まじないの花 09.六郎編
※六郎視点です
太陽と入れ替わって月が空に輝きを放つ夜のこと。
眠りにつこうと布団に入ったら襖の向こう側から彼女のすすり泣く声がした。
心配になって布団から抜け出し、そっと襖に耳を当てると「六郎、六郎」と私の名前がかすかに聞こえた。次いで、「ごめんね」「私のせいで」「もしも元に戻らなかったら」とも。
ここは彼女の心を傷つけないためにも黙って気付いていないフリをするか、それとも彼女のそばに行って安心させてやることが賢明か。
今の状況ならば――私は、後者を選んだ。
私のことを想って泣いてくれているのなら、私が安心させてやることが一番でしょうから。
「しゃや(咲弥)、開けますよ」
その部屋の主の返答を聞かぬまま、襖に手をかける。彼女は明かりを付けていなかったため、私の部屋から光が注ぎこまれた。
掛け布団を頭からすっぽりかぶってうずくまっていた彼女は、僅かに光を感じて驚き、肩を跳ね上げさせた。
「だ、だれ……?」
不安気に震わす声と体に私はたまらなく愛おしさを覚え、答える間もなく布団ごと手を回してぎゅっと抱き締めた。
小さな悲鳴があったが「私ですよ」と優しく語りかけるように言うと、頭だけひょっこりと布団から出した。
「……っ、ろ、六郎?」
「はい。すみません、勝手に入ってきてしまって。しゃやが心配で……」
「もしかして、聞こえてたのかな? あ、あははは……ごめんね、六郎。私は大丈夫だよ! この通り、元気元気!」
彼女は上手に笑っているつもりでも、私には無理して作り笑いをしているようにしか見えません。
私が貴女の嘘を見抜けぬとお思いですか?
容易なことです。貴女の瞳はまっすぐで、正直モノですから。
私は先程よりも強く抱き締めて、か細い背中を撫でる。
「いいですか? もしも戻れなかったとしても、しゃやの記憶には今までの私がいる。それに、私は私ですから……何も変わりませんよ」
「で、でも……っ! 私のせいで、私のせいで……六郎も、才蔵も、佐助もこんな姿に……。っ、私がもっと注意深く見ていれば、こんなことにはならなかったかもしれないのに!」
「あれは事故だったのです。しゃやのせいでもなければ、他の誰かのせいでもありません。それに、貴女も言っていたでしょう? 『効果はしばらくすれば消える』と。大丈夫ですよ」
「だって……そのしばらくがいつ来るのかわからないんだよ。明日かもしれないし、一年、十年先かもしれないっ!」
彼女が訴える叫び声は、悲痛なものだった。私の着物が涙で濡れてゆくのがわかった。
だから、ぽんぽんと背を叩いて合図をし、腕の力を緩めた。
ゆっくり離して咲弥の顔を見ると、やはり目が赤くなっていた。
「しゃや、右手をかしてください」
スッと彼女の手をとって、指を軽く丸めさせた。そして、小指だけを伸ばさせて、自らの小指と絡める。
「ゆびきりをしましょう。必ず元の姿に戻って見せます。ですから、そんなに悲しまないでください。約束です」
「悲しむなって……そんなの、無理だよ」
「約束を破ったら針千本飲ませますよ? おまけ付きで」
***
太陽の光が顔を直撃して目覚めると、前のあの感覚が確かにあった。
急いで手のひらをひろげてまじまじと見ると、今までの幼っぽい感じがひとかけらもない。ゴツゴツとした骨に、硬くなった皮膚、それからこの手の大きさ。そのまま顔を触ってみるも、幼子の特徴のぷにぷにとした柔らかさはあまりなかった。次第によみがえってくる筋力は、私が元の姿に戻ったという事実を証明していた。
まだ寝ているかもしれないけれど、これをいち早く彼女に見せたかった。昨晩のことが気がかりでしたから。
私は着替えもせずに、隣の部屋との隔たりを壊した。
「咲弥っ!」
「うぅ? うーん……っ! 六郎?! ほ、本物の六郎?」
「はい! 目覚めると、元に戻っていました。約束を果たしましたよ、咲弥」
「よかった。よかったよぉー!」
そう叫んでいきなり飛びついてきた咲弥は、ぎゅーっと抱き締めた。昨晩の私のように。
「はい、よかったです……。元に戻って真っ先に咲弥に伝えたいことがあるのですが、いいですか?」
一呼吸置いて、気持ちを落ち着かせる。大きく息を取り入れて静かに吐いて、彼女を抱き締め返した。
髪を梳いて、耳たぶを撫でては唇を当てる。
「私は、ずっと咲弥だけを見ているということに気付きました。咲弥が好きです」
次へと紡がれる言葉を聞かずとも、ほんのり色付いた耳たぶで知り得た。
――この世にたったふたつしかない花が在った。その名は『まじないの花』。花を摘んだ人物がその瞬間に思ったことをほんのひと時だけ現実と化して叶ってしまうという呪いでもあり、魔法の花――。
[12/03/31]
これで第一章終了です。今までありがとうございました! 次もお楽しみに。
[終]