三話 千鶴は広間に残るというので、千鶴の面倒を土方さんに任せて私は南部邸の様子を確認したあと外へと出て来た。 息を吸い込むと、冷えた冷気が肺へと入り込んでくる。 どっときた疲れにはちょうどいい寒さだった。 「……お、なんだ。千華も出てきたのか?」 『様子も見終わったし、千鶴も広間に残るっていうんでね。』 「んな引きつった顔で笑うなって。……ま、気持ちはわかるけどよ。千鶴の奴、怖がってたか?」 『うーん、どうだろうね……』 目を細めて笑うと、左之さんは苦虫を噛み潰したような顔をした。 「……んな顔で笑うなって。おまえも怖いなら言ってもいいんだぜ?怖いものを【怖い】って言うのは、悪いことでも何でもねえ。……ま、他の奴の前じゃ言わねえ方がいいだろうがな。ていっても、おまえのことだから言わないか。」 左之さんはそう言った後、私の頭に軽く手を置いた。 『左之さん……』 気遣いに満ちた言葉と温もりが、胸に染み込んでくる。 今までは自分が大切に思っていた人の誰かがこうなるなんて思っていなくて、急な展開に頭がついていかなくて気丈にふるまってはいたけれど。 この異常な状況の中で、左之さんの当たり前の優しさがありがたかった。 『……山南さん、どうなっちゃうのかな。』 「……どうだろうな。かなり追い詰められてからな、あの人。」 『……うん。』 私は、頷く以外何もできなかった。 色々と頭が回らなくて、言葉が出てこない。 「あの人には江戸にいた頃から世話になってるし、できれば生き残ってほしいもんだが……死ぬのなんて、いつでもできるもんだからな。」 左之さんは大きく息を吐いてから、空を仰ぎ見た。 「だが、目を覚ました時、山南さんが元のままのあの人でいてくれるかは……わからねえ。」 そんな彼の横顔を見ながら、私は思う。 ……左之さんはあの薬について、どう思っているんだろう? 当たり前のこととして、受け入れているのかな。 隊のためには仕方ないと、割り切っているのだろうか。 今までこんなこと考えたり、ましてや聞くなんてことしなかったけど。 それでも一度思ってしまうとなかなか押し戻せなくて。 『……あのさ、左之さん。』 「ん?」 彼の内心を知りたくないと言えば、嘘になるけど、私は口を閉ざした。 『……ううん、何でもないわ。』 「何だ?別に遠慮なんざする必要はねえんだぜ。俺たちの仲だろ?」 『本当に、何でもないから。』 「そっか?なら、いいんだが。」 両手を振りながらそう言うと、左之さんは納得してなさそうな顔をしたけど引き下がってくれた。 「……山南さん、早く目を覚ましてくれるといいな。できれば、元のあの人のままで……、って、こりゃ過ぎた望みってもんか。」 私は、静かに首を横に振る。 『……そんなこと、ないと思う。当たり前の望みだと思うよ。私だって、そう思うもん。』 それは、本心からの言葉だった。 左之さんはしばらく黙ったまま私を見下ろしていたけど、やがて……。 「……ありがとよ。おまえ、いい奴だな。」 『いまさら気付いたわけ?長年一緒にいて?』 「ははっ。」 それきり、会話は途絶えてしまう。 山南さんには無事でいてほしい……。 そんな時ーー。 「……?おまえたち、こんな夜更けにここで何をしている。」 「そりゃ、こっちの台詞だ。あんたこそ、こんな時間にどこに出かけてたんだ?門限破りは切腹だぜ。」 「私は……、壬生寺で剣術の稽古をしてきただけだ。局長の許しも得ている。」 「……ふん、成る程。さっさと、中に戻ってくれねえか。今、ちょっとした騒ぎになっててよ。」 「騒ぎだと?一体何があったのだ。」 『俺たちも、詳しくは聞かされてないんだよ。大方、隊内に尊攘派の間者が入り込んだとかじゃねえの。』 「さっさと部屋に戻った方がいいぜ。あんた元々、近藤さんたちからいい印象を持たれてねえだろ。」 「……ふん、要らぬ世話だ。」 武田は冷ややかに言った後、門の中へと姿を消した。 『あのさ……、大丈夫だったよね?』 「少なくとも、ボロは出してねえ筈だが……明日以降、土方さんたちが上手く誤魔化してくれるのを祈るしかねえな。」 『そうね……』 |