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 まじないの花 06.六郎編


 今、唇になにかしらのやわらかい触感があった。
 それはとてもとてもやさしいもので――。
 あぁ、そういえば私のいる場所は真っ暗で無の世界だった。温泉宿に着いて、支度をして、温泉に二人で浸かって、部屋に戻ってきて……それからのことが思い出せない。
 いや、そもそも“それから”なんて存在していない。
 私は眠りの世界にいたんだ。
 導き出された答えによって、だんだんと光と色彩が差してくる。ぐつぐつと煮込んでいる音、おなかの虫がなってしまうくらい美味しそうなにおい。視覚だけではなく、聴覚や嗅覚もよみがえってきた。
 そうだ。部屋に戻ってくるなり、居眠りしたんだった!
 ハッと我に返り、飛び起きた。


「ごめん、六郎っ! 寝ちゃった……っ、イタっ! 足が、足が、しびれたっ! あぁぁー!」

 変な寝方をしていたせいか、足先に電気が走っているかのようにしびれる。
 誰しもが経験あるだろうが、このしびれは桁外れのダメージを食らってしまう。おかげでひどい悲鳴になってしまった。
 私の前方にある座椅子に腰掛けていた六郎は、手にしていた書物を畳床に伏せ置いて歩み寄る。
 
「しゃや(咲弥)、大丈夫ですか?」
「うっ、ダメ。ビリビリする……痛い」
「やはりあれですか。しびれた時はこうするといいですよ」

 ダメージを食らった足にそーっと手を伸ばした六郎はやんわりとさすり始めた。
 それによって、触れられたてのひらから一気に放電される。
 いい歳して申し訳ないなと思って彼の顔を見ると表情をゆるめていた。私の視線を感じ、くすっと笑って見せる。

「なつかしいですね。昔のしゃやはよく足をしびらせていました。その度に私がこうしてさすったのを今でも覚えています」
「まだ覚えてたの? 恥ずかしい……」
「ふふっ、つい思い出し笑いが出てしまいます」
「もう! 思い出さなくてもいいよ、笑わないでよー」

 昔の私は六郎にべったりで、いろいろとお世話になった。
 髪を結ってもらったり、字を教えてもらったり、看病をしてもらった時なんてご飯を食べさせてくれたんだっけ。
 あれから十数年が経った今では、もうすっかり自分のことは自分でできる。多少なりとも迷惑はかけていたと思うけれど、身の回りのことでお世話になることはあまりなかったのに。
 懐かしい。
 あの頃と同じ匂いがする。
 私は、たくさんのことをしてもらった彼にお返しがしたかった。でも、何でも出来る彼にしてあげられることなんてこれといってなかった。そんな時にあのハプニングが起こった。だから今度は私が、って――。

「今度は私が六郎を助けようって思ったのに、これじゃ変わらないよ。お返しができてないよ……」

 しょんぼりする私に、すかさず彼は言う。  

「お返しなんて要りません。私がしたくてしているのですから。それに――」
「で、でも、私っ!?」

 間を置かずに言い返そうとするも、唇は六郎の人差し指により封じられる。

「……お返しはもう頂きましたから。それより、食事にしましょう。冷えてしまいますので」

 しびれていた足はよくなってきたけれど、動悸の方が激しくなった。
 立ち上がって席に着こうとする彼に「ありがとう」と伝えるの精一杯だった。


***


 ご飯を食べさせてあげようと試みたが、先に「自分で食べれますから」と刺されて食事の時間はあっという間に終わってしまった。
 そして、現在は布団の中。お隣にはもちろん六郎がいる。
 仄暗い空間と静寂が私達を包み込み、眠りの世界へと誘う。

「おやすみなさい、六郎」

 まぶたを閉じれば、瞬時にその世界へと落ちて行った。


 ――咲弥、寝てしまいましたか……。私は楽しかったですよ。貴女と一緒にいられて。普段見られないような顔も見れて。

[12/03/08]
足がしびれるとほんと痛いです。

[終]



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