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20


その後、私たちは下総・流山にある長岡屋へと移動することになった。
近藤さんは、戦うことには乗り気でない様子だったが……。
土方さんの必死の説得で、重い腰を上げてくださったみたいだった。
皆は、会津行きの準備が整うまでここで調練を続けるという。
一君は市川という場所で、連隊に新式装備の訓練をしているらしい。
山南さん、平助の羅刹隊は、長岡邸には入れないということで、一足先に宇都宮経由で会津を目指しているとのことだ。


「汐見先輩、局長はどこですか?」

『近藤さんなら、部屋で本読んでると思うけど……何かあったの?』


野村君と相馬君にはもうすでに女ということはバラしているので柔らかい口調で話す。

まあ、女だと気付いていない奴らの前では男口調でしゃべるけども。
けどもう大半にはきっとバレているだろう。
服装が服装だし。


「いえ、特に用事ってわけじゃないんですけど……」


野村君は何か、引っかかるものがある様子で建物の方を見やった。


「……局長はもしかして、新政府軍と戦う気力をなくしてしまったのかなって。」

『それは……。……そんなことないわよ。近藤さんも、戦意を完全になくしたわけじゃないと思う。』


野村君はしばらく黙り込んでいたけど、やがて……。


「……そうっすよね。局長は、あの土方副長が尊敬している方なんですから。きっとすぐに、元の局長に戻るに決まってますよね。すいませんでした、変なことを聞いて。」


野村君はそう言い残し、建物の傍から姿を消した。


『…………』


確かに、彼が言った通りーー。
ここに着いてからというもの、近藤さんは別人のように覇気をなくしてしまった。
部屋にこもって本を読んでいるか、縁側で草花をながめるだけの日々。
……でもそれは、甲府での負け戦を引きずっているだけ。
そのうち気力を取り戻して、いつもの近藤さんに戻ってくれるはず……。


***


『近藤さん、お茶を持ってきましたよ。』

「ああ、ありがとう。」


近藤さんは本をめくる手を休め、笑顔を見せてくれる。


『何の本を読んでたんですか?』

「ん?三国志演義に、清正記に……、軍記物の読み物ばかりだな。もう、暗誦できるくらい読み込んだんだが、何度読み返しても新たな感動があってなあ。子供の頃は、思ってたもんだよ。いつか関聖帝君みたいに立派な武将になって、自分ではない誰かの為に戦おうって。」


やがて、その表情が寂しそうな色を帯びーー。


「……だが、願うだけでは名将にはなれんのだな。それに気付くのが、ちと遅かったようだ。」


言いながら、本の表紙を軽く手のひらで叩き、文机の上へと載せる。


『……何を言ってるんですか。まだ、これからじゃない。』


だが近藤さんは、私の言葉には答えてくれず……。


「トシは、どうしている?」

『土方さんなら、自分の部屋で書き物をしてるみたいですよ。多分、市川にいる一君への指示書を書いてるんじゃないかしら。』

「そうか……。トシには、無理ばかりさせてるなあ。」

『……土方さんは、無理なんてしてないと思う。近藤さんの役に立てるのが、何よりうれしいんだと思うわ。……あの人は、そういう人だから。』

「すっかり、トシの小姓役みたいになったものだなあ。あいつのことを、よくわかってるじゃないか。」

『え……私、いつから土方さんの小姓になったわけ?まだ幹部辞めてないんですけど。』


目を細めてやめてくれという風に顔を歪める。


『……まあ、幹部の仕事も来なくなったし、小姓っていうのも悪くはないかもしれないけどね。』

「そうだな。あいつも安心してると思うぞ。千華が小姓になってくれるんだからな。」


絶対に安心はしてないと思う。

京にいた頃は私が土方さんの小姓紛いなことをするなんて微塵も思っていなかった。
あの頃は、まさか薩摩や長州が、天子様を擁することになるんて思いも寄らなくてーー。
大変なことはいくつもあったが、このまま、京での生活が続くのだと思っていた。


『……でも、きっと大丈夫ですよ。土方さんが何とかしてくれるわ。』


はげましの言葉を口にすると、近藤さんは寂しそうに笑う。


「だがなあ、千華。俺は、それも酷じゃないかと思うんだよ。」

『酷、って……』


言葉の意味を問い返そうとした時だった。
私が気配を感じた方向に視線を向けた時、ふすまが勢いよく開き、険しい顔の土方さんと島田君が部屋へと飛び込んで来る。


『びっくりした……。土方さん、一体どうしたの?』

「……すぐ、逃げる準備をしてくれ。ここは、敵に囲まれてる。」

『やっぱりか……』


私がそうこぼすと土方さんが眉を寄せた。


「気づいてたのか?」

『気づいたのは土方さんたちが入ってくるちょっと前。気配を感じてね。』

「そうか……」


気配には敏感になってしまった。
特に殺気などの類いには。


「敵兵は、二、三百はいます。奴らに気付かれないよう、裏口からここに入ってきました。」

「せめて、桁が一つ少なきゃ、どうにかできたんだがな。」


土方さんは唇をかみ、いまいましそうに窓の外を見やる。


「今からじゃ、斎藤たちを呼び戻す時間もねえ。……俺が何とかするしかなさそうだな。島田、それから千華。近藤さんを連れて先に逃げてくれ。」

『そんな!?いくら土方さんだって無理よ。昼間で、体調だって悪いのに……』

「そんなのやってみなきゃわかんねえだろ!」

「しかし、相手は銃を主体とした部隊です。」


銃……少しのかすり傷なら……。
いや、心臓にあたらなければ……。


『私が行くわ。』

「何だと?」

『私が行った方が絶対にいい。急所に当たらなければ何とかできるし。鬼の治癒は早いからね。力を使えば二、三百人くらい突破できる。もし駄目でも薬を使えば……』

「駄目だ。おまえにそんなことさせられるわけねえだろ!」

『じゃあどうするのよ!』


島田君と土方さんが、飛び出そうとする私を抑えた時だった。
それまで沈黙していた近藤さんが、決意めいた表情になる。


「……待ってくれ。トシと千華がそこまでする必要はない。俺が、向こうの本陣へ行くよ。」

「何を言ってやがる!みすみす死ににいくようなものじゃねえか。」

「もちろん、新選組の近藤だとは名乗らんよ。偽名を使って、別人に成りすますつもりだ。俺たちは旗本で、この辺りを警備している鎮圧部隊だと言えばごまかせるだろ。おまえたちが逃げる時間くらいは、稼げるはずだ。」

『…………』


近藤さんの言葉に、私も島田君も続く台詞を見失ってしまう。

そんな嘘が通るわけがないってわかっているのに……。

ただ土方さんだけが、声を荒げながら叫んだ。


「馬鹿か、あんたは!あいつらがそんな甘い連中だと思ってんのか!?京で、散々見てきたじゃねえか!奴らが俺たちを恨んでねえはずがねえ!すぐに気づかれて、捕まえられるに決まってるだろう!」

「……仮に捕まってしまったとしても、俺はもう、大名の位をもらってるんだぞ?そう簡単に殺されはしないさ。」

「あんたは、甘いんだよ!幕府からもらった身分なんて、奴らにゃ毛ほどの価値もねえ!殺されちまうのがわかってるのに、みすみす行かせられるはずがねえじゃねえか!」


土方さんの必死の説得にも、近藤さんは表情を変えない。
一種の冷徹ささえ感じさせる瞳で、土方さんを見据えた後……。


「……おまえが何を言っても無駄だ。もう、決めてしまったことだからな。」


私は試衛館時代からずっと、新選組の皆と行動を共にしてきたけど……。
二人のこんなやり取りを目にするのは、初めてのことだった。
冷静沈着な土方さんが激情化の近藤さんをたしなめる。
……それが、この二人の姿だったはず。
だけど、今はーー。


「ふざけんじゃねえ!大将のあんたがいなくて、何が新選組だ!俺は、あんたを引きずってでも、連れて行くからな!今更逃げ出すなんて、許すもんかよ!あんたの命はもう、あんた一人のものじゃねえんだ!」


冷静なはずの土方さんが、双眸に涙さえたたえながら、近藤さんにつかみかかりかねない勢いで絶叫する。
だけど近藤さんは、土方さんの剣幕を凌駕する勢いでーー。


「ならば、これは命令だ!島田君と千華を連れて、市川の隊と合流せよ!」

「……!」


近藤さんの剣幕に、土方さんは虚を突かれたようになる。


「……俺に命令すんのか、あんたが。なに、似合わねえ真似してんだよ。」


かろうじて涙は流してはいないけれど、声は、涙を含んで震えていた。


「局長の命令は、絶対なんだろう。隊士たちに切腹や羅刹化を命じておいて、自分たちだけは特別扱いか?……それが、俺たちの望んだ武士の姿か。」


その一言に、土方さんは黙り込んでしまう。
新選組を守る為ーー、武士の生き方を示す為、隊規を徹底させたのは、他の誰でもない土方さんだ。
近藤さんもそれをわかっているからこそ、あえてその言葉を投げつけたのだろう。
……土方さんを生かす為に。


「島田君、千華、トシと一緒に早く逃げてくれ。もたもたしていると連中が押し入ってくるぞ。そうなると、俺が投降する意味がなくなってしまう。」


近藤さんにうながされ、島田君は土方さんへと目を向ける。
命令に従うべきかどうか、しばらくの間、迷った後ーー。


「……副長、行きましょう。」

「…………」


だけど土方さんは唇をかみしめたまま、その場から動こうとしない。
すると近藤さんが、いつものーー、純朴で優しい表情に戻りながら、土方さんの肩に手を置く。


「なあ、トシ。そろそろ、楽にさせてくれないか。俺をかつぎ上げる為に、昼も夜もなく働いて、あちこち走り回って、しまいには羅刹にまでなってしまって……そんな姿を見てる方が、俺はつらいんだ。俺は……おまえにそこまでしてもらうほどの男じゃないからな。」


だけど土方さんは、顔を上げようとしない。
涙を懸命にこらえながら、どこも見つめないようにして……、喉の奥から言葉をしぼりだす。


「俺は……、俺のしたことは、何だったんだ。侍になって、御上に仕えて、戦に勝ち続けて……、そうすりゃあんたは一緒に喜んでくれるんだとばかり……」


この間、甲府の山で近藤さんが口にしたのと同じ言葉を、今度は土方さんが呟く。


「……すまないな。おまえにそこまでさせたのは、この俺だ。俺が、おまえを追い詰めたんだ。思えば、はかない夢……だったなあ。侍でも何でもない俺たちが、腰に刀を差して御公儀のために働いてたなんて。」


近藤さんの言葉は途方もなく優しくて、それが却って、土方さんの胸を詰まらせるようだった。
息を殺して涙を必死にこらえ、きつく目を閉じて……、やがて、顔を上げる。


「……島田、残った隊士たちに伝令だ。逃走経路も確保しとかねえとな。」

「はい!」

「千華、おまえはここで待ってろ。支度が済んだら、すぐ呼びに来る。」

『……了解。』


土方さんと島田君が出て行ってしまい、後には、私と近藤さんだけが残される。
近藤さんは、懐の中から何かを取り出した。
そして……。


「……千華、これを持って行きなさい。」


手渡されたのは、何かが入っている布の袋だった。


『これは……?』

「逃亡資金だ。君には、何もしてやれなかったからな。せめてもの気持ちだ。……受け取ってくれ。」

『…………』


どうしてこの人は、こんな時まで優しいんだろう。

金子袋に移った近藤さんの温かさが、私を切なくさせる……。


「今なら、まだ間に合うはずだ。トシには言っておくから、ここを出たら、松本先生を頼ってどこかに逃げなさい。いくら薩長でも、君のような女子にまでひどい真似はしないだろう。我々と関わったことは忘れて好いた男と結婚して、静かに暮らしなさい。それが女にとっての幸せだと思うよ。」


確かに逃げれば、鬼の里や次期頭領なんていうしがらみから逃れられるけど。
でも……。

近藤さんの心遣いは、とてもありがたかったけど……。
私は、静かに首を横に振った。


『……ううん、私、逃げない。土方さんと共に行こうと思う。私は……、あの人の小姓だから……』


それ以上の言葉を口にしたら泣いてしまいそうで……。
私は唇を噛んで必死に笑顔を作る。
近藤さんはそんな私を、優しい眼差しで見つめてくれて……。


「そうか……。トシは、いい部下に恵まれたなあ。トシのことを……、これからもよろしく頼むよ。」

『…………』


きちんと返事をしなければと思うのに涙にはばまれて……、それ以上は言葉にならなかった。


「千華……これは、俺からーーいや、俺たちからの願いだ。千華は、絶対に飲まないでくれ。」

『近藤さんも言うの……?』


俺たちーーそれは試衛館から一緒にいた人たちのことだろう。
皆が私を大切に思ってくれてるのは、嫌ってほど理解してる。
だけど……。

私は、土方さんの時と同様、曖昧に笑うことしかできなかった。

その後、土方さんは島田君に呼ばれ、ここに残っていた隊士ーー相馬君や野村君が集められた。


「局長を置いて我々だけ逃げるって……本当ですか、副長!?」

「局長命令だ。おまえらは、俺と一緒にここから脱出してもらう。」

「ですが、このまま投降したら、すぐ正体を見破られるにきまってます!せめて、俺だけでも局長のお傍にーー」

「局長命令だっつうのが、聞こえねえのか!てめえ、近藤さんの気遣いを無駄にするつもりか!?」

「…………」


相馬君は口惜し気に顔を伏せ、握り締めた拳を震わせた。
そんな時ーー。


「……俺、残ります。副長の命令ですけど、新選組隊士として、局長を見捨てるわけにはいきません。」

「野村君!」

「野村、てめえ……この場で俺に、ぶった斬られてえのか?」

「いや、その、待ってください!」


野村君は瞬き一つせず、尋常ではない気迫のこもった瞳で、土方さんをにらみ返した。


「……本当なら副長が、ここに残りたいはずですよね。でも局長から新選組を託された身だから、それができないわけで……だから、俺が副長の代わりに局長をお守りします!」


土方さんはしばらくの間を、野村君を見下ろしていた。
やがてーー。
左腰に差した和泉守兼定が、一気に引き抜かれる。


「副長……!」


島田君が驚いて叫ぶ。
私がそんな彼を腕を出して止めると、土方さんは刀の切っ先を野村君の喉元へ向けた。


「……近藤さんを守るっつったな?」


野村君は頬に冷や汗をにじませながら土方さんを見つめ返していたけど、やがて……。


「……はい。」

「だったら、絶対にやり遂げてみせろ。何があっても近藤さんの側から離れるな。ーーいいな?」


野村君の、見開かれた大きな瞳が微かに震えた。
だがすぐに、その双眸に力をみなぎらせ……。


「ーーはい!野村利三郎、絶対に、局長の御身をお守りします!」


その言葉を聞き届けた土方さんは、抜き放った刀を静かに鞘へと納める。
私も同時に腕を下ろした。


「……行くぞ。」


短く告げた後、野村君を残して長岡邸を後にした。

……近藤さん、そして野村君は、じきに新政府軍に投降してしまうだろう。
後ろ髪引かれる思いで、私は何度も長岡邸を振り返る。
今引き返せば、近藤さんたちを救えるのではないだろうか。
皆で逃げる方法が思い浮かぶのではないだろうか。
島田君や相馬君も、同じ思いのようだった。
だが土方さんはだけは一度も後ろを振り返らず、ぐんぐん先へ進んで行く。


「おい、千華。行くぞ。」


後ろを振り返る私の手を引いて、土方さんは走り続けた。


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