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時刻は明け方に迫っていた。
仕事部屋の窓から覗く空は白み始め、もう間もなく赤銅の太陽が魔界の大地を照らすことだろう。
せっかちな怪鳥の嘶きに鼓膜を突かれ、ブラックの意識はゆっくりと覚醒した。
長時間の頬杖で痺れた腕を摩りながら、椅子に預けていた身を正す。
対面では電源を落とし忘れたコンピューターの群れが、不満を訴えるように低い唸りを響かせている。
隈の刷いた目を瞬きながら、小さな舌打ち。
寝起きの乾いた喉が、掠れた音を奏でた。
「……またやった」
ブラックに振り分けられる仕事量が殺人的なのは、今に始まったことではない。
優秀な頭脳を買われ、次から次へと難解な古書解析の依頼が舞い込み、常に多忙を極めている。
だが、仕事部屋で朝を迎えるような事態は、滅多にあることではなかった。
ここで日の出を見るのは、今日で何日目だろうか。
凝り固まった筋肉を解すように伸びをしながら、ブラックは窓辺へと立った。
生まれたばかりの太陽が、遠い山の稜線から姿を見せる。
陰鬱な夜に終焉を与え、濃密な光りで世界を包む。
その昏く蠱惑的な輝きは、ただ一人の瞳を彷彿させた。
「主人様」
知らず零れた一言に、ブラックは掌で唇を覆った。
真紅の眼差しが、無性に恋しい。
□ □ □
仕事にひと段落が付いたのは、午前中のことである。
コンピューターの電源を今度はきっちりと落として、ブラックは仕事部屋を後にした。
目指すは彼が仕える絶対君主の元。
急いた歩調は焦燥の足音を鳴らしたが、当人がそれに気付くことはなかった。
すでにブラックの意識は、ただ一点に集約していた。
この時間ならば、彼女も書類仕事に頭を抱えているはず。
デスクの上は雑然としていることだろう。
ノックの返事を待って開いた扉の先には、予想通りの光景が広がっていた。
堆く積まれた古書の隙間から、こちらに気付いた女の顔が覗く。
白皙の面に鎮座した、深紅の瞳。
焦がれ続けた色彩に、ブラックは密かに胸を高鳴らせた。
「ブラック……」
「昨夜お会いしたときより、幾分やつれましたか」
「うるさい。あたしのことより、あなたはどうなの」
「オレはいつも通りです。これでも頭脳派悪魔で通っていますから」
疲労を隠してさらりと返せば、恐鬼妃は柳眉を顰めた。
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