三話 『ん……、もう、朝……?』 小鳥のさえずりで、私は目を覚ました。 『……!?』 見慣れた天井ではないことに驚き、慌てて身を起こしてーー。 昨晩は、土方さんの部屋を使わせてもらったことを思い出す。 と同時に、昨晩の出来事が頭の中に蘇ってきた。 狂気に我を忘れた隊士。 それと、斬られた腕の痛み。 私は包帯を巻いた右腕を押さえる。 昨夜、寝る前に自分で手当てした所だ。 痛みは、既になかった。 傷の具合を確かめる為、包帯を解くと……。 『さすが……鬼だから治るのは早いな。』 傷口は既にふさがり、うっすらと一本の線を引いたような痕があるだけだった。 この様子だと、明日には消えてしまうだろう。 包帯も、もう必要なさそうだけど……。 『あの怪我がこんなに早く治ったなんて驚かれるから……』 私は改めて、包帯を巻き直した。 少し不便だけど……しばらくは怪我人のふりをしていよう。 ……それより、皆はどうしてるんだろう? 私は、広間の様子を見に行ってみることにした。 途中で会った千鶴と共に広間へと向かうと。 「あら、あなたたち……」 「伊東さんに、三木さん。それにーー」 『一君と、平助も。どうしたんだよ?こんな朝早く。』 まさか朝から男口調にしなくてはいけないとは……。 「そりゃ、あれだけのことがあった後、のんびり寝てられるほど無神経ではありませんわ。汐見君、怪我をしていたでしょう?傷の様子は、どうなのかしら。」 『あぁ……まあ、大事じゃなかったですよ。』 もう治りかけてるなんて言えない。 私は視線を逸らしながら首裏に手を当ててそう言った。 「そう、それは何よりですわね。」 「『……?』」 昨夜、あんなことがあった後だというのに、伊東さんはなぜか上機嫌だ。 「あの……伊東さん、何かいいことでもありましたか?」 「ふふふ、知りたい?」 「……はい、知りたいです。」 「教えてあげない。まあ、大体想像はついてるかもしれないけど。ねえ、藤堂君、斎藤君?」 「……?」 はあ……? 不思議に思って、平助や一君の方を見てみると……。 「……ん、まあ、なぁ。」 私と目が合った途端、平助は視線を逸らしてしまった。 どうして……? 「あの、斎藤さん……?」 「今は、知る必要はないということだ。」 『なにそれ。』 平助とは対照的に、一君は私の視線を真正面から受け止める。 けれど、その瞳からは何の感情も感じとれなかった。 まるで、壁を作られているような……。 「何だ?別れの挨拶にしちゃ、ちとそっけなさすぎないか。それとも実は、こんな所からはさっさと出ていきたいってのが本音なのか。」 『は……?なんだよ、それ。』 三木の言葉に思わず眉を寄せる。 どういうこと……? 「三郎、余計なことは言わなくてもよろしくてよ。それでは、私たちはもう行きますわ。汐見君、雪村君、ご機嫌よう。」 「それではな、千華、雪村。」 「…………またな。」 四人はそのまま、歩いて行ってしまった。 ……何だ? 一体、どういうこと? 私と千鶴は顔を見合わせて首を傾げると、広間へのふすまを開けた。 「おや、千華に雪村君。もう起きてて大丈夫なのかい?」 「私は千華ちゃんが守ってくれたので、全然大丈夫です。」 『まあ、私もぐっすり寝たから、もう平気だよ。傷も、見た目ほど深くなかったみたいだし……』 「それは良かった。しかし、災難でしたね。」 『まあ、ね……。それよりも……今そこで伊東さんたちに会ったんだけどさ、なんか様子がいつもと違ってて……上機嫌過ぎて気持ち悪かったんだけど……もしかして、何かあったの?』 源さんと島田君は、困った様子で顔を見合わせる。 「……そうか、会ったのかい。」 「伊東さんも三木さんも、何だか意味深なことをおっしゃってたんです。平助君や斎藤さんの様子も、いつもとは違う感じで……」 気持ち悪いってところ無視された……いや、私の口の悪さなんて今にはじまったことじゃないからみんな慣れたのかな。 私が心中でうなずきながら、千鶴と一緒に二人の顔を見つめると……。 島田君は少し考えた後、こう教えてくれる。 「実はですね……、伊東さんたちは、ここを出て行くことになったんです。」 「えっ?出て行く、って……」 「新しく、隊を立てることにしたらしい。新選組とは別にね。」 「そんなこと……、できるんですか?」 「近藤局長と土方副長が、伊東さんと話し合って決めたということです。」 ───「……御陵衛士、ですと?」 「如何にも。この伊東、同志と共にここを出て、孝明天皇の御陵衛士を拝命する所存ですわ。まぁ、以前から考えていたことではあるのですけど……あんな場面を見せられた以上、これ以上一緒にやっていくのは難しいと思いまして。元々私は、尊王攘夷の志を持って新選組に協力していたつもりですけれど……あなたたちとは、どうにも水が合わないようですし。」 「……くだらねえ屁理屈はいい。伊東さん、あんた、要するに隊を割ろうって言うんだろ?」 「……三年にもわたってこの私を謀ってらしたのは、どちらでしたかしら?」 「……まあ、伊東さんがそこまで仰るのであれば、仕方がありません。だがご説明したように、此度の一件の発端は幕府からの密命なのです。もし外に漏らされては、我々としても黙っているわけにはいきません。」 「……そこは、取り引きというものですわ。あなたたちは我々に口をつぐんでいて欲しいご様子ですし。私たちは黙ってここを出て行きたい。ですから出るにあたって、隊士を分けて頂きたいと申し上げているだけですわ。」 「……わかりました。ですが、連れて行くからには本人の承諾をお願いします。」 「それはもう、もちろんです。表向きは協力関係にある……という形をとらせていただきますし。その方が、お互いにとっても都合がよろしいのではないかしら……ふふっ。」 「……と言うことだそうだ。トシ、これでいいか?」 「……近藤さんがそう決めたなら、俺はもう、何も言わねえよ。」 『じゃあ、平助と一君が……?』 「伊東さんについていくそうだよ。驚いたねえ。伊東さんと昔からの知り合いだった藤堂君はともかく、斎藤君は、そんな様子は全くなかったのに。」 「そんな……」 それじゃ、もしかして……二人とはもう会えなくなるってこと? 「心配することはないよ、千華、雪村君。言っただろ?これは友好的な関係を前提とした分離だ。」 『近藤さん……』 歩み寄ってきてくれた近藤さんは、私たちを安心させるよう微笑んでくれる。 いつもの私なら、近藤さんのこの言葉で安心していたと思う。 でも、いつもと違って、私の心のさざ波は収まらなかった。 なぜかわからないけど……。 新選組と隊士たちにとって良くないことが起きそうな、そんな気がする。 「そうはいっても、今後は衛士と新選組隊士との交流は禁止するつもりなんだろ?」 「……当然だ。これ以上、あいつらの好き勝手にさせるつもりはねえからな。」 「でも……本当にそれでいいんですか?伊東さんや皆が、ここからいなくなってしまっても……」 「伊東派の奴らが抜けたところで、困ることはねえよ。ま、平助と斎藤も一緒だっていうのは、少しばかり計算外だったがな。」 「まあ……な。彼らの期待に応えられなかった我々も落ち度でもあるが……」 そんなこと……ないと思う。 幹部たちは、それぞれ思うところを話し始める。 これ以上、私が口出ししたところで、決まったことは変えられないだろう。 私は、誰にも気づかれないように静かにその場を後にした。 『……まさか、こんなことになるとはねえ。』 私は雲の多い空へ目を向け、ゆっくりと目を伏せる。 昨日まではいつも通りに、屯所での日々を送っていたのに。 今日になって急に、隊を分けるなんて……。 うまく、考えがまとまらない。 だけど混乱するこの頭の中で、特に気にかかることと言えば……。 気になっていたのは、伊東さんについていく人たちのことだった。 平助……一君……。 これっきり、もう会えなくなってしまうんだろうか。 二人の気持ちを、ちゃんと聞いてみたい。 今、どこにいるんだろう? 二人の姿を探していると……。 「汐見さん。」 『……山崎君。』 「昨晩、怪我をしたそうですね。傷の具合はどうなんですか?」 『あ、あぁ。大事はないよ。あのさ……平助と一君を見なかった?』 「藤堂さんと斎藤さんですか……」 二人の名前を聞いた途端、山崎君の表情が険しくなる。 彼が隊を離れる人をどう思っているのか、はっきりと見て取れた。 『……ごめん、変なこと聞いたね。』 慌ててその場を離れようとした私に、山崎君が言った。 「……境内です。向こうに行くのを、さっき見かけました。」 『……ありがとう。』 「話をするなら早い方がいいですよ。彼らがここを出た後は、それすらも許されなくなりますからね。」 『そうね。』 |