ー和人sideー
なんべんも誰何されているうちにすっかり顔見知りになってしまった守衛に手を上げて正門を通過し、広大な駐車場の片隅に自転車を駐める。
高級ホテルのロビーめいた一階受付で通行パスを発行してもらい、それを胸ポケットにクリップで留めて、俺はエレベーターに乗り込んだ。
数秒で最上階である十八階に到着し、滑らかに扉が開く。
無人の廊下を南に歩く。
このフロアは長期入院患者が多く、人影を見ることはごく少ない。
やがて、突き当りに、薄いグリーンに塗装された扉が見えてくる。
すぐ横の壁面には鈍く輝くネームプレート。
《結城明日奈 様》と書かれた部屋の前で立ち止まると、部屋の中から騒がしい男女の声が聞こえて俺は微笑を浮かべながら隣の病室に足を進めた。
《一ノ瀬沙稀 様》というその表示の下に、一本の細いスリットが走っている。
俺は胸からパスを外し、その下端をスリットに滑らせる。
かすかな電子音とともにドアがスライドする。
一歩踏み込むと、涼やかな花の香りが俺を包んだ。
真冬にも関わらず、色とりどりの生花が部屋の真ん中に飾られている。
広い病室の奥はカーテンで仕切られていて、俺はゆっくりとそこに近づく。
この向こうにいる彼女が、どうか目覚めていますように───。
布に手をかけ、しばし奇跡を祈る。
そっとカーテンを引く。
最先端のフル介護型ベッド。
俺が使っていたのと同じジェル素材のものだ。
白い、清潔な上掛けが低い陽光を反射して淡く輝いている。
その中央に───眠る、彼女。
初めてここを訪れたとき、もしかしたら彼女は意識のない自分を俺に見られるのを嫌がるかもしれないと、ちらりと思った。
だが、そんな心配など微塵も寄せ付けぬほど、彼女は美しかった。
つややかな赤混じりの黒色の髪が、クッションの四方に豊かに流れている。
肌の色は透き通るように白いが、丁寧なケアのせいか病的な色合いはまったくない。
頬にはわずかなバラ色すら差している。
体重も、俺ほど落ちていないようだ。
なめらかな首から鎖骨へのラインはあの世界での彼女のものとほとんど同一と言っていい。
薄い桜色の唇。
長い睫毛。
今にもそれが震え、ぱちりと開きそうな気さえする。
彼女の頭を包む、濃紺のヘッドギアさえなければ。
ナーヴギアのインジケータLEDが三つ、青く輝いている。
ときおり星のように瞬くのは、正常な通信が行われている証だ。
今この瞬間にも、彼女の魂はどこかの世界に囚われている。
俺は、両手でそっと彼女の小さな右手を包み込む。
かすかな温もりを感じる。
かつて、俺と固く手を繋ぎ、俺の体に触れ、背中に回された手と何ら変わらない。
息が詰まる。
溢れそうになる涙を必死にこらえ、呼びかける。
「ランカ……」