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ー和人sideー




ベッドサイドに置かれた時計が、控えめなアラーム音で俺の意識を呼び起こした。

視線を向けると、いつの間にか正午になっている。


「そろそろ帰るよ、ランカ。またすぐ来るから……」


小さく話しかけ、立ち上がろうとした時、背後でドアが開く音がした。
それと同時に騒がしい声。

振り返ると、三人の男女が病室に入ってきた。


「よ、和人」
「やっぱり来てた」
「だから言っただろ?キリトは毎回来るんだよ」


かつてのSAOで俺が世話になったシュン、サクラ、リュウだ。

サクラは部屋の真ん中にある花瓶の元へ向かい手に持っていた花と古い花を幾つか変える。


「アスナの病室にいたのはやっぱりシュンたちか……」


SAOに囚われる前までは瞬斗と呼べていたのに二年間、シュンと呼び続けていたのでこっちのほうがしっくり来てしまう。

それはサクラとリュウも同じなのだが。

シュンとリュウは花を生けているサクラを横目にベッドの近くにある椅子を引き寄せて座った。


「声、聞こえたか?」
「ああ」
「俺ら、そんなにうるさかったかな……」


眉間に皺を寄せて首を傾げるリュウの頭を後ろからサクラが叩いた。

痛そうに頭を押さえながらリュウが振り返る先には、うるさかったといわんばかりに顔を顰めているサクラがいて、リュウは思わず顔を竦めた。

ドアが開いた音に四人で振り返ると、二人の男女が入ってきたところだった。


「あら、来ていたのね和人君、瞬斗君、龍馬君、美玖ちゃん。いつもありがとうね」


前に立つ大人しめの色合いの着物を纏う女性は、その美しい顔をほころばせて言った。

黒と紫色のグラデーションカラーの着物を着こなし、ゆるく結ばれた黒い髪を前に垂らしてにこやかに微笑むその顔はどこかの温泉にでもいる女将のような雰囲気を醸し出している。

優しい雰囲気を出して俺たちに微笑むその人は俺の父親の姉であり、ランカの母親、一ノ瀬静音しずねだ。


ランカの家は元々が日本家屋であり、家の中でも着物が多く、その着物のほとんどがこの静音さんがデザインされている。

まさに《和》の要素がたくさんのランカの家は着物の銘柄で知られていて、結構なお嬢様だ。
家も敷地がすごく広く、日本家屋が大きい。

だから《和》の要素が一杯詰まっているランカはそれこそ着物が似合う。


シュンとリュウとサクラが軽く手を上げる隣で俺はひょいと頭を下げ、口を開いた。


「久しぶりっす、おばさん」
「こんにちはー」
「どうも」
「こんにちは、お邪魔してます、静音さん」
「いえいえ、いつでも来てもらって構わないわよ。和人君たちに来てもらってこの子も喜ぶわ」


一ノ瀬はランカの枕許に近寄ると、そっと髪を撫でた。

しばし沈思する様子だったが、やがて顔を上げ、背後に立つもう一人の男を俺たちに示す。


「彼とは初めてよね。うちの着物をよくご贔屓してくれる須郷さんよ」


人の良さそうな男だな、というのが第一印象だった。

長身をダークグレーのスーツに包み、やや面長の顔にフレームレスの眼鏡が乗っている。


薄いレンズの奥の両眼は糸のように細く、まるで常に笑っているかのようだ。

若く、三十には行っていないと思われる。

俺に右手を差し出しながら、須郷という男は言った。


「よろしく、須郷伸之です。───そうか、君があの英雄キリト君か」
「……桐ヶ谷和人です。よろしく」


須郷の手を握りながら、俺は一ノ瀬静音をちらりと見た。

すると彼女は右手を頬に充てながら首を傾げた。


「おかしいわね、誰が言ったのかしら……。瞬斗君たち?」
「「まさか」」
「初対面だし」
「そうよねぇ……」


誰が言ったのか解らない状況の中、またドアが開いた。


「おぉ、ここにいたのか」


恰幅のいい初老の男性は、顔をほころばせて言った。


仕立てのいいブラウンのスリーピースを着込み、体格のわりに引き締まった顔はいかにもやり手といった精力に満ちている。

唯一、オールバックにまとめたシルバーグレーの髪だけが、この二年間の心労を窺わせる。


アスナの父親、結城彰三だ。


アスナからは、父親は実業家だとちらりと聞いたことはあったが、実際には総合電子機器メーカー《レクト》のCEOであると知ったときはさすがに仰天した。

静音さんは、「あら」と驚いた顔をして彼を見た。


「結城さん、お久しぶりです」
「お久しぶりです、一ノ瀬さん。いつも着物を提供していただいてありがとうございます」
「いえいえ、そんな」



にこやかに会話をする二人はお互い客同士らしい。

俺の隣にいたシュンはひょいと頭を下げ、口を開いた。


「どうも。さっきまで病室にいたんですけど……」
「いやいや、すまんね。私が来るのが遅れてしまって。いつでも来てもらって構わんからね、4人とも」
「「「「はい」」」」


一斉に返事をした俺たちに彰三氏が頷くと、静音さんが思い出したように口を開いた。


「そういえば結城さん。須郷さんにSAOのこと言いました?」


すると驚いたような顔をした彰三氏は、顎を撫でながら軽く首を縮めた。


「いや、すまん。SAOサーバー内でのことは口外禁止だったな。あまりにもドラマティックな話なのでつい喋ってしまった。彼は、私の腹心の息子でね。昔から家族同然の付き合いなんだ」
「ああ、社長、その事なんですが───」


手を離した須郷は、彰三氏に向き直った。


「来月にでも、正式にお話を決めさせて頂きたいと思います」
「───そうか。しかし、君はいいのかね?まだ若いんだ、新しい人生だって……」
「僕の心は昔から決まっています。明日奈さんが、今の美しい姿でいる間に……ドレスを着せてあげたいのです」
「……そうだな。そろそろ覚悟を決める時期かもしれないな……」


話の流れが見えず俺たちが沈黙していると、彰三氏がこちらを見た。


「では、私は失礼させてもらうよ。早川君、桐ヶ谷君、吉田君、高崎君、また会おう」


一つ頷いてから、結城彰三は大柄な体を翻し、ドアへ向かった。

するとそれに続くように静音さんも、


「私も家の事があるからお暇するわね。また会いましょうね、4人とも」
「「「はーい」」」


三人が答えるのと同じように頷くと彼女は綺麗な笑みを浮べて結城彰三氏の後に続いて部屋を出て行った。

二度の開閉音。

後には、俺たちと須郷という男だけが残された。


須郷はゆっくりとベッドの下端を回りこむと、向こう側に立った。

左手でランカの髪をひと房つまみ上げ、音を立てて擦り合わせる。

その仕草に、俺は言いがたい嫌悪を覚える。


「……君たちはあのゲームの中で、明日奈と沙稀と暮らしたんだって?」


顔を伏せまま、須郷が言った。


「「……ええ」」
「それなら、僕と君たちはやや複雑な関係ということになるかな」


顔を上げた須郷と眼が合う。


その瞬間、俺はこの男の第一印象が大きく間違っていたことを悟った。

細い眼から、やや小さな瞳孔が三白眼気味に覗き、口の両端をきゅっと吊り上げて笑うその表情は、酷薄という以外に表現する言葉を持たない。

背筋にひやりと戦慄が疾る。


「さっきの話はねぇ……」


須郷は愉快でたまらないというふうにニヤニヤと笑いながら言った。


「僕と明日奈が結婚するという話だよ」


俺たちは絶句した。


「そしていずれは沙稀とも……」


この男は一体何を言っているのか。

須郷の台詞の意味が、凍るような冷気となってゆっくりと俺たちの体にまとわりつく。

数秒間黙り込んでから、どうにか言葉を絞りだした。


「そんなこと……できるわけが……」
「確かに、この状態では意思確認が取れないゆえに法的な入籍はできないがね。書類上は僕が結城家の養子になって一ノ瀬家の婿養子になる。僕の力を持てば2人と結婚なんて簡単なことさ。……実のところ、この娘たちは、昔から僕のことを嫌っていてね」


須郷は左手の人差し指をランカの頬に這わせた。


「親たちはそれを知らないが、いざ結婚となれば拒絶される可能性が高いと思っていた。だからね、この状況は僕にとって非常に都合がいい。当分眠っていてほしいね」


須郷の指がランカの唇に近づいていく。


「やめろ!」


俺は無意識のうちにその手を掴み、ランカの顔から引き離した。

シュンたちが須郷を睨むと俺は強張った声で問い質す。


「あんた……ランカとアスナの昏睡状態を利用する気なのか」


須郷は再びニイッと笑うと俺の手を振り払い、言った。


「利用?いいや、正当な権利だよ。ねぇ桐ヶ谷君、早川君。SAOを開発した《アーガス》がその後どうなったか知っているかい?」
「……解散したと聞いた」
「うん。開発費に加えて事件の補償で莫大な負債を抱えて、会社は消滅。SAOサーバーの維持を委託されたのがレクトのフルダイブ技術研究部門さ。具体的に言えば、僕の部署だよ」


須郷が、ベッドの上側を回ると俺たちの正面に立った。

デモニッシュな微笑を貼り付けたまま顔をぐいっと突き出してくる。


「───つまり、明日奈と沙稀の命は今やこの僕が維持していると言っていい。なら、僅かばかりの対価を要求したっていいじゃないか?」


囁き声で発せられたその台詞を聞き、俺は確信した。


この男は、ランカとアスナの現状どころか生命そのものを、己の目的のために利用する気なのだ。


立ち尽くす俺とシュンの顔を覗き込み、それまで常に浮かべていた薄笑いを収めて、須郷は冷ややかな声で俺たちに命じた。


「……君たちがゲームの中でこの娘たちと何を約束したか知らないけどね、今後はここには一切来ないで欲しいな。結城家と一ノ瀬家との接触も遠慮して貰おう」
「なっ……あんたねえ!」


文句を言おうとしたサクラをリュウが片手を出して止めた。


俺は強く拳を握りしめた。

だが無論何をすることもできなかった。


凍結した数秒間が経過した。

やがて須郷は体を離すと、哄笑をこらえるように片頬を震わせながら言った。


「式は来月この病室で行う。君たちも呼んでやるよ。それじゃあな、せいぜい最後の別れを惜しんでくれ、英雄くんたち」


剣が欲しい、と痛切に思った。

心臓を貫き、首を斬り飛ばしてやりたい。

俺の衝動を知ってか知らずか、須郷は俺とシュンの肩をぽんと叩くと身を翻し、そのまま病室を出て行った。
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