二話 その日の夜ーー。 私は、ここ最近溜めていた里からの文に必死に返事を書いていた。 ようやく全てを書き終わり、届けるのは明日にしようと決めて、私は灯りを消すと床に入った。 その瞬間。 「……千華ちゃん、起きてる?」 聞こえた千鶴の声に、ふすまの方に目を向ける。 『千鶴?』 声をかけると、すっと静かにふすまが開いて、顔をうつむかせてどこか元気がない寝巻姿の千鶴が立っていた。 昼間のこと、気にしてるんだ……。 『おいで、千鶴。』 布団から起き上がり、手招きすると千鶴は申し訳なさそうに近寄ってきた。 ぎゅっと抱きしめて頭を撫でる。 『寝れないの?』 「少しだけ……ごめんね、千華ちゃん。寝てるところ。」 『いいよ、ついさっきまで起きてたからね。』 文机の上に溜まる返事の文の多さに目を向けて、腕の中の彼女の頭を撫で続ける。 『総司が言ったこと、気にしてるの?』 「…………」 『役立たずの子供って言われたこと?』 ピクリと肩が揺れた。 『……明日から、もっと行動に気をつければいいじゃん。今日はちょっと、突っ走っちゃっただけだからさ……ね?』 「うん……」 コクリと頷く千鶴の頭を撫でて、考えるように目を閉じた瞬間。 バキィッ! 「『ーー!?』」 激しい音で、私は目を開けた。 今の音は、一体……? 千鶴と顔を見合わせて視線を移すと、ふすまがこちら側に倒れているのが目に入った。 そして……。 入り口の所に、一人の隊士が立っている。 私は千鶴を背中に隠して、鋭く隊士を睨みつけた。 『何だ、こんな夜更けに。』 「…………」 警戒しながら声をかけた後も、隊士は黙り込んでいた。 『この部屋に、何か用か?』 「…………血……」 「『?』」 私と千鶴が目を凝らした、その時ーー。 彼の髪が、一気に白へと色を変える。 「血……血を、寄越せ……」 不吉な赤を帯びた瞳は、真っ直ぐにこちらへと据えられていた。 「『っ!!』」 彼はーー【羅刹隊】の隊士だ。 「ひひひひ!血を寄越せえっ!!」 しかも、完全に血に狂っている。 あれはもう手遅れだな……。 刀は……と視線を移すと、少し離れた所に愛刀が立てかけてあるのが見えた。 少し、遠いな……。 今千鶴を離して行けば完全に標的が千鶴に向く。 それだけは避けなくては……。 だけど大声を出して助けを呼ぼうにも、ここで大声を出したら羅刹を知らない他の隊士にまで、この存在を知らしめることになってしまう。 何か別の方法で、この場を切り抜けて愛刀を手にしなくては。 そう思った時。 刀が月光を照り返しながら、私たちめがけて振り下ろされる。 「……きゃああっ!!」 『……っ千鶴!!』 慌てて千鶴を抱きかかえて飛び退くが、時既に遅くーー。 その切っ先が、私の二の腕をかすめる。 『つっ……!!』 「千華ちゃん……!」 腕に、激痛が走った。 その血の滴りを目の当たりにして、羅刹の赤い瞳がさらに狂気の色を孕む。 裂けた傷口からは、血がにじんだ。 左手で慌てて押さえるが、すぐには止まらない。 溢れ出した血は腕を伝って、畳を赤黒く染めていく。 「血、血だぁ……。その血をもっと、俺に寄越せえぇ……」 羅刹隊士は我を忘れながら、刀身に付着した血を舐め回した。 そして、ゆっくりとした足取りで、私たちとの間合いを徐々に詰めてくる。 「千華ちゃん……っ。」 『……チッ。』 千鶴をかばいながら後ろに下がる。 背が、壁に当たった。 愛刀までの距離が遠くなった。 駄目、このままではーー殺される。 死を覚悟した時、先ほどの言葉が頭をよぎった。 ───「千華だって、頼っていいんだからね。」 総司、隊士の皆ーー。 『誰かーー、助けてっ!』 「ひゃはははははははは!血ぃ!血だぁっ!!」 私の叫びなど気にした様子もなく、羅刹隊士は畳に這いつくばって、流れ出た血を啜り始めた。 その姿はもはや武士どころか、人間にすら見えない。 「千華ちゃん……」 『千鶴、行くよ!』 私はその隙を突いて、千鶴を連れて彼との間合いを取る。 お願い、誰か。 早く来て……! 「足りない……これだけでは……足りないいいいいぃ!!」 怖ッ! 羅刹隊士が、畳から顔を上げる。 その口元は赤黒い血で汚れていた。 私の腕から溢れる血は、まだ止まらない。 彼は、瞬き一つせずに私の傷口を凝視していた。 そして、にたりとおぞましい笑みを浮かべるーー。 「ひひひひひ……それだっ!おまえの血をもっと寄越せえぇぇええ!!」 『おまっ……仮にも組長に向かってその態度……っ。』 畳を乱暴に蹴りつけながら、こちらへと迫ってくる。 「千華ちゃんっ!」 『……クソッ!』 今度こそ、殺されてしまう……! 千鶴を抱きしめて身を固くした、その時ーー。 「伏せろ!いいって言うまで、絶対に頭を上げるんじゃねえ!!」 『ーー!』 すぐ近くから聞こえてきた聞き慣れた声に命じられるまま、私は千鶴と一緒に身を伏せた。 「なっ……!」 突然現れた土方さんに戸惑ってか、羅刹隊士は刀を構えるがーー。 土方さんの袈裟掛けに斬りつける方が、早かった。 「ぎゃああああぁッ!!」 羅刹隊士の絶叫が、部屋にこだまする。 「ぐっ、う、ううう……」 彼は苦悶の声を上げるが、その傷口は瞬く間に塞がっていく。 「今のうちだ。千華、雪村を連れてこっちへ来い!!」 『うん!』 私が、千鶴の手を引いて土方さんの傍へ駆け寄るのと同時にーー。 「千華、無事か!?」 「!こいつ、まさかーー」 「こいつ……、この間、変落水を飲まされた隊士だな。ここまで狂っちまっちゃ、生かしておくわけにゃいかねえか。」 新八さん、平助、左之さんは千鶴がいたことに驚くが、瞬時に状況を理解した様子で次々と刀を抜いた。 「新八っつぁん、左之さん!抜かるんじゃねえぞ!」 「てめえ、誰に物を言ってやがるんだ?」 「羅刹だろうが何だろうが、並の隊士に遅れをとるわけねえだろ。」 幹部の皆は羅刹と化した隊士を取り囲む。 そして……。 「……悪く思うなよ。」 土方さんの呟きに私が千鶴の目を隠した瞬間。 「ぎゃああああっーー!」 四方から一斉に斬撃を浴びせられた、羅刹隊士は絶命した。 私は、千鶴の目から手を離してほっと息を吐く。 これで事態は、ようやく収拾されたかに思えたけど……。 「……まったく、こんな夜中に、何の騒ぎですの?」 「!伊東さん……!」 ゲッ……。 伊東さんは眠そうな目をこすりながら部屋の中へ足を踏み入れて、硬直する。 「な、何なのですか、これは!」 「……ちっ。」 「そこの隊士には、見覚えがありますわ。確か、隊規違反で切腹させた筈では……!!それに、この血……!あなた方の仕業ですの!?」 「い、伊東さん、違うんだ。これはさ……!」 「何が違うのですか!幹部総出で、寄ってたかって隊士をなぶり殺しにするなんて……!誰か、説明なさい!一体、何があったんです!?」 伊東さんが、気色ばんで叫んだ時だった。 「皆さん、申し訳ありません。私の不注意が原因です。」 「山南さん……!」 私の寝巻を掴んでいた千鶴が声を上げる。 その様子を目にして、伊東さんは驚愕に目を見張る。 「さ、さーー山南さん!?なぜ、亡くなった筈のあなたがここに……!?」 その場にいる誰一人として口を開くことができないままだったけど、やがて……。 「……これ以上隠し通すこともできねえ、か。雪村、おまえは席を外してろ。自室に戻れ。千華、おまえもだ。今夜は俺の部屋を使って構わねえ。」 「…………」 『ごめん、土方さん。後よろしく。』 この状況で、伊東さんに納得してもらうことなんてできないだろうけど。 とりあえず、この傷を何とかしないと。 私は心配そうに土方さんたちを見る千鶴の手を引いて愛刀を持つと、その場を離れることにした。 |