運命に負けない
海水の塊のなかで、ルフィは沈むことも浮かぶこともできずに溺れていた。
「悪魔の実の能力者は、苦しかろうなァ······」
シキは残忍な笑みをむけた。
仮にシキであっても、もし海に落ちれば『フワフワの実』の能力で浮かぶことはできなかった。自力で助かるすべはないのだ。
頼みのエレキ鳥は、ショックで失神してしまっている。
「───が、若気の至りじゃ、もうすまねェぞ」
東の海も、あの小娘も、絶望のなかで滅びゆくのを、あの世から眺めていろ。
「心配するな。〈舞姫〉はちゃ〜んと
可愛がってやる。あの歌姫の歌を独占できるなんていい気分だなァ。ジハハハハ!」
身をひるがえすと、シキは、とどめの攻撃にかかった。
「“獅子・
千切谷”!」
金の鬣が、ぐるぐるとまわる。
空の舞台で〈金獅子のシキ〉は踊る。その足捌きから、次々と“飛ぶ斬撃”が放たれた。
幾重もの空刃が、海水の塊ごとルフィを千度斬りつけた。
海水の塊が、飛沫になって霧散した。
シキは、相手の無残な死を覚悟した。
斬り刻まれて落ちていくルフィを、意識を取りもどしたビリーが空中でひろい上げた。しかし舞い上がる余力はなく、そのまま下の島に墜落した。
シキは、あとを追った。
倒れたルフィの背中には無数の傷があった。
空中で、ルフィは、とっさに
鳥をかばったのだ。そして今は、
鳥が、身を入れ替えて、出血して気を失ったルフィをかばっていた。
「フウッ······!」
激しい連続攻撃で、さすがに息の上がったシキは、ゆっくりとルフィに近づく。
その首を落として死を確実なものにし、〈舞姫〉の手土産にでもしようとしたとき、彼の空中群島メルヴィユは最悪の状況に足を踏み入れつつあった。
***
王宮は怪物どもに破壊されて、炎上していた。
契りを交わした海賊たちが、ちりぢりになって逃げていく。
二十年をかけた、シキの王国は───野望は、その華々しい歴史のスタートから、取りかえしのつかない汚点を残してしまった。
月は隠れ、真の闇が訪れる。
心配そうな顔でのぞきこんだビリーに、ルフィの小さな声がかえった。
「飛べるか······?」
ただ、ひとこと。
“ギア2”のブースト状態は解けて、ルフィの肉体を、その反動の痛みが襲っていた。
それでも残された力を、闘志を、全身、全細胞からかきあつめる。
(ティアナ······)
“ルフィ!”自分を呼ぶティアナの笑顔を思い浮かべる。
おれが守る。
シキになんか絶対やらねェ。
あいつの笑顔を奪わせはしねェ。
ルフィの気持ちを受けて、ビリーもまた最後のパワーをふりしぼった。
クォオオオオッ·········!
声を嗄らして鳴くと、みずからを勇気づける。
ティアナのため。
ナミのため。
故郷のため。
大切なものたちのために。契りはなくとも、ふたりの漢は今や盟友となって、生死をともにする覚悟を決めた。
おおっ───
ルフィは立つ。
吼え、そして、敵を仰ぐ。
なにがティアナは可愛がってやる、だ。なにが歌を独占できる、だ。
ティアナはだれにもやらねェ。
あいつの笑顔も泣き顔も、歌も───全部おれのもんだ。シキになんか渡してたまるか······!
「あいつを、ぶっ飛ばす!おれを······頼む、天まで!」
カッ───と電光の竜が、雲間を奔った。
サイクロンを予兆させる雲のなかを、ルフィを乗せたビリーがまっすぐに急上昇する。
「しぶとい······!」
うんざりした様子で、シキは、怒気をもって敵を討ち滅ぼそうとする。
そのとき風の音を裂いて、あの女の声が聞こえた。
「シキーー!」
「!?」
王宮の塔のてっぺんに、ナミと彼女を支えるティアナの姿があった。
「もう、終わりよ!なにもかも!」
天候棒をかざし、オレンジ髪をなびかせた魔女が叫ぶ。
塔の下には、なにやら準備を終えた狙撃手と人間トナカイと合流したであろう金髪の音楽家の姿もあった。
「無理すんな、ナミ!」
「落ちないでよ、ナミ!ティアナ!」
「ティアナ!ナミ!爆破の準備、できたぞ!」
『OK!』
その言葉にシキは目をむいた。
「爆破······だと!?」
「そうよ!工場も、王宮も、島船も!もう、なにも残さない!!あんたの計画は、すべて終わりよ!」
毅然といい放った小娘に対して、ついにシキは堪忍袋の緒が切れた。
「ふざけるなァ〜〜〜っ!」
金の鬣が逆立った。
同時に、王宮の島の地盤が、あちこちでめくれ上がった。
いかなる手をつかってでも、こざかしい、自分をコケにした女は抹殺するのだ。残酷な血の花を咲かせるといい。プライドを踏みにじられた老人の頭には、もはや三度殺しても治まらぬ怒りしかなかった。
「貴様らごとき若造に······この、おれの二十年の計画を、つぶせると思うな〜〜〜!」
シキの言葉を聞きながらカナとティアナは目を合わせて大きく息を吸った。
「くらえ!必殺“天竜星”!」
「『
魔力融合!“水炎竜の
水炎の雷”!』」
パチンコ〈カブト〉をひき絞ったウソップと魔力を融合させたカナとティアナが、頭上の敵めがけて特製弾を撃った。
放電をまとったふたつの弾丸が、閃く竜となって襲いかかる。
「
こけおどし······!」
あわてた様子もなく、シキは手をふった。
狙いを外した“天竜星”と“
水炎の雷”は、そのまま天を覆った暗雲のなかに消える。
そして空中の岩塊が二つ、シキの手の動きにあわせて猛スピードで移動した。その落下点には王宮の塔があった。
「ビリー!ティアナとナミを助けろ!」
相棒に告げると、ルフィは鳥の背中から大きくジャンプした。
ビリーは急降下し、落下する岩に追いついた───そのとき。
塔は二つの岩塊に叩きつぶされた。
だが、土煙のなかから一羽の鳥が離脱する。ビリーは、ナミとティアナをしっかりと救い出していた。
「おのれ······!」
「おまえの相手は、こっちだ、シキ!」
「!?」
シキは頭上を仰いだ。
嵐の雲のなかに、突風に巻き上げられたルフィが、滞空していた。
「“骨風船”!」
親指をくわえて、ぷぅっと息をふきこむと、ルフィの腕は、巨人の腕のように大きくふくらんだ。
そうして蓄えた空気を、腕から体に、さらに脚へと移動させる。
“ギア
3”───
シキが見たものは、雲を破って、天から出現した巨人の足裏だった。
「なんだァ、ありゃァ······!?」
気球のようにふくらんで空中で浮かんだルフィを睨みつける。
ゴムのこけおどしか······?
そのとき嵐の雲が脈動した。
先ほどウソップとティアナとカナが撃って雲のなかに消えたはずの“天竜星”と“
水炎の雷”が、巨人の足のそばをかすめていった。すると稲妻が誘発されて、たちまち、あたりは雷の巣となった。
「死に損ないが······!雷に打たれて、落ちろ!」
「落ちるのは、おまえだ!シキ!」
「!?」
「
東の海には、行かせねェ!」
叫んだとき、特大の雷がルフィを直撃した。
「ジハハハハ!バカがァ!」
シキには落雷を受けたルフィが黒コゲになったように見えた。
手を下すまでもなく、感電して、勝手に死にやがった。
おれは、この空から、この海を統べる男だ。おまえごとき若造が阻めるはずがない。シキが勝利の高笑いを上げたとき、勝負は決した。
この戦いは───
「おまえなんかに!」
「!?」
落雷を受けながら、ルフィは叫びつづける。
「仲間も!海も!」
「ゴム人間······!?」
やつは電気を通さない······!?
シキは、あわてて腕をふり、あたりの岩といった岩をかきあつめて防壁をめぐらせた。
「好きにさせるかァ〜〜〜!」
なお天高く足を上げると、ルフィは踵落としをくらわせた。
“ゴムゴムの
巨人の雷斧”!
岩の防壁は、塵になって消し飛んだ。
唖然と、巨人の足裏を仰いだシキもろとも、ルフィは王宮の島を蹴りつけた。
瓦割りのように、空中の島が割れる。
縦横に亀裂が走った。
シキの領土は、王国は、二十年をかけた野望は、すべて、こっぱみじんに打ち砕かれていく。
〈サウザンドサニー号〉で脱出の準備を整えていたフランキーが、声を上げた。
「おまえら、急げ!」
トナカイに乗ったロビン、エレキ鳥に乗ったナミとティアナ、その後ろを炎の翼で飛ぶカナが船にもどってくる。
「みなさ〜ん!はやく〈
サニー号〉へ!」
ゾロとウソップ、サンジも王宮から脱出して、前庭に着地していた母船に乗り込んだ。
舵輪を握ったフランキーが叫ぶ。
「飛ぶぞ、つかまれ······“
風来・バースト”!」
間一髪、〈サウザンドサニー号〉はコーラエンジン全開噴射で、島を離脱した。
───ルフィ!
空中群島メルヴィユもろとも、サイクロンの空域に消えた船長の名を、仲間たちは呼びつづけた。
そして············。
東の空から、長い、戦いの夜が明けていった。