まじないの花 03.六郎編
あの約束をしてからというもの、六郎は私にべったりひっついておねだりしてくる。
おねだりは場所を問わない。廊下でも、広間でも、庭でも、城下でも、私を見つけると全速力で走ってきては息を切らし、腰にしがみつく。素直で、無邪気で、時々大人な六郎にドキドキしてしまう。
それは私が起きているときの話で、寝ているときはまた別の話だけれども。
――今日も朝っぱらからアレが始まるに違いない。
「しゃや(咲弥)、起きてください。朝ですよ」
毎朝、隣の部屋の私を起こしにやってくるのだ。実にありがたい。自慢じゃないけれど、寝起きが悪いから。
けれども、こいつは普通に起こすわけではない。
昨日の夜にうたた寝をしている時なんて、耳元で甘ったるい愛の言葉とやらをささやいてくる。心臓に悪い……。
でも、ちょっと面白いから、本当は起きていても寝たふりをする。
さぁ、六郎。昨日と違って今日は布団を頭までかぶっているぞ。どう出る?
「クスッ。そうですか。わかりました。それなら致し方ないですね……」
なんか怪しい言い方。しかも、鼻で笑った。
この小さな策略家はどんな計を使ってくるのだろう。不安になった私はおそるおそる毛布から顔をのぞかせて様子をうかがおうとした。
「ひっかかりましたね」
「えっ? うわっ!」
目が合った瞬間、べりっと毛布を引き剥がされて清々しく「おはようございます」なんて言って私の腹部に乗っかった。
これこそが狙いだったのだ。
隙を作らすことが。
力づくで布団から剥がしたりめくったりすることはできないから。
そう、こやつは私が寝たふりをしていることも、こういう反応をすることも知っていた。してやられたってわけであります。
すると、何を思ったのかどんどん顔を近づけてくる。
うわっ、近い、近すぎるって! このままじゃ、口づけ……。その、まだ、そういう仲にはなってないからだめ。順序ってものがあるわけで――。
頭の中がぐるぐる状態だ。あぁ、もうダメ。倒れそう。
六郎、近すぎてダメと紡ごうとしたけれども、どうやら六郎のほうが早かったらしい。
「これで目が覚めましたか、しゃや?」
顔を近づけた理由。それは、ただ鼻と鼻とをこっつんこさせただけだった。
「もう……からかわないでよ、六郎」
「すみません。かわいらしかったので、つい」
こいつ、確信犯だ。笑みを絶やさないのだ。
ようやく六郎はそろりと離れた。が、おりてはくれない。
「六郎」
「なんでしょう」
「とりあえず、おりてくれないかな。起きないといけないから」
「ええ、そうですね。でも、おりる前に」
ちょっ、また顔が近くなって……。
「今から温泉に行くと約束してください」
顔をそらされないようになのか、別の意味があるのか、六郎は私の頬に両手を添えた。彼の温度が心地いい。
元々今日下準備をして、明日にでも行こうとしていたのだから断る理由なんてない。幸村様に許可は取ってある。
「わかった。わかったから……ね?」
おりてちょうだい。私の心臓がもたなくなっちゃう。
そんな願いもむなしく届かない。
むしろ、悪化させてしまう。
「ろくろ……っ!?」
頬に伝わったのはまぎれもない柔らかな感触。
「お礼です」と一言残し、六郎は艶やかな髪をなびかせて部屋の外に出て行った。
それが口づけだということに私はすぐに気付かなかった。
――かわいいのは貴女の方ですよ、咲弥。
[12/02/29]
六郎、キャラ変わってる。鼻と鼻とのキスはエスキモーキスっていうらしい。
[終]