく、昔2つ下の弟に聞いてみても

「さぁ?そんなこと考えたことなかったけどな。だって金はみんな欲しいだろ?地位だってなきゃこの国では生きていけないじゃないか。」

と不思議そうな顔で返された。他の貴族の人たちもアレットと同じ考えを持つ者は誰もいなかった。




会食を終え部屋に戻るとどっと疲れがやってきて服もそのままにベッドにダイブする。

成人した女の父親たちは少しでも自分の家族の地位を守るために、自分の娘の嫁ぎ先を血眼になって探す。それはアレットの父親も例外ではなかった。

今日の大企業社長の息子は特に最悪だった。話は全くもって中身が無くつまらないうえに、食べ物を口に含んだままペチャクチャ喋るときた。そんな彼と向かい合わせに座るアレットの顔からすでに表情は無くなっている。
しかしアレットの父親はそんなことも気にせずカールさんの資産を聞きだすのに必死だった。



部屋に戻り、アレットはベッドに寝そべったままコルセットの紐を緩める。ぎゅっと締め付けられていた内臓が解放されたような感覚に思わず深呼吸をすると、肺に入ってくる空気が少しだけ美味しく感じた。


窓を開けバルコニーに出てんんん、と背伸びをする。この場所だけがアレットの唯一「自分」でいられる場所だった。

島の南側を見渡せるバルコニーに暖かな日差しが降り注ぎ、そよ風が頬を撫でる。
春島にあるこの国は年中暖かく、いつも半袖か薄い長袖の服で十分過ごせる気候だった。


海岸には時折船が泊まることがあったが海賊船か密輸船のどちらかだった。
島の西側に港があり、合法な商船や貿易船、他国からの来客の乗った船は大抵そちらに泊まるのだ。

そんな海岸に、今日も一隻の船が泊まっている。帆に海賊の象徴である髑髏がないあたり密輸船の方だろう。遠目からみる限り、こぢんまりとしたその船に人影は見られない。



「アレット様、」

短いノックの後に扉が開き名前を呼ばれる。

「外出のお時間でございます。」

「ええ、分かった。」


扉の向こうにいた執事の背後から女性の使用人が出てきてそそくさとアレットの身なりを整えた。(「アレット様!コルセットを緩めてはいけないとあれほど…」という声には聞こえないフリをした。)


アレットは街を歩くのは嫌いではなかった。馬車を使うこともあるが父親の会社は歩いて行ける距離にあるため、家族4人でそこに赴く時はいつも徒歩だ。
アレットは昔から人の表情やその裏に隠れる感情を感じ取るのが得意だった。そのため街の人々を観察するのが外出するときの密かな楽しみだった。

自分と家族を取り囲むSPの間を縫って街の人たちを覗き見る。
店頭に並ぶ魚を眺め眉を顰めている女性。買おうとしている魚が少しばかり高いらしい。
すれ違ったカップルは明らかに男性の方に好意が感じられなかった。
ショウウィンドウに鼻をくっつけ目を輝かせる少年。ガラスの向こうに飾られたギターも煌々と輝き少年を誘惑する。
レストランのテラス席でパスタの大皿を貪る男。他にも多くの種類の大皿がテーブルを埋め尽くしている。連れもいないようだがあれを一人で食べるつもりだろうか。

ふと、テラス席の男が食べる手を止め顔を上げた。頬はたくさんのパスタを詰め込んだせいでリスのように膨れ上がり、口の周りにはトマトソースが付いていてどこかあどけなさを感じる。しかしがっちりと合ったその瞳は確かに鋭くまっすぐだった。


「アレット様。」

執事に名前を呼ばれ手を引かれる。
前を歩く両親と弟が怪訝そうな顔でアレットを見ていた。

「アレット、あまり市民たちをじろじろ見るものではありません。」

「上流階級としての威厳を持って歩かねばならぬのだぞ。」


「上流階級」。自分でそれを言うか、という言葉を飲みこむ代わりに、アレットは家族ににっこりと微笑んだ。





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