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 あなたに白湯、を 六郎編


 鳥のさえずりをまだ聞くことができない薄明の頃、何かが落ちるのを耳にした。
 それはひどく鈍いものだったので、物ではないと私に知らせた。物ではないとするのなら、あとはもう生き物しかない。動物か人間か。そのようなことは悩まなくともわかる。答えは、決まっています。――人間。

「誰です?」

 私は殺気立てて襖を開け放った。
 眼下にあったのは、愛しき人の変わり果てた姿だった。

「咲弥っ!」

 横たわった彼女をそっと抱きしめた。体が冷え切っていることも覚悟はしたがそうではなかった。呼吸はかすかにある。
 よかった。本当に。
 胸をなで下ろし安堵するも、完全に安心はできない。私に抱き留められている彼女は高熱を出してしまっているのだから。

「あ……ろくろう?」
「はい、咲弥」

 消えてしまいそうな弱弱しい声で私を呼んだ。どうやら、意識が戻ったようです。
 けれども、呼吸をするのがやっとという状態。
 何故にここまで悪化させるほど放置していたのでしょう。早く言ってくれれば、苦しまなくて済んだものを。
 ですが、もう大丈夫ですよ。私がいますから。
 どうか……私に頼ってはくれませんか。
 お願いですから、無理をしないでください。
 こうなったのか大よその見当は付きますが、もっと自分を大切にしてください。
 任務から必死に戻ってきたことに気付いていますから。貴女のこの傷だらけの両の手がそれを物語っているのです。私はぎゅっと握り締め、眠りについた咲弥に心の内を放つ。

「貴女という人は……大馬鹿者です」

 私の気持ちを知らないで――。


***


 三日三晩、つきっきりで看病をしたからか、咲弥はすっかり今まで通りの彼女に戻った。
 だからといって油断をしてはいけません。治りかけというものはそれをこじらす原因のうちの一つなのですからね。
 そして、私は今日も彼女のもとへ訪れる。
 返事を聞く間もなく、部屋に押し入る。

「六郎! 私、まだ返事していないのに」

 頬をふくらまして怒っている素振りを見せても、全然怖くありません。むしろ、かわいらしいですよ。
 と、意味を込めて頭を撫でてあげる。
 ふと、枕元のほうを見やると、お盆の上に置かれてあるものに気付いた。

「あれは、水ですか?」
「そうだよ、水だよ。のどが渇いて乾いてしょうがないのって、もうなくなってる。六郎、水汲んできてもいいかな?」

 まったく貴女は……。

「何を考えているのです! 冷たい水を飲み過ぎては腹を壊してしまいます!」

 しまった。
 普段の自分が出せなかった。いつも以上に穏やかに言うつもりが、いつも以上にきつく言ってしまった。しかも、立ちっぱなしという有り様。これでは、咲弥と結構目線が違う。怖がらせてしまったことでしょう。
 それ程までに貴女が心配なのです。
 苦しむ貴女を見たくはないのです。 
 貴女を大切に思っているから――。
 私はひざまずいて視線を彼女と合わせる。口の端を上げて笑んで見せると、咲弥の表情がだんだんやわらかくなっていった。

「すみません、怒鳴ってしまって」
「どうして六郎が謝るのよ。心配してくれたんでしょ? ごめんね。ありがとう」
「どういたしまして。それでは――」

 のどが渇いている貴女のために、水ではなく別のものを持ってくるとしましょう。

「水ではなく、白湯に致しましょう。用意してくるので待っていてください」

[12/03/02]
サイト名は六郎のこの台詞からきています。

[終]



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