16
私はそのまま、平助の部屋へと向かったけれどーー。
「うっ、ぐ……!あぁっ……」
『平助!?』
私は、勢いよくスパン!とふすまを引き開けた。
『いたっ!』
跳ね返ってきたふすまが腕にあたる。
私はそこを撫でながら視線をあげた。
そこにはーー。
「ぐ、う……くそっ……!また……かよっ……!」
壁にもたれかかるように胸を押さえ、苦しそうにうめいている平助の姿がそこにあった。
ーー迷っている暇なんてない。
私は脇差を抜き取って、手首に切り傷をつけた。
『平助、私の血を……!』
「……けど……」
平助は、血がしたたる私の手首から目をそらす。
『お願い、血を飲んで。ここで倒れたらどうするのよ……!』
「そう……だな……。土方さんの命令が……あるもんな……」
私は周りに人の気配がないのを確認して平助に手首を差し出した。
「ごめんな……千華。」
平助は申し訳なさそうに、私の切り傷に舌を這わせてくる。
「本当に……、ごめん……」
『謝らないで。私なら……、大丈夫だから。』
その様はまるで、獣が傷を舐めて癒そうとしてくれているかのようだ。
血をすするたび、平助の表情から苦痛の色が消えていく。
……良かった。
平助を、楽にしてあげられた。
こんな状況なのに、そのことがとてもうれしい。
平助の発作が落ち着いてから、程なくして……。
「……悪いな。いつもいつも面倒かけちまって。だけど、こうやっておまえに辛い思いをさせるのもこれが最後か。」
『そのことなんだけど……私も、平助と一緒に仙台に行くことにしたの。』
その言葉に、平助は絶句した様子だ。
「一緒に、って、どうして……」
『どうしてって、千姫を助けなくちゃいけないし、それにーー平助を、一人で行かせるわけにはいかないから。』
千姫を助けるのは、鬼のーー次期頭領の務めだと思っているし。
ここで助けに行かなければ、私は里に戻った時に確実にじい様にぶっ飛ばされるだろう。
想像しただけで怖い。
「土方さんは、何て言ってたんだ?あの人がそんなこと、許すわけねえだろ。」
『……許しは、もらってるわ。平助のことを頼む、って言ってた。』
「…………」
多分、私が土方さんから許しを得ているとは思っていなかったのだろう。
平助は思いつめたような表情で、私を見つめていたけど、やがて……。
「……駄目だ。一緒に連れて行くわけにはいかねえ。おまえは、土方さんたちと一緒にいてくれ。」
『えっ……?』
平助の言葉の意味がわからず、私は凍りつく。
「何度も言わせるなって。おまえを連れて行くわけには、いかねんだよ。この間、山南さんと戦った時のことを覚えてるだろ?オレの力じゃ、あの人に勝てるかどうか、わからねんだ。だからーー」
『じゃあ尚更、平助を一人にするわけにはいかないじゃない。もし羅刹の力を使ったり、大きな怪我をしちゃったら、今度こそ本当に……!』
「だからってーーおまえがついて来て、どうなるっていうんだよ!?」
『それは……確かに戦う以外にできるかって言われたら厳しいけど、でも、君菊さんたちと協力すれば、山南さんに勝つ方法が見つかるかもしれないでしょ?皆で考えれば、きっといい考えが浮かぶと思うの。だから……』
私は懸命に気持ちを伝えるけれど、平助は顔を上げてくれない。
うつむいてしばらく黙り込んだ後、静かに口を開いて……。
「おまえは…………、オレとは違うじゃねえか。」
『はっ……?』
「おまえは、鬼かもしれねえけど……これから先も、普通の人間として生きていけるんだろ?いつ灰になって消えちまうかわからねえオレと違って……」
平助は自分の身体を握りしめるみたいに胸をつかむと、一旦視線を落とした。
『平助……』
まだあどけなさが残る平助の顔には、苦渋の色が浮かんでいる。
一度、息を吸い込んでーー乱れた呼吸を抑えてから、彼は言った。
「……山南さんのことは、オレが何とかする。勝ち目は薄いかもしれねえけど……山南さんを道連れにしてあの世に逝くことぐらいなら、できるかもしれねえもんな。」
『道連れって、そんなーー』
「そうだろ?この間、山南さんだって言ってたじゃねえか!甘さを捨てねえ限り、オレは何百回戦っても勝てねえって。あの人には、命を捨てる覚悟で立ち向かわねえといけねえんだ……」
『平助は……、死ぬつもりなの?』
自分で、そう問いかけてみてもなお、【死】という言葉が、どうしても彼と結びつかない。
だって平助は、こんなに元気なのに。
羅刹になってからも以前と全く変わらない、優しい彼のままなのに……。
「死ぬつもりも何も……、オレ、もう死人みてえなもんじゃねえか。ふとした瞬間に、血を飲みたくて狂いそうになっちまって……そのうちオレも、血を得る為江戸の人たちを殺してた羅刹隊の奴らみてえになっちまうんだ。だから、おまえももう……こんなオレのことなんて忘れちまえよ。」
私はその言葉に、眉を寄せた。
この部屋に来るまでに肩に乗っていた銀狼がピュ〜ッと鳴いてふすまをくちばしでこじ開けて外へと飛んで行く。
『……平助、本気で言ってるの?』
「しょうがねえだろ!オレだって本当は、死にたくなんてねえけどーー戦っても戦わなくても、どうせ近いうちに死んじまうんだぜ?たった一人で山南さんを止めてこいなんて言われちまって。オレがあの時、変若水を飲んだのは、この為だったなんて思いたくねえけど、でも……でも、それは……、しょうがねえことだって踏ん切りをつけられるんだ。だけど……もしおまえを守りきれずに死なせちまったら、オレ、どうすればいいんだよ!?」
『私はーー』
【死ぬことは覚悟している】という言葉を口走りそうになって、慌てて呑み込んだ。
その言葉はむしろ、平助をますます追い詰めてしまうことになると思ったから。
「……同情なら、頼むからやめてくれよ。おまえは、どこにでも行けるじゃねえか。オレの傍にいる必要なんてねえだろ!化け物になっちまったオレのことなんて、さっさと見放しちまってくれよ!!」
その言葉だけは、黙って聞いていることができなくてーー。
『っ……!』
私は右手を一閃させていた。
パアンッ!
「あ……」
平助の頬を打った手の平が、熱くしびれている。
『……っ……』
こみ上げる涙で、喉が詰まった。
……悔しくて、悲しくてたまらない。
『同情なんかじゃ、ないわよ……私は羅刹じゃないから、平助の気持ちをわかってあげることはできないかもしれないけど、でも……平助のことを、化け物だなんて思ったことは一度もないわ。平助を見放すなんて、できるはずがないじゃない……!』
「千華、おまえ……」
『私は……、諦めたくない……』
いつの間に溢れ出した涙が、頬を濡らしている。
『平助が死んじゃうなんて、絶対嫌だから……どうしても、一緒に生きる方法を見つけたいの……!』
平助はしばらくの間、黙ったままだった。
だけど、やがて……。
「……そんな方法があるんなら、山南さんがとっくに見つけちまってたはずだろ。オレ本人が諦めてんのに、どうしようっていうんだよ……探しに行こうとしたら、この脚が、崩れちまうかもしれねえんだぞ。」
『だったら、私が支えるよ……』
「手を伸ばそうとした時、この腕が、灰になっちまうかもしれねえぞ……!?」
『じゃあ、私が平助の代わりに手を伸ばすから。』
これは慰めでも、気休めでもなくて……。
彼の為なら、本当にそうするつもりだった。
平助の大きな瞳が、わずかに潤む。
瞼を震わせ、込み上げてきたものをこらえるように息を詰めた後……。
「…………馬鹿だよ、おまえ。こんな状況で、どうしてそんなに前向きでいられるんだ?」
『だって……平助はまだ、私の目の前に立っていてくれるから。こうして、言葉を交わすこともできるんだから……諦められるはずがないじゃない。平助がいなくなっちゃうなんて、信じたくないもの。』
「千華……」
平助は大きく息を吐き出して、安堵したような微笑みをようやく浮かべてくれる。
……羅刹になる前と変わらない、優しい表情だ。
「オレ、おまえほど前向きじゃねえから羅刹になった人間を救う方法があるなんて、信じられねえけど……でも……、そう信じてるおまえを信じることはできるかもしれねえ。」
平助は私の頬へと手を伸ばし、目尻に溜まった涙を拭ってくれる。
そして……。
「オレ……、おまえの為に、もう少しだけ生きてみるよ。」
私はその言葉に、満面の笑みを浮かべたのだった。
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