12
『ふう、いいお湯だった……』
風呂上りの熱っぽい身体を夜気で冷やされるのが心地良くて、つい言葉を洩らしてしまう。
気にかかることは、いくつもあるけど……。
近頃は総司の怪我の経過も良く、完治まであと少しといったところだ。
もちろん、予断を許さぬ状況ではあることに変わりはないけど……。
それでも、総司が多少なりとも元気を取り戻してくれたことは、喜ばしい。
そんなことを考えているとーー。
「いい加減にしてください!!」
『っ……!』
総司の部屋の方から飛んできた声に、私は思わずすくみ上がる。
今のは山崎君の声だ。
一体、何があったというのだろう?
私は慌てて、声が聞こえてくる方へと急いだ。
「……山崎君って、新選組に入ってから何年になるんだっけ?上役を怒鳴りつけるなんて、新入り隊士だってしないと思うんだけど。」
「……言葉が過ぎたというのは、俺も自覚しています。ですが、それならば沖田さんも、上役として振る舞ってくださらなくては。」
部屋の中は、物凄く険悪な雰囲気が満ちていた。
『えっと……?』
「上役として振る舞うって何?僕に、土方さんの真似をしろっていうの?」
「少なくとも、松本先生のご指示を無視するような真似をされては困ります。」
「僕の身体のことは、僕自身が一番よくわかってるつもりだよ。もう労咳だって治ったし、寝たきりでいる理由もないでしょ。」
「ですから、まだ先生のお許しが出ていないとーー!」
これ、まずいよね。
『ね、ねえ、二人共、ちょっと落ち着いてよ。』
「僕は落ち着いてるよ。冷静じゃないのは、山崎君だけ。」
「俺は、言うべきことを言っているだけです。」
犬猿の仲というのは、こういうことを言うのだろうか。
総司と山崎君は、とことん反りが合わないらしい。
『……一体、何があったの?』
「何があったも何もーー少し目を離した隙に、沖田さんが庭へ出て剣術の稽古を始めようとしたんです。」
『ええっ!?それ本当?』
「だって、ずっと寝たきりなんて、身体がなまっちゃうから。いつ隊に合流できるかわからないんだし、勘を取り戻しておかなきゃいけないでしょ。」
「……これだ。汐見さんの方からも、沖田さんに言ってあげてください。」
え……私から?
『えっと…………まあ、確かに山崎君はちょっと厳しすぎるかもしれないね。』
「汐見さん、あなたは本気で言ってるんですか?」
『えっと、その……』
「本気に決まってるじゃない。山崎君は、頭が固すぎるんだよ。前々から、そういうところに内心うんざりしてたんだよね?千華。」
『ちょっと待ってよ!私そんなこと、一言もーー』
「あなたも沖田さんも、事態を軽く捉えすぎです!彼に無茶をさせるなというのは、松本先生の言いつけなんですよ!」
『ご、ごめんなさい。』
気迫が怖くて、思わず謝ってしまった。
「……まったく、そうやって聞く耳を持たないところ、ご主人様にそっくりだよね。」
「とにかく沖田さんは、怪我の養生に専念してください。もし守れないようであれば、今日のことを遠慮なく副長に報告させてもらいますから。」
最後に釘を刺した後、山崎君は部屋を後にした。
『……山崎君、いい人だよね。』
「悪人じゃないのは確かだけど、いい人って程かなあ?」
『いい人だよ。土方さんの命令でここにいるんだろうけど……それでも、総司のことを心配してくれてるのは事実だと思う。』
「山崎君に心配される筋合いはないんだけどね。」
『また、そんなこと言って……』
総司はまだちょっと、拗ねているみたいだ。
『総司。もう夜も遅いし、そろそろ布団に入らない?』
「ええ、もう?もう少し起きてたっていいんじゃない?」
『駄目よ、怪我の治療に専念しなくちゃ。』
「……わかったよ。千華って本当、融通がきかないんだなあ。入ってあげてもいいけど、その代わり……」
『【その代わり……】何?』
すると総司は、意味深な表情で私の顔を覗き込んでくる。
悪戯っぽい眼差しが、すぐ近くまで迫ってきた。
どういう、こと……?
総司の突然の行動に、心臓が、激しく鼓動を刻み始める。
「せっかくだから、添い寝してくれる?」
『添い寝、って……!何が、せっかくなのよ!悪い冗談はやめてよ。』
「……君って、鈍いよね。普段は妙に察しがいいのに。」
『えっ……?』
私が戸惑っていると、彼は罰が悪そうに視線をそらしながら呟いた。
「僕が言いたいのは、君ともう少し話したいってことなんだけど。」
『話したい、って……え、私と?』
「駄目?」
『い、いや、駄目じゃないけど……』
まさか総司からこんな申し出があるなんて思わず、私は戸惑った。
私が知っている総司は、近藤さんにしか関心がなくて……。
こうして近藤さん以外の人の話に興味を示すことなんてあり得なかったのに。
『あのさ……、何か、心境の変化でも?』
「僕がこういうことを言うのって、おかしい?」
『おかしいってわけじゃないけど……』
すると総司は、どこかもどかしそうにため息をつく。
「どれくらいはっきり言えば、わかってくれるのかな……」
『え……?』
「一人は寂しいから、傍にいてほしいってこと。」
『あーー』
その言葉で、ようやく総司の本心に気付く。
総司がこうして私に素直に甘える、その理由は……。
『私、傍にいるよ。総司が眠るまで。』
「無理しなくていいよ。僕と一緒は嫌なんでしょう?」
『ど、鈍感ですみませんね!私は大丈夫だから……、心配しないでよ。』
本当は里への文とじい様に聞きたいことがあったから文を飛ばそうと思ったんだけど、まあ、いつでもいいか。
すると総司は、安堵したように微笑んで私の髪にそっと触れる。
「……そう、それじゃ許してあげる。」
前髪をくすぐるように弄ばれ、なぜか胸が高鳴った。
「どうしてかな。近頃、君に甘えるのが心地良くなってきたよ……ありがとう、千華。」
『ーーーー』
総司の穏やかな声音に、心臓をわしづかみにされた心地になる。
総司はそのまま布団をかぶるが、じっと布団の中から私を見つめていた。
『な、なに?』
「傍にいてくれるんじゃないの?」
いや、いるじゃん、ここに。
じーと見つめ合う。
総司の視線に耐えきれず、私は視線をそらしてはぁ、とため息をつくと、枕元に座った。
そして彼の頭を持ち上げて、膝へとのせる。
「…………千華?」
驚いたように目を見開く。
私はそんな総司の目を隠すように片手で視界をふさいだ。
『さっさと寝て。…………これ、結構恥ずかしいんだから。』
総司の口角があがる。
そのまま目を隠していたら、やがて寝入ってくれたけど……。
私は、なかなか彼の傍を離れられなかった。
膝にのる総司の髪を撫でる。
『…………』
死病に冒され、戦えない自分に焦れていた頃の総司はーー。
【刀として役に立てない】
【近藤さんの役に立てない】
そのことを、常に恐れていた。
そして、今は……。
『総司……』
変若水を飲み、羅刹となったことで、再び隊の役に立てるようになったけれど。
それでも、憎まれ口やからかいの中に、彼の本音が垣間見える時がある。
……人でないものになったことを、不安に思わぬはずがないのだ。
『私、頑張るから……』
総司が、幼なじみの私に心を許してくれているのならば。
ーー私は、総司の力になりたい。
今までよりも強く、そう願ってやまなかった。
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